2009年4月18日土曜日

城陽市の道標

 4/9 早速 返事ありました。 土・日にもかかわらず。
    良い市ですね! 
 城陽市観光協会から回答 
   「この道標には「左うちみち」と彫ってあり、読みは「左うじみち」です。ご覧いただいたようにこれは古い道標で、多分江戸時代初めかそれ以前と云ってもおかしくないのではないかと思っています。歩かれた流れ橋から東へ伸びる道は府道ですが、これを昔は「浜道」と云っていました。道標の立っている道は府道より細い道となっていますが、この道幅が昔の浜道の巾ではないかと思います。そして「大和街道」(秀吉が軍事目的で開いたと言う旧奈良街道)を横切って宇治にいたる道です。
浜道は木津川岸に昔、船着き場があり大阪・京都方面・淀などからさかのぼって荷を運んだ舟運の拠点としていました。
陸揚げした荷は浜道を通って宇治へ運ばれたわけです。

この道標は、京都周辺・大阪・滋賀県などに沢山ある「三宅安兵衛」建立の碑とは異なり、多分江戸時代中期以前に立てられたものであろうと考えております。
なお道標のある一帯の地名は「指月」と言いますので、
この道標を「指月の碑」と言い習わしています。 」
   以上

  ありがとうございました。 初めての土地ですので分からず問い合わせしました。  もっと 調べ・勉強します。

 流れ橋 の見学の後
   近鉄「久津川駅」近く 
    『指月の碑』

   これも資料にはないのではないでしょうか!
    「左 うちみ」  これは 「宇治道」とのこと
                通称 「浜道」と言われている。

4/18 城陽市観光協会 に問い合わせ
  4/19 回答あり ・・・早い 
  
   

2009年4月15日水曜日

上新田村と高槻城下の道標

 上新田村の出口に4つの方向に道標がある。
  東西南北 現在まで4つありましたが、
  いままで、上新田村で一番西にあった道標は
    
   右 ざいしょ

   左 大坂 3里
   表示 右 ざいしょ 指示の通り行くと集落はなく、島熊山の尾根を越し、箕面に向かうので、あまりに遠いのを、ざいしょとは言わないと思っていました。左に取ると落合橋手前で左に取り旧新田小学校前を通る三国街道で大阪に向かうルートになります。ですので、分岐としては上新田村の「西の端」、旧新田小学校が大事ですから、この道標はここに移築されたものと考えていました。
 新しく見つけた道標は途中で折れていますが、明らかに三国街道と熊野田道との合流地点・分岐点旧新田小学校横「西出口」の道標で


     左 大坂
     右 くま   が はっきりと記されています。
  文化が残っていました。 上新田村  「五一会」もありましたしね!


  これと同じように、出口に行き先の道標の形態を取っているのが

高槻城下の道標
高槻城下の道標  です。 京口 前島口、大塚口、富田口、茶川口の出入り口があり道標がある。

2009年4月14日火曜日

上新田 出口道標

  上新田北出口
    馬頭観音像 「右 か」(つおじ)

   裏面
   「上」ではないか!  横棒より左下に掘りがあるように見られるが!
   周りのコンクリートを剥がすとわかると思われる。
  長老の話では 「この道を北に取ると 今の千里中央を抜け
  萱野から箕面に向かう道であった。」
  ある資料には、この道標と対になる道標が東出口よりさらに東に
 「右 みのお」 という道標があった。と記されていて、この北口道標には 「右 みのおみち」とあったと言われている。
  私もそう思うのですが、「右 みのお」であって欲しい。

2009年4月13日月曜日

京への道 1  道標から見えてくる   

千里中央から京都に行くには
  JRを使うか 阪急を使うか
  新大阪、梅田に出るか  
 又は南茨木まで行くか 
   あなたはどの方法を取りますか?

さて、昔は都(京)、京都 に行くには
江戸時代の人たちはどういう経路をたどったのでしょうか!
豊中から京都に登る道筋は
 道標からの教え

 豊中市で「京都」を示す道標は5つ 「豊中の道標」こちら
 ① 小曽根の「京」一文字の道標
 ② 豊島小学校にある能勢街道辻にあった常夜灯
    「右 京 茨木」
 ③ 原田神社近くの瑞輪寺の台座道標
    「左 京 道」
 ④ 箕面街道から「逢う阪」に折れる 柳谷道標
   「すぐ 柳谷 京 道」 ⑤ 新免から箕面街道を横切り「車坂」を降りて熊野田に行く 豊中で一番大きい道標
   「すぐ 上新田 京」
 の5つがある。
  京に近づく村名で「山田」が熊野田と上新田の2カ所「いばらぎ」が上新田、妙見宮常夜灯の2カ所、「吹田」が梵字大峰道標の1カ所
  近隣では池田市の石橋に能勢街道と西国街道の交差点の道標が
  「すぐ 大坂 京」とあり、豊中を通り、京に向かったのでしょうか?
 また、豊中を通ってから京に向かうのであろうか! 
   西国街道を通るのが普通だろうでしょうがね。 
  どちらにしても もう一つ道標が欲しいところです。
 もう一つは 箕面市の東端の小野原で「左 京ふしみ」が京都を目指す。
  道標は案内板ですが、交通路、電車の現在では使われない道標は「点」です。
   次は 「点」と「点」を結んでみましょう。
    京都への道は ・・・・・・・・・