2015年10月3日土曜日
天文 24 室町時代
享祿 | 4 | 1531 |
天文 | 1 | 1532 |
天文 | 2 | 1533 |
天文 | 3 | 1534 |
天文 | 4 | 1535 |
天文 | 5 | 1536 |
天文 | 6 | 1537 |
天文 | 7 | 1538 |
天文 | 8 | 1539 |
天文 | 9 | 1540 |
天文 | 10 | 1541 |
天文 | 11 | 1542 |
天文 | 12 | 1543 |
天文 | 13 | 1544 |
天文 | 14 | 1545 |
天文 | 15 | 1546 |
天文 | 16 | 1547 |
天文 | 17 | 1548 |
天文 | 18 | 1549 |
天文 | 19 | 1550 |
天文 | 20 | 1551 |
天文 | 21 | 1552 |
天文 | 22 | 1553 |
天文 | 23 | 1554 |
弘治 | 1 | 1555 |
江戸時代の絵図から
全国規模で国ごとの地図が作成されました。
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、
現存している絵図で「元禄」の絵図
江戸時代最古のもの6年の歳月で完成
村名と石高、山、川、街道等が描かれている。
重要文化財
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000945
村名と石高、山、川、一里塚、街道等が描かれている。 から
いくつかの新しい真実が上がりました。
① 街道でいうと吹田村には一里塚が書かれている、また
亀岡街道と吹田街道が書かれている。
② 吹田街道が 出口村と吹田村に分岐し 片山村を通る街道が描かれている。
出口村に一里塚がある。
③ 小野原街道は 山田三つ辻に道標があるが 街道は
山田下村から小川村枝別府村を通るルートになっている。
④ 一般的に言われている 「小曽根の渡し」の記載がなく
別名 「廣芝舟渡川幅貮町」としるされている。
⑤ 「長柄の渡し」の記載はあるが 「本庄の渡し」、「横関の渡し」は記載されていない。
「十三の渡し」、「三国の渡し」が記載されている。
⑥ 三国からの街道・能勢街道は岡村を通るルートはない。
小曽根から天竺川を渡り、長興寺村 新免村のルートになっている。
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、
現存している絵図で「元禄」の絵図
江戸時代最古のもの6年の歳月で完成
村名と石高、山、川、街道等が描かれている。
重要文化財
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000945
村名と石高、山、川、一里塚、街道等が描かれている。 から
いくつかの新しい真実が上がりました。
① 街道でいうと吹田村には一里塚が書かれている、また
亀岡街道と吹田街道が書かれている。
② 吹田街道が 出口村と吹田村に分岐し 片山村を通る街道が描かれている。
出口村に一里塚がある。
③ 小野原街道は 山田三つ辻に道標があるが 街道は
山田下村から小川村枝別府村を通るルートになっている。
④ 一般的に言われている 「小曽根の渡し」の記載がなく
別名 「廣芝舟渡川幅貮町」としるされている。
⑤ 「長柄の渡し」の記載はあるが 「本庄の渡し」、「横関の渡し」は記載されていない。
「十三の渡し」、「三国の渡し」が記載されている。
⑥ 三国からの街道・能勢街道は岡村を通るルートはない。
小曽根から天竺川を渡り、長興寺村 新免村のルートになっている。
まちを歩くと いろんな出会いがある。 気になっていた欄干 「増島橋」

イベント情報は 右側の ラベル「予定表」をクリック。
忘れられた橋 「増島橋」 その②
ここは、宮原、 出口から淡路の「新太郎松樋」の中島大水道へ
赤橋のJR貨物線も改修工事、南吹田駅と繋がる。
新大阪駅から内環状へ。陸の孤島は相変わらず、
いやいや、橋が出来ています。
手前にあるのが 「増島橋」親柱
2015年10月2日金曜日
「命のビザ」と「日本最古の石碑」が記憶遺産
今年も話題になりました。 「日本のシンドラー」
第二次大戦中ナチス・ドイツ迫害から多くのユダヤ人を救った 71年前の話
外交官 杉原千畝(ちうね)氏
戦後「多くのユダヤ人が杉原氏を探す。」 探し当てるのに28年係った。
「あなたは私のことを忘れたかもしれませんが、私たちは片時たりともあなたの事を忘れたことはありません。28年間あなたのことを探していました。
「あなたは私のことを忘れたかもしれませんが、私たちは片時たりともあなたの事を忘れたことはありません。28年間あなたのことを探していました。
やっと、やっと会えました”Sempo Sugihara”。」
助けられた一人のニシエリが参事官として日本のイスラエル大使館に赴任し、八方手を盡すが、見つからない。
「「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」
新聞やテレビで騒がれるようなことじゃないよ。
「私は、ただ当然の事をしただけだから。」と後に語っている。
辞職(1947年) 名誉回復(2000年) まで 54年間 長いな・・・・・
今年の新聞では、香港の日本居留地に「ユダヤ人」を抑留していた。
「「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」
新聞やテレビで騒がれるようなことじゃないよ。
「私は、ただ当然の事をしただけだから。」と後に語っている。
辞職(1947年) 名誉回復(2000年) まで 54年間 長いな・・・・・
今年の新聞では、香港の日本居留地に「ユダヤ人」を抑留していた。
ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(11)感動の再会
杉原千畝物語(1)
.杉原千畝物語(2),杉原千畝物語(3)、杉原千畝物語(4)、
杉原千畝物語(5)、杉原千畝物語(6)、
杉原千畝物語(7)、杉原千畝物語(8)、杉原千畝物語(9)、杉原千畝物語(10)、
杉原千畝物語(11)
郷土の人物 説明がない吹田の碑 人気沸騰中 2014年5月15日木曜日
シンドラーはドイツ人実業家
ポーランドの工場にナチス人労働力の提供を要請し、労働者の名簿を提出、雇用することで強制収容所に送られる運命にあった1200人の命を救った。
映画「シンドラーのリスト」
「日本最古の石碑」 山上碑 高崎市
2015年10月1日木曜日
「引江の渡し」があった!2 古い地図追加 2024/06/07
平塚さんから 絵図が贈られてきました。 有難うございます。
以前の紹介ページ
「吹田にもう一つの「渡し」があった! 伏越樋の図解」
2011年10月13日木曜日
大坂町中並村々絵図
渡し 右から 「吹田の渡し」、「新田の渡し」:「引江の渡し」、
丸印は「榎木の渡し」、一番左が「小曽根の渡し」
摂津市史別巻表紙(1 827年)淀川浚渫騒 動の際の資料図
以前の紹介ページ
「吹田にもう一つの「渡し」があった! 伏越樋の図解」
2011年10月13日木曜日
明治18年仮装図 では、吹田側「字上新田」から
対岸の「淡路字引江」(引江村)へ渡しの様になっている。
さらによく見ると、神崎川両岸の堤防には道路があり、その道から河原に降りる道がある。
起は定かでないが、江戸時代からあったものとおもわれる
明治18年には、その形跡が伺えることが出来る。
明治44年大阪府に出された「新田渡船場」 渡船願いは、ズート後のことになる。
この渡しは、街道としての渡しの使用でなく、近隣の交通手段としてつかわれていたもので、歴史上には登場していなかったものと思われる。 上新田村と引江村 名称は・・・・
上新田は千里中央にもあるのですが、ここにも「上新田」
「新田の渡し」:「引江の渡し」としました。
以前上新田で見つけた道標にこの村から出口、全てにあるので「上新田西口道標」と命名しましたが、 分かりやすいのは「旧新田小学校の道標」であれば、分かりやすいと思い、加えました。
引江の右側にある川・水路が「新太郎松樋」の「中島大水道」の起点となります。
左には 蒲田街道の蒲田村が見える。
明治18年の地図と 文章を追加 2015/09/27
古い地図追加 2024/06/07
淡路駅の左上に 「新太郎松樋」が書かれている。
がんこ 宝塚苑からの回答
早速の回答がありました。
「がんこ 宝塚苑」 店長さんからの返事
わざわざ写真を撮っていただき。 有難うございます。
写真に番号を入れておけばよかったですね。
家主さんに問い合わせ、「先代が収集した物で、正確なことは不明」とのこと
「がんこ 宝塚苑」 店長さんからの返事
わざわざ写真を撮っていただき。 有難うございます。
写真に番号を入れておけばよかったですね。
家主さんに問い合わせ、「先代が収集した物で、正確なことは不明」とのこと
写真② 灯篭
本来は5重の塔で阪神大震災で被災倒壊して、今の三重塔にしたそうです。
2015年9月30日水曜日
蓮 臺 野 ??? もう一つの石物 がんこ亭宝塚苑
京都で野がついている所は埋葬地と思っていい
墓地。火葬場。地名となっている所が多い。特に、京都市北区船岡山の西麓の地が有名
化野・蓮台野・鳥辺野・紫野・・・昔の葬送の地
京都には鳥部野(とりべの)・蓮台野(れんだいの)・化野(あだしの)等があります。
鳥部野は今の清水寺です。清水の舞台の下あたりと言われています。
鳥辺野という地名について、死んだ人を木に吊し、その肉を鳥に喰らわせる「鳥葬」の地だった事から名付けられた。
延鎮上人がそれらの魂を供養しようと、宝亀9年(778)に“音羽の滝”近くに庵を結んだのが清水寺の始まりです。
その後奥州征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が、水を求め立ち寄り(これが清水寺の名の由来)延鎮上人に帰依し、征伐の終わった延暦17年(798)に、京都に都が移るまで都であった長岡京の旧宸殿を移築したのが今の建物の前身です。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
墓地。火葬場。地名となっている所が多い。特に、京都市北区船岡山の西麓の地が有名
化野・蓮台野・鳥辺野・紫野・・・昔の葬送の地
京都には鳥部野(とりべの)・蓮台野(れんだいの)・化野(あだしの)等があります。
鳥部野は今の清水寺です。清水の舞台の下あたりと言われています。
鳥辺野という地名について、死んだ人を木に吊し、その肉を鳥に喰らわせる「鳥葬」の地だった事から名付けられた。
延鎮上人がそれらの魂を供養しようと、宝亀9年(778)に“音羽の滝”近くに庵を結んだのが清水寺の始まりです。
その後奥州征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が、水を求め立ち寄り(これが清水寺の名の由来)延鎮上人に帰依し、征伐の終わった延暦17年(798)に、京都に都が移るまで都であった長岡京の旧宸殿を移築したのが今の建物の前身です。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
正面 蓮 臺 野
右面 享禄己丑二年正月
2015年9月29日火曜日
古文書 検索レジメ を頂きました。一度チャレンジ 大阪市立大学学術情報総合センター
横関村・横関街道 関する資料検索
①大阪市立大学学術情報総合センターへアクセスする。
http://libweb.media.osaka-cu.ac.jp/
②ツールバーの「電子コレクション」を選択
③-A
3番目の「近世資料室」:「日本経済史資料」画像データベースを選択
→「閲覧」→「利用目的確認」→入力→enter
→「キーワード検索」を選択
→「淀川横関渡船記録」と入力
→「詳細表示」選択
→古文書の最初の画像が表示される
*画像の閲覧だけです。
*ほかの文書を探す場合は「バーチャル検索」を使ってみてください。
③-B
2番目の「近世史料古文書」:「近世大坂三郷・近郊古文書画像データベース」を選択する、
djvuファイル閲覧用プラグインがダウンロードできます。
その後、
→ enter
→ 簡易検索 「淀川横関渡船記録」と入力
→ ヒットした 1淀川横関渡船記録 をクリックする
→ http://dlisv03.media.osaka-u.ac.jp/infolib/user_contents/Jecoh/detail/09061.djvu をクリックする。
→ 最初の画像が表示されます。
*ツールバーのFDマーク 文書の保存 をクリックするとダウンロードできます。
1枚単位、文書単位 両方選択できます。
試してみてください。ほかにもいろいろな古文書原本が見れます。
①大阪市立大学学術情報総合センターへアクセスする。
http://libweb.media.osaka-cu.ac.jp/
②ツールバーの「電子コレクション」を選択
③-A
3番目の「近世資料室」:「日本経済史資料」画像データベースを選択
→「閲覧」→「利用目的確認」→入力→enter
→「キーワード検索」を選択
→「淀川横関渡船記録」と入力
→「詳細表示」選択
→古文書の最初の画像が表示される
*画像の閲覧だけです。
*ほかの文書を探す場合は「バーチャル検索」を使ってみてください。
③-B
2番目の「近世史料古文書」:「近世大坂三郷・近郊古文書画像データベース」を選択する、
djvuファイル閲覧用プラグインがダウンロードできます。
その後、
→ enter
→ 簡易検索 「淀川横関渡船記録」と入力
→ ヒットした 1淀川横関渡船記録 をクリックする
→ http://dlisv03.media.osaka-u.ac.jp/infolib/user_contents/Jecoh/detail/09061.djvu をクリックする。
→ 最初の画像が表示されます。
*ツールバーのFDマーク 文書の保存 をクリックするとダウンロードできます。
1枚単位、文書単位 両方選択できます。
試してみてください。ほかにもいろいろな古文書原本が見れます。
宝塚市教育委員会からの回答 がんこ亭宝塚苑の石物
がんこ亭宝塚苑の庭先にある石造品についてですが、ブログの写真を
確認したところ、石造の層塔と呼ばれるものだと思われます。
層塔には木造や石造のものがあり、三重、五重、九重、十三重のもの
などが造られています。これは、石造の三重の塔になります。
また、道標についてですが、詳細についてはこちらでも
把握できておりません。
京方面と伏見方面の表示がなされていますので、京と伏見の分岐点に
設置されていたものと思われ、宝塚周辺にあったものではなく、
もっと京都に近い場所にあったものを移設したのではないかと思われます。
このがんこ亭宝塚苑につきましては、元々、個人の邸宅であった場所を
利用しておられます。庭園についてもその当時のものをほぼそのまま
利用されておられ、設置されている石造品につきましても、その頃に
所有者の方が集められたものだと聞いております。
また、ご不明な点等ありましたら、ご連絡ください。
宝塚市教育委員会 社会教育課
TEL:0797-77-2029
******************* がんこ亭宝塚苑での調査(?食事)
有難うございました。
結果として
経緯 旧在所は不明 レプリカかも不明とのことだと思います。
がんこ亭からは、返事がない。
前回はの池田の場合は その日の内に 返事をもらったのだが・・・・
確認したところ、石造の層塔と呼ばれるものだと思われます。
層塔には木造や石造のものがあり、三重、五重、九重、十三重のもの
などが造られています。これは、石造の三重の塔になります。
また、道標についてですが、詳細についてはこちらでも
把握できておりません。
京方面と伏見方面の表示がなされていますので、京と伏見の分岐点に
設置されていたものと思われ、宝塚周辺にあったものではなく、
もっと京都に近い場所にあったものを移設したのではないかと思われます。
このがんこ亭宝塚苑につきましては、元々、個人の邸宅であった場所を
利用しておられます。庭園についてもその当時のものをほぼそのまま
利用されておられ、設置されている石造品につきましても、その頃に
所有者の方が集められたものだと聞いております。
また、ご不明な点等ありましたら、ご連絡ください。
宝塚市教育委員会 社会教育課
TEL:0797-77-2029
******************* がんこ亭宝塚苑での調査(?食事)
有難うございました。
結果として
経緯 旧在所は不明 レプリカかも不明とのことだと思います。
がんこ亭からは、返事がない。
前回はの池田の場合は その日の内に 返事をもらったのだが・・・・
石橋で見つかった道標 早い返事「がんこ亭」をご覧ください。
2015年9月28日月曜日
2015年9月27日日曜日
吹田博物館展示物
淀川両岸一覧 安政3年 1856年
大阪市立博物館蔵

吹田の渡し(摂津名所図会大阪市立博物館蔵)

細川高国・晴元 合戦
国人領主(こくじんりょうしゅ)
芥川・茨木・三宅・吹田・池田
享禄4年1531 摂津国内を転戦し 天王寺で激突 高国は敗れ、尼崎で自害する。

浄土真宗
宗祖 親鸞
存覚(ぞんかく)布教活動をを主に刀根山常楽寺 父は3世覚如かくにょ 親鸞の末娘 覚恵の長男 浄土真宗 本願寺成立後 覚如が定めた 、弟は従覚
8世 蓮如 本願寺中興の祖
11世 顕如(けんにょ)
荘園
平安時代 東寺領垂水の庄、 醍醐寺末清住寺領吹田の庄、醍醐寺末宝塔院領吉志の庄、関白家領垂水東牧・西の牧
鎌倉時代 興福寺 春日神社も領主
蔵殿庄 七条院 から 西園寺家・・・・伝わる
実相院領正木の庄
室町時代 中島崇禅寺の所領

大阪市立博物館蔵
吹田の渡し(摂津名所図会大阪市立博物館蔵)
細川高国・晴元 合戦
国人領主(こくじんりょうしゅ)
芥川・茨木・三宅・吹田・池田
享禄4年1531 摂津国内を転戦し 天王寺で激突 高国は敗れ、尼崎で自害する。
浄土真宗
宗祖 親鸞
存覚(ぞんかく)布教活動をを主に刀根山常楽寺 父は3世覚如かくにょ 親鸞の末娘 覚恵の長男 浄土真宗 本願寺成立後 覚如が定めた 、弟は従覚
8世 蓮如 本願寺中興の祖
11世 顕如(けんにょ)
荘園
平安時代 東寺領垂水の庄、 醍醐寺末清住寺領吹田の庄、醍醐寺末宝塔院領吉志の庄、関白家領垂水東牧・西の牧
鎌倉時代 興福寺 春日神社も領主
蔵殿庄 七条院 から 西園寺家・・・・伝わる
実相院領正木の庄
室町時代 中島崇禅寺の所領
「絵図っておもしろい」 吹田博物館
10月3日(土曜)13時00分~13時50分開会式・展示解説
14時00分~15時30分
講演会「日本地図のあゆみ-行基図から伊能図まで-」
講師/三好唯義氏(神戸市立小磯記念美術館)
会場/当館講座室
定員/先着120名
博物館へ行こう 秋はイベント色々

14時00分~15時30分
講演会「日本地図のあゆみ-行基図から伊能図まで-」
講師/三好唯義氏(神戸市立小磯記念美術館)
会場/当館講座室
定員/先着120名
博物館へ行こう 秋はイベント色々

吹田博物館
会期/平成27年(2015年)10月3日(土曜)
~平成27年(2015年)11月29日(日曜)
開館時間/9時30分~17時15分
休館日/月曜日、祝日の翌日
(ただし10月12日、11月23日は開館)

10月31日(土曜) 14時00分~15時30分
「絵図から読む江戸時代」
講師/上杉和央氏(京都府立大学准教授)
11月14日(土曜) 14時00分~15時30分
「絵図から読む近代」
講師/天野太郎氏(同志社女子大学教授)
10月10日(土曜) 14時00分~15時30分 終了しました。
「神崎川絵図から見た江戸幕府開発・治水政策の変化」
講師/村田路人氏(大阪大学教授)
いずれも
会場/当館講座室
定員/先着120名
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