2009年4月25日土曜日

貴重な資料

  部屋を拝見  すごい量です。
    いつもにこにこされていますが、 特に部屋に中ではこの様子です。

 すべてファイリングされています。 ぎっしりです。
 それだけではありません。
 写真

  ネガでファイルされています。

  次はビデオですが  保存のためDVDに編集中のことです。
   おん年88歳です。  すごいですね、近くにこんな人もいました。

  今日は約2時間 次回お会いすることをお約束し、おいとましました。

  塩田豪一さん、いつまでも元気で 

探しています 道標を 能勢街道 池田市 木部

追加  2014/02/06
木部の道標  同じものを 福西茂さんも描いていました。


福西茂氏 池田の遺稿入手 歴史に関心が高い ビューが増加中。 


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塩田豪一さんとの話の中で 「以前あった道標がなくなっている」というので
  皆さん どこに行ったかしりませんか!
  この道標を探しています。
昭和60年12月13日  今の木部インターに2基あったそうです。
 1基は道路に横たわっていたそうです。 おおきさは150センチ

    左 能勢街道

 同じところにもう一基 自然石で

 右 かめおか
 左 多田みょうけん

  一方通行の標識の下の自然石がそれにあたります。
  この道標 池田の資料にはありません。 「」
 平成7年4月18日  ありません。家の様子が違うので もう少しなんかしたところでしょう。
 右手の木が目印ですが
 
 
  私が見つけた道標はこちら
  まだまだあるのではないでしょうか!  あなたが発見者

 

能勢町 塩田豪一氏 訪問

この二〇年間 能勢町で町の歴史の編纂等に携わってこられました。
その一部 街道をまとめられたのが下記
    「能勢の街道と参詣道」

 そのほかに フルカラー2冊
 「千軒道・国崎道」
 「思い出の里 能勢」 


      立派なものです。

 塩田豪一氏   能勢町 森上の自宅にて 4/24
  能勢町への思いを語っていただきました。
 「町のために何かできること、 
        今ある伝統を語り継ぐ、記録に残す。」
 一庫ダム工事には、毎週のように出かけ、写真を撮られたそうです。 湖に沈むことを想定し、ある高さから定点での撮影もやられました。  工事関係者が「また来とるのか!」といわれたそうです。毎週なので、工事事務所の所長さんから特別に「入構許可書」を頂いたそうです。 その許可書も見せて頂きました。

 話の中で 福西 茂さんの話題が上がり 
 福西 茂 さんは 能勢町神山出身で最初能勢町を書かれたそうです。
 絵は素人でお世辞にもうまいとわおもわれなかったようでした。
 その後、 豊中市、箕面市、池田市、大阪市平野区を書かれ
  本には箕面市、豊中市、平野区で出版されたそうです。
能勢町は塩田さんと一緒に回り、描かれたそうです。  完成後は能勢町で展示会を開催され、資料を能勢町に寄贈されたそうです。 
 私は「豊中の・・・・」の原画集を出版しました。


 次回 探しています。

つながり   塩田豪一氏 と出身地が同郷 
        「福西 茂 画集」
         「豊中の史跡たずね描き」
         豊中市立図書館

2009年4月24日金曜日

おもろいソフト

 ちず丸距離計測 で 健康管理
  今回利用したソフトです。
 ハイキングをやられる方には重宝します。
 歩く距離、徒歩時間、そして 消費カロリーを出してくれます。
 今はまだ「フリーソフト」です 一度 使ってみてください。


  今回 山田から茨木市宇野辺をMBSルートと市場池経由とを
比較してみました。

 次は豊津から吹田の渡し経由と片山を通るルートで検索してみます。

2009年4月23日木曜日

京への道 5 豊中の道標から

豊中市の道標 から見る
豊中市以外のの地名
大坂 12
箕面  7
京   5
柳谷  1
山田  1
茨木  2
吹田  1
池田  5
能勢  1
尼崎  1
伊丹  1
下新田 1
 その他信仰上の行き先に
 佐井寺1・勝尾寺11・妙見2・中山3・多田1がある。
地名として大坂が一番多く、次に勝尾寺11、箕面7となる、
そこで地図上で豊中以東の地名を上げると
 遠い地名から 京、柳谷、茨木、吹田、山田があるが数少ない。
現存する道標で「京への道」(豊中の京街道)を辿ってみる。
 前回、京へには他の資料で調べた結果 一般的には高槻街道を利用し
 吹田 → 茨木 → 高槻 → 西国街道となるのが一つのルートとなる。
 そこで、道筋の吹田、茨木を辿ることになる。

豊中市内から京に向かうには 上新田、小曽根を目指して他市、村に向かい、それぞれが山田、吹田に通じることになる。
  上新田東口の道標 右 山田 いばらぎ をめざす。
 
 小曽根の「京」珍しい一文字の道標 吹田を経て京都を目指す

 山田、吹田の次は行き先は同じく茨木市下中条町で宇野辺から来た高槻街道と合流するから京を目指すことになる。
 山田ルートは道標がないが宇野辺に、「左 山田」の道標がある。それで宇野辺を目指す、山田の伊射奈岐神社で左に折れ、宇野辺に向かう。また、山田からはそのまま東進すると市場池で亀岡街道に出会うそこから宇野辺を目指す。このコースは少々遠くなるので伊射奈岐神社から宇野辺のルートが近道になる。3.03キロメートル市場池のルートはそれより1300メートル遠いので山田から宇野辺へ向かったのであろう。
 吹田ルートは亀岡街道・高槻街道で宇野辺にむかう。約4.33キロメートル

2009年4月22日水曜日

 妙見口の道標
  能勢町にメールで問い合わせ16日
 まだ 返事はいただいていません。

 それで能勢の道標に詳しい
 「能勢の街道と参詣道」の作者
   塩田豪一 さんに電話で問い合わせ

  (資料一覧はこちら
 残念ながら 質問の道標は知らないとのこと
  見つけた道標 で取り上げた 前川橋の道標は
  この本で知ることができました。と話しました。
 
  長いこと電話で話しました。
   一度お会いしたと思います。 塩田さんも了解してもらいました。
 
      

2009年4月21日火曜日

京への道 4  宇野辺 茨木 高槻 

宇野辺のこの道標で高槻街道と東に取る。

 この後 資料集「大阪の街道・道標」で「京」への経路をとる。
☆ 表示は「京」と書かれている面をすべて書きました。
☆ 最後の数字は資料「大阪の街道・道標」の道標番号です。
① 右 京 茨木 ぞうじ寺         535
② 右 京 八幡 三島江 唐崎 富田 高槻 536
③ 右 富田街道 鮎川 □垣 三島江    537
  左 高槻街道 高槻 山崎 京都
④ 右 京 山崎 高つき 茶川       538
  左 能勢妙見 かぶさん
⑤ 左 高つき 茶川 京          539
⑥ 右 高槻街道 高槻 山崎 京都     541
  左 高槻街道支線 高槻停車場 茶川
⑦ 右 八はた 淀 前島 舟のり場     543
  すぐ 京 伏見 山ざき 柳谷 よしみね
⑧ 右 京 山崎 淀 柳谷 ふしみ 宇治 八幡 544
⑨ 左 京 ふしみ よど 八幡 山崎 柳谷   545
 以上 宇野辺から「京」9コを数えた。同様に「大坂」も多くあり
 京都と大阪を結ぶ幹線であったようだ。
 そのほかには 「吹田」が3コ、遠いが「尼崎」が3コあり、
 その他には信仰上の 勝尾寺、能勢妙見、柳谷などが表記されている。

 高槻街道は大阪の高麗橋から亀岡街道を北上し宇野辺から東方
に進み茨木、富田、高槻を経て終点高槻市安満で西国街道と合流する。  
 これで、豊中市以東における「京」への道がわかる。
 豊中から京に向かうには「北東方向」へ道を選んだようだ。

逆にたどると 豊中市以東で道標に豊中関係が表記されているのは
 「岡」が2カ所で見つかっている。吹田南町の道標 左 中山 池田 岡 伊丹 529   
 また「上新田」と同記載が三辻の道標で 左 上新田村 をか町 いたみ とある。  
 その他に「上新田」は箕面市小野原にある道標で表示されている。

「京への道」 
 豊中で上がっている地名は「大坂」10コ「吹田」「茨木」「山田」「柳谷」等がある。
 京に近い 茨木 山田を頼らねばならない。
 無謀の仕業か  道標がないと京にはいけません。昔の人はどうしていたのでしょうか!

 なくなったのが本当でしょう。
昔は村はずれに行き先を示す道標があったのでしょう。それがいつしか忘れられ、廃られたのでしょう。
 高槻城下からの出口には道標がある。 同様に上新田村からの出口にも道標がある。
 この2つの例は希有なことのようだ!

2009年4月20日月曜日

京への道 3  吹田の渡し 茨木 亀岡街道

神崎川を吹田の渡しで吹田に入る  京都を目指す
  
渡ってすぐ「南町道標」

右 茨木 惣持寺 京 富田 高槻 勝尾寺 茶川 とある。
そのまま右手に進むと  「六地蔵道標」があり

左 茨木 富田 福井 山田 「京」 とある     反対側には
右 勝尾寺 惣持寺  とある。  そのまま進む 昭和町でJRをくぐる。今は道はない。
天道で国道126号線 大阪高槻京都線を横切り そのまま 北進
摂津市の市場池公園内にに大きな道標がある。 ここは摂津市
向こうに見える「イズミヤ」は吹田市

右 亀岡街道 亀岡 高槻 京都
左 小野原街道 山田 小野原 勝尾寺
左に取ると 山田 小野原である。
そのまま右に 宇野辺に向かう 。 三宅村大字宇野辺の道標

高槻街道
亀岡街道
ここで 右に折れ 奈良村、茨木村、富田村、高槻市をへて「京」に向かう。

ここでちょっと寄り道をします。
この道標をそのまま北進し、少し向かうと道標があります。

茨木宇野辺郵便局のそばにある道標
左 山田   右 亀岡
(訂正 山田街道は豊中市上新田から山田からMBSの横を通り、青葉丘北から下穂積から松ケ本町で大阪高槻京都線を渡り、JRをくぐり、下中条町で宇野辺から来た高槻街道と合流するルートが山田街道です。ですから、ここの山田への分岐は枝道となります。}
寄り道ですがこの道標で
左に取り、山田街道で万博とMBS毎日放送の谷筋の抜け万博からの道と交差する堅切山北の交差点を手前を左に取り、名神下で「小野原街道」に出会い、左に取ると市場池、右に取ると山田東1丁目にある伊射奈岐神社

道標はないが
市場池からの「小野原街道」と出会いで、そのまま西進むと佐井寺へ、(橋を渡る方向)
この辻を右に折れ山田の旧道小野原街道を北進する(信号機 赤)と
「山田三つ辻」の道標に出会う。ここまで道標は見つかっていない。
山田下村で合流する道が大きいので合流点はもっと南の堅切山、山田名神下だとおもわれる。
この2カ所にも道標は確認されていない。

小野原街道を北上すると、「三つ辻」道標 三角柱で出来ている非常に珍しい物である。
三辻の表記は   左 上新田村   をか町  いたみ
右 をの原村  みのを かちを寺 いけだ 妙見山 中山寺   とされている。
左に取り、ここからは堺布施豊中線で山田の駅を越え、津雲台から豊中の上新田村に入る。豊中です。
ここで 上新田東口道標には、「左 かつおじ  右 いばらぎ 山田」とあり、三つ辻と対になる。 
だから、上新田からはここを通り 道標が残っている枝道で宇野辺に向かい茨木を目指すことになる。
吹田市の案内板がありました。

それによりますと宇野辺からの山田街道と小野原街道の合流点は山田下村大神木(だいのき)橋袂で現在の山田名神下交差点あたりになります。 これもちょっと違うようですが別の機会に
大神木橋を渡ると祠があります。 これが次のターゲット
 

話がそれましたが、山田街道は上新田を起点とし、青葉丘北から下穂積から松ケ本町で大阪高槻京都線を渡り、JRをくぐり、茨木市下中条町で宇野辺から来た高槻街道と合流するルートが山田街道です。茨木では、宇野辺郵便局横の道標「左山田」が唯一の山田街道を指していますが、これは、枝道です。
歴史のある山田ですが、道標は1コしか存在しません。「三辻」だけです。後は、市場池の道標になります。
先ほどの山田の伊射奈岐神社では道標が見つかっていません。ですから、宇野辺の郵便局横の道標と対になる道標は「三つ辻」に行き、豊中市の上新田の東口道標の「右 いばらぎ 山田」に対応することになる。遠いですね。

街道に関して別なページ
http://space.geocities.jp/fkyws889/0709tuki2.html#kami_sin



京への道 2  高槻街道

交通網の発達した現代
 足で歩いて都・京都への道
大きな街道は京都を目指す。
 京街道は大阪市から京都へ向かう。
 西国街道も京都に向かう。

豊中から京都へ向かうことはしばらく置いて
まずは豊中市より東の北摂の村から京に向かうルートを検索してみます。
 調べると高槻街道・京街道が重要であったようである。
 大阪市を出発した高槻街道は吹田市では亀岡街道と言われ、宇野辺まで同じルートを取り、
この道標で亀岡街道と別れ高槻街道となる。

亀岡街道の宇野辺で、茨木市に入る、茨木川、安威川を渡り、富田村、堤村、高槻町、大冠村を通り、高槻市安満・八丁畷で西国街道に出会う。それ以後京都東寺へ向かう。
  陸路としてはこのルートであろうが、茨木・高槻では「渡し」への道標が多いので、
水路淀川を利用したコースも多くあったと伺える。
 

ゴミ捨て場??  呉服橋の道標

自然と歴史と文化が息づく”落語のまち池田”ハイキング
 道標「巡礼橋」のそばの道標

    ごみと一緒です どこかに持ち去られる可能性があります。