2012年2月18日土曜日

確定申告 2011年度



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2012/02/27   義務  
その1 教育を受ける義務
その2. 勤労する義務
その3. 納税の義務

小学生から教えておかねばならない。

十三新高公園道標の経過・まとめ

初めに、 きっかけは 2011年3月31日の十三探索 で  
神津神社の3基目の道標が疑問

最初の 一番上の写真 神津神社に3基めの道標を見つけた時です。
みなさん、このページで三基目の道標に気付かなかったようです。
神津神社には 二基の道標がある。ことは知っていたので 「何故k3基」  
この道標はWEB上で「見たことある道標」でした。 十三の商店街に立っている。「場所が違う」とおもいましたから覚えています。それで、「十三の道標」で調べましたが 三基目の道標のことはわかりませんでした。、 
調べている最中に 問題提起になった サイト 道 標 十三を歩く  新之介さんです
上のサイトWEBで知り、そこの道標が載っています。「新高公園の道標」との出会いです。
2011年4月16日(土)のことでした。
三基目の道標は 見たことあるし、神津神社に聞けばわかるであろうと思い
新高公園の道標を先に調べまることにしました。

1. ブログで調査依頼 「この道標知りませんか!」   
      疑問2点  十三の公園????    ? 
  「調査に行かれた方」のうち 2名の方からご連絡をいただきました。
  その節はお世話になりました。ありがとうございました。

  私は 大阪市役所にメールで問い合わせ 
2. 連絡がありました。  十三の公園  早い 大阪市  4月18日
      内容は こちら
  早い 大阪市十三公園事務所  報告を忘れていました。

  4月20日 調べるうちにもう1基 道しるべ
3. . 十三の道標  2基              4月20日

現地調査 新たな発見が!
4. 見てきました。 十三の公園        4月21日   
5. 見てきました。   十三の公園 Ⅱ   4月22日
6. 十三の長安橋                4月23日

十三探索で初期の目的・発見(2011/03/29) 調べてからの発表です。
「新しい能勢街道  踏切から表示」で調査 写真は公表 するが気付かず! 
7. またもや発見 神津神社 3基目の道標  5月18日発表  
8. 最高記録  十三神津神社 道標      5月20日

考察
9. 十三新高公園の道標 考察 Ⅰ     7月19日火曜日 
10. 十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ   7月19日火曜日
11. 新しい事実  道標表示について   7月27日水曜日
12. 東西の道あり                月28日木曜日

7月30日土曜日 
13. 十三の新高公園道標の旧在所 確定  7月30日
14. 十三 神津神社の道標 地名に     8月8日月曜日
15. 新高公園の道標           10月26日水曜日

2011年12月14日水曜日
16. 「新高公園の道標」の報告書

最初のきっかけ 3月31日
調査は4月から7月30日4カ月で確定 12月、まとめまで九ケ月間でした。 
去年は 十三新高公園道標 と 「気になる石物」2基 いや3基か

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追加 2012/03/25
「本庄の街道・渡し」 道標  

勝尾寺への道12  旧川口村の道標(本庄の渡し

勝尾寺への道13  新高公園の道標

2012年2月17日金曜日

明日は土曜日 耳寄りな情報 安い 一日乗車券

車通勤のお父さんへ  耳寄りな情報

安くで遊ぶ方法 
阪堺電車(我孫子道~浜寺駅前)・堺市内指定区間の南海バスが1日乗り放題\\
スクラッチ式  大人600円・小児300円
二〇〇円均一の路面電車

バスを乗り継ぐのは難しいですが 下の路線図を参考にしてください。
天候がよければ 明日、明後日は 堺 市探索されたらいいですね
探索モデルコースあり   
但し 我孫子道から天王寺駅、恵美須町から往復400円 
地下鉄北花田駅から南海バスを使用するのがベストか
阪堺電車(我孫子道~浜寺駅前間:下図参照)
堺都心1日フリー乗車券有効区間
こんなのもあります
大阪市営地下鉄・ニュートラム・バス全線が1日乗り放題
1日乗車券「エンジョイエコカード」        大人800円(土日祝600円)、小児はいつでも300円
   得をする乗車券 
 
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2012/02/26  「せいしゅん18」きっぷでどもまで行けるか!
遠くまで行った人   
ある人たちは 宮島まで日帰り旅行をしたそうです。
それ以上の距離を行った人は
私 年寄りはつかったらいけないと思っていましたので ちょっと調べる必要がある。

2012年2月16日木曜日

大地震  伝言電話の掛け方 必見

大地震 投稿 伝言ダイヤルの掛け方 追加

一か月で320もの訪問者 野 球ではあるのですが、 道 標では初めて


2009年6月からのページの別訪問者数

南蛮文化館Ⅱ  2009/11/14     455 ページビュー

大地震 投稿 伝言ダイヤルの掛け方 追加 2012/01/15  323 ページビュー

「見本のまち」 上新田  勝尾寺街道  2010/02/19   254 ページビュー

暗峠街道 Ⅰ  2011/01/10   174 ページビュー

川西市南部の道標 1~15  2008/10/14   147 ページビュー



2012年2月14日火曜日

絵図 資料から  追加 大阪教育大学古地図  山田村

国立公文書館 
摂津国(元禄)(せっつのくに)
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの地図が作成されました。このうち元禄国絵図は、元禄9年(1696)その作成が命じられ、同15年(1702)までにほぼ全国の分が完成したといわれています。1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)で、山、川、道路等が描かれ、街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚の表示です。郡別に色分けされた楕円形の枠内には村名と石高が、白四角で示された城下町には地名と城主の名前が記されています。国立公文書館には、元禄図の原本8鋪、模写本8鋪が保存されています。天保国絵図全国分83鋪(重複を含めると119枚)及び松前島から琉球まで国ごとに各村の石高を記した
原図サイズ:東西306cm×南北304cm 

考察
この絵図 拡大ができ非常によい。 図面上からみえてくることは

中津川右岸の上流から村・町名
薬師寺村、濱村、川口村、川口新■村、木寺村、小嶋村、    、今里村


黒点は一里塚を示す。
元禄摂津国絵図(1696~1702)には 下新田。上新田の村の記載がないが
天保摂津国絵図(1835~1838)には 下新田村、上新田村が書かれている。

小野原街道は 両方の地図では
山田下村から別所村を経て小野原に行くルートになっていた。
山田下村、別所村、小川、中村、上村

渡し
三嶋江村ヨリ河内国出口村迄拾町拾五町(弐百四拾間)
下ノ村ヨリ河内国仁和寺村迄七町五拾間
一津屋村ヨリ河内国七番村迄六町 (川幅 三百間)
神崎川
江口舟渡川幅壱町四拾八間
吹田舟渡川幅三町四拾間
榎舟(?)渡川幅壱町三拾間
廣芝舟渡川幅弐町

能勢街道 は 長柄から小曽根 
 小曽根から服部村の東側を通り 福井村の東側を通る
天竺川を上るルートは 服部村の西側を通り左に折れる。
椋橋村の北側を通り、利倉村と勝部村間を通る

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追加 2012/03/07  大阪教育大学 デジタルコレクション

       古地図 35   

大阪教育大学附属図書館 デジタルコレクション
大坂夏御陣図 増脩改正摂州大阪地図 大坂指掌図(淀河筋図)
大坂夏御陣図 増脩改正摂州大阪地図 大坂指掌図(淀河筋図)
HTML版 HTML版 HTML版
大坂指掌図(淀河筋図) 大阪之絵図 帝国大阪細見図
大坂指掌図(淀河筋図) 大阪之絵図 帝国大阪細見図
HTML版 HTML版 HTML版
大坂冬御陣図 大阪城古地図 大坂御陳図
大坂冬御陣図 大阪城古地図 大坂御陳図

追加 2/19   小野原街道
元禄摂津国絵図(1696~1702)と 天保摂津国絵図(1835~1838)には 
赤い線が街道  小野原街道を探す
山田下村、山田別所村を通る。 今の万博公園の中を通る

山田川沿いに小川村、中村、上村がある。  ところがもう一つの絵図
こちらは、現在言われている 「小野原街道」となる。
この絵図では 上村を通るルートになっている。


追加   となると
旧能勢街道
豊中にあるこの道標が 名号板碑道標」
脚光を浴びる。
もう一つは 吹田の妙見宮


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2012年2月13日月曜日

今日は加賀文庫 その前に 探索

内本町3  あの「泪之池跡」のそば
お隣さんがおられ話を聞くことが出来ました。
「その向こうの分譲もここの屋敷だった。」「管理者は現在豊中におられる、」
何か由緒があるようだが それ以上はわからなかった、
「泪之池」遊園
道路を挟んで「川面墓地」 あの関取の松の音善蔵」がある。
堤防跡
ある家の前 大きな一枚岩 これはすごい
大きさは違うが これは
井戸の枠だと思います。

大きな一枚岩が何個もありました。
このような「うつけ」もみられます。
今日の浜屋敷  2012/02/11

2012年2月12日日曜日

加賀文庫 原町から 桃山台まで 歩き

今日の加賀文庫はお客さんが訪れました。
一般の人孫を連れ4名   写真なし
その後、博物館の人が来られました、
よくわかりませんでしたが
内容は 「岩波俊書」の明治初期の外交官が書いたもの訳本でのことでした。
博物館に東京から「問い合わせのメール」それも近々「大阪に来る」ということで
学芸員が調査の為「加賀文庫」を訪れました、(私の問い合わせのメールと大違い、博物館がかわったのか!)
上記の外交官が「八軒茶屋から船で京に上るくだり」 「吹田に寄って昼食をとる」とのこと
加賀先生は以前にこの本のことは知って考察をされて、寄ったのは「吹田」ないことを
距離的に証明されました。
もう一つ 次の寄港先の守口で「吹田よりも大きな都市だった」ということが記載されており
これは 片田舎で食事したのではないということになるので その点完全でないが
学芸員は資料を借りてかえりました。
写真を撮るのを忘れて、話に聞き入っていました。 

加賀文庫閉店後、加賀先生の作成中のファイル復旧に初めて加賀先生のお宅に伺い
復旧を試みましたが すでに死んでいました。結局、コピーを貰い、15ページのレポートを私が打ちかえることにしまして
加賀さん宅をでました。
国道に出ると「阪急バス停は原町東」で 土曜日ですので1時間に1回 あと30分
阪急吹田駅に出るのもいいですが、七尾、猪子谷、南千里を頭に入れ歩き始めました。
亀岡街道を行くとある路地でこのような祠を見つけました。


立派なものです。
その後 七窯跡の横を通り 南千里へ 約1時間でした。
googleで計測 近道がありました。

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3.5キロ 42分
実際のルート

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実際は 4.5キロ 54分  私の足では 1時間でした、
そのまま北j上していたら もっと早かったのですね