2015年1月30日金曜日

「10万時間」・・・・・・ 凡人は・・・

暮れの話ですが「多くの小さいフィギュアスケート選手が活躍しました。」事が話題になり、インタビューの中で一人の保護者が、
「10万時間」と言っていました。 ・・・・
それ以来、気になっていたのです。ネットで調べると


トップアスリートの10万時間 - STONEψWINGS/SKY ... に次のようなことが書かれてい麻し

れていました。

 「内村航平を育てた父親は、「10万時間の法則」をいっていました。
 普通、マスターするまでにかかる時間は「1万時間の法則」なんですが、
 トップに立つには、そうですね、10万時間かかるかもしれません。」

 10万時間 何年でしょうか・・・ 11年かかります。

(中略)

 もっと今を大事にしないといけないですね。
 ひたすら、邁進していかなければいけません。

以上、

もう一つは「1万時間の法則」   本『天才! 成功する人々の法則』 マルコム・グラッドウェル氏
 何かに習熟して一流になるのに、人は1万時間の練習(積み上げ)が必要なのだというのです。

前の会長 竹田 純立先生が言われた
 「300冊本を読みなさい! 少しは分かる! 1000冊読んだら プロになれる!」

ボランティアで活動されている方で
10年間やっていたら もう プロでしょう! という方もいました。

練習・勉強は積分・積み重ねの時間数ということになります。
 これらのことは、諦めずに、練習をすること。
 あるとき、急にうまくなるとか! 覚えやすくなるとか
  そこまで到達しなければなりませんが,
     逆に何も努力しなくて大成するとは思わないし、
  天才であればまた違う。
  凡人であれば・・・・・  でしょう!

パソコンでもそうです。 最初は大変ですが、これも積み重ねです。
  何でもそうですが、人に聞くのが一番手っ取り早い、
  本を読むより、楽に頭の中に入ってきます。その後、覚えているかというのは別問題です。
  気を留めたら、記録する。  手帳を師走にまとめる 
  
  パソコンである人は、一つ覚えたら、それを、メモ用紙に書き、壁に貼る 
  それで、ワープロを3っか月でマスター、その後、その技術を利用することです。
  皆さんもやったことがあると思いますが、よく間違う問題は、書いて何べんも読み返すこと
  覚えなくてはならない、でなく、どうせやるのであれば、要領よくやる。
  後は、枝葉をつけると大きくなります。
   

2015年1月29日木曜日

シニア宅には訃報以外めったにない電話 勧誘か? ・・・能勢街道マップ

女性からの電話 
「初めまして ブログを見て失礼ですが、電話をしました。」
こんなケースは初めてです。

「1月13日 まち歩きの案内がありますが」

初詣④ 豊中稲荷神社 自然観察の待兼

 そのページに掲載されている、能勢街道のマップは、何処で売っているのですか?」

なーだ そんなことか!
「市役所に問い合わせても わからない!との返事で、仕方なく電話を差し上げました。」
 「あれはいいですよ!」
「それを持って、まち歩きをしようと思いまして、」
市役所も知らないとは 知りませんでした。
「原田城城跡」で売っています。
「頑張ってください。」

 後で気づきましたが、能勢街道マップは、豊中市内のマップです。

そういえば、発行者の記載を忘れていました。
「とよなか・歴史と文化の会」 
 

「能勢街道マップ」  100円

もう一つは 冊子
とよなか歴史・文化財ガイドブック500円 地図付き もあります。


 「とよなか・歴史と文化の会」 に問い合わせましたが、届いていないのでしょうか!
 「原田城城跡」だけが取り扱っているのでしょうか!
 返事がありません。
 一人、ファンを逃しましたかな!

2015年1月28日水曜日

「高野山の名宝」  ハルカス美術館へ

今週土曜日の予定 ハルカスへ
あべのハルカス美術館
1/23から 3/8

行って来ました。

伊勢講 茨木

A)伊勢講
 数ある講の中でも、伊勢講は全国的な広がりがある。とともに、部落全員が
講員になっている。もともと伊勢神宮は民間の私費を禁じていたので、民間と
の接触は疎遠であったが、古代末から神宮に御供物を調達する人達との関係が
                 おんし
深まってきた上に、中世以来御師(伊勢神宮の神職だが、年末には暦や御祓を
配り参詣者の案内をした人々)が、民間へ伊勢信仰を積極的に働きかけたとこ
ろから、伊勢信仰は急速に伝播浸透していった。こうして全国的に神宮の末社
が設立され、信仰団体としての伊勢講も広く結成されていった。又、伊勢参宮
も目的の-つになるようになった。
 部落全員が講員であっても、10家族前後のグループに分かれ、それぞれに講
名をっけているところもある。こうした組織で全国的に分布し、少なくとも年
1回の会合、折々の神宮への代参を行っている。講員全員が-度に参宮はでき
ないので、何回かに分かれて参拝するのを代参(代表参拝・代理参拝)といっ
ていた。こうした点から一種の観光旅行という面が強く出て、近世末期に講社
が多く結社される原因ともなった。又、参拝のための路銀も大きいので、年々
積立てたり、共同出資したり、共有の山林や田畑(伊勢講田)の収入を当てた
りしている。しかし現在ではすべての講社は本来の目的を失い、単なる財産管
理団体・親睦会となりつつある現状である。

B)佐保の伊勢講
 村史に伊勢講について「天照太神を奉祭する講で、講数多く、株毎、若くは
数株連合して一講を組織していた。佐保は免山で4株、金井で1講、馬場東1
講、馬場西1講、計3講・・・・・・」とあって、現在の神社の氏子単位で講が結ばれ
いたようである。
伊勢講の成立は、全国的にみれは古く、室町時代後半には、成立していた所
あったようであるが、当地方では、それまで遡るものは見られず、江戸時代
中期に、爆発的に発生した感がする。
佐保では、安永頃から記録が見られるようになるから、発生の時期もほぼ推
定出来よう。伊勢信仰の流行には、神宮の神徳を説き、お札や暦を配布して歩
   おんし                       すす
た伊勢御師の活躍によるところが多く、積極的に結構を勧めたものと思われ
る。当村では、御師は伊勢の太夫と呼ばれ、天保8年から銀16匁1分が伊勢太
夫銭打として、村費に計上、戸数割されているから、その頃に村講的な存在と
なったのであろう。
                        だいさん
 講の行事としては、何年か事に行われる伊勢代参がある。佐保の高座神社の
氏子から講についていえば、この選出法等は不明であるが、総員20名で株々の
人員割りも決まっていた。
 顔ぶれ、日程が決まると、講貞一同氏神へ集まり、旅の無事を祈り水杯をな
し、絹やかねきんで作られた「神宮、天照皇大神」と大書された紅白の職を押
立てて、伊勢音頭賑やかに村はずれ神田平まで見送る。この所で、盛大に別れ
                          かみんじょ
の盃を汲み交わす。佐保川沿いに福井に出た-行は、上村の大黒屋藤兵衛方で
休息とる。大黒屋は一行に祝酒をおくる。福井を出て耳原から西国街道を芥川
に向かう、そこで伊勢からの出迎えの者とおち合い、その案内で参宮に向かう
のである。先に大黒屋から贈られた酒3升は、出迎えの者へのねぎらいとして
贈っている。ガイド付の観光旅行である。

 道中の地名に草津、石津、坂ノ下、津、くも川
等が出てくるから、だいたい
となるのである。羽目をはずした大宴会となる。
 話はもどるが、参宮に向かった留守宅へは、垣内はもとより、関係者から留
守見舞いが送られる。酒樽、同切手が主なものであるが、中には大鯛1枚とか
虎屋の鰻頑などもみられる。出立の翌日から留守宅では、宴会の準備にかかる。
土産物としての鰻頭や杓子等は、池田等で購入している。
 免山株では、大体30人分くらいの買物をしているから、村中と手伝人若干が
めやす
目安であったようであり、箸200膳を買っていることから、大体の様子がわか
るであろう。
 当日の入費参宮者、7人に割当てている。記録の中に、かずら借りちん、紅代
などが出てくるから女装していった者もあったようだ。手元の資料からは、以
上のことくらいしかわからない。また物的資料として参宮の見送りに使用した
幟(のぼり)数流、合印かと思われる紅白の布を縫いあわせた小旗のようなもの多数、当
                 てっこう きゃはん
日使用したと思われる山岡頭布、手甲、脚絆などが残っている。
 明治に入ると、新たに講田を購入して参宮の基金とした講もあったが、次第
に株内の宴会に終わるようになり、現在では、馬場の講で毎年の宴会が続けら
れているくらいである。

2015年1月27日火曜日

千里の森  近場の探索② 島熊山窯跡

1/26 行ってきました。 再調査




まだ新しいクラブで、会員を募っています。
「千里森もりクラブ」
月1回午前中  第3水曜日
場所は 千里南の「島熊山窯跡」の南側
地域は地域の人たちで守られる。 地域に根差した活動を
自治会活動を通して地域の活動を!


「島熊山窯跡」
 
    途中の公園入口                  街灯の横の道をあがります。
 
  ここまで  この尾根からは 上新田のマンション群が見える。

笹道を登るとフェンスの中に 


南西の降り口は 開けていました。

その後、千里緑地西方に広大な「市民農園」がありました。
 
市民農園からの展望、左側が「千里星雲高等学校」 

ここに「千里森もりクラブ」の会員が2名おられ

会に誘われました。 一度、行ってみたいと思います。

千里中央方面
千里星雲高等学校校舎

土が露出していますので、チョット切り過ぎではないですが!
土が流れそうです。 竹が育ちません。
高齢の人が参加です。 88歳 元気です。

今日は、近場探索① まちを歩くと、珍しいものが 

参加条件

  • 元気な方であれば、どなたでも参加できます。ただし、健康状態のすぐれない方は参加をご遠慮ください。ご自分の体力、体調をチェックされたうえでご参加ください。
  • 参加者のけがや他の与えた損害などについては、当社は一切の責任を負いません。
    万一事故が生じた場合の費用は参加者負担となります。

    注意事項

    • 自然や施設は大切に…ゴミや空き缶は必ず各自持ち帰りましょう。
    • タバコの火の後始末は確実にお願いします。
    • 天候の急変等、主催者の判断によりコースを変更する場合がありますので、ご了承ください。
    • 係員の指示及び注意事項は必ず守ってください。身体の異常などが起こった場合はすぐに係員にご連絡ください。
    • 交通ルールを守り、事故のないよう十分注意してください。
    • 必ず受付を済ませてからご参加ください。

歴史グループ  高槻資料

 これからはNPO法人として地域行政と協働しながら、世代を超えた市民交流を通じて、高槻市を中心とする三島地域の歴史的遺産や文化財の保護・啓発活動を行い、文化の華咲く豊かな地域社会の実現に、貢献することを目的として活動していきます。

協同活動事業
館内ガイドグループ
郷土玩具グループ
考古グループ
古文書グループ
散策グループ
伝統文化グループ
歴民グループ


町案内 豊中
阪急神崎川駅~最勝寺~洲到止八幡宮~下の町洗い場碑~洲到止の浜跡碑~外島樋門跡碑~東川橋欄干跡~新福寺~庄本南水門跡碑~庄本浜船着き場・常夜灯~光国寺~椋橋総社(神社)~庄内神社~庄内遺跡(庄内小学校)~庄内排水路記念碑~牛立鉄橋~阪急庄内駅

『吹田市史第六巻』のNo.174 過書方摂河村々渡船出入控帳には549頁に過書船に関係する村々の名前が出ています。
この出所は何処だ!

「渡船出入り控帳」の疑問点
1.横関村 庄屋 甚右衛門 但し村持  村名がない横関が上がっている。
2.中津川の左岸の大きな村「本庄村」がないこと。
3.連名の最後に 「吹田村住 橋本氏」 橋本氏という名前か!

2015年1月26日月曜日

ある会の組織

ある森を守る会のものです。

事務局(世話人) 
代   表
 各班長 森の手入れ班
副代表
清掃ハイキング班
運営委員
遠くを見て近くを知る班
HP   担当
 
会    計
雑木林通信班

箕面市 江戸時代の村と市町村合併  間違い探し