2008年7月25日金曜日

牧落 勝尾寺大阪道 古い道標(府下4番目)

 6/19 箕面街道・西国街道との分岐 箕面市牧落 享保五年1720)の道標
      
 13日に豊中市に質問しましたが、いまだに 何の連絡もりません、 他の市とは大違い、豊中市どうなっているの     6/24  豊中市より返事あり
  北大阪ミュージアムマップも返事がありません、  どうなっているいるのでしょうか! 

           7/24 現在 返事無し メールが届いてないのでしょうか?

  質問 受け取ったというメールでいいのに!


 6/17 大阪道  勝尾寺から大阪へ  今宮、上新田を通るルート  

     池田の 新宅(木部)、東山、久安寺の道標 (池田の道標一部修正)を見てきました。

       池田市は 史跡の案内 「能勢街道」、「余野街道」の案内板があり、


       寛文十年(1670) 久安寺の道標が記されています。



 6/14 吹田市立博物館から電話がありました。

  前にメールで問い合わせた件(片山の道標 3つについて)の回答でした。

       記録がないとのこと文字が見える年代不詳  

   以上
 
  「大阪」という文字が見れるのと、近くに地蔵さんがあるので「道標」だと思いますが!!

  拓本を採らねばなりません、  残念です、 

  その他のことも聞きました、 一つだけ分からない道標があります、 この道標は個人の家にあり

       移築されたものと答えられました。       

 6/13 豊中市に道標について 問い合わせ。 上新田の新しい道標 について

   道標の歴史を正しく後世に伝えることです。それが現代に生きる我々の努めである、

質問内容

   1.時代を間違った表記になっていること
   2.道標、街道の案内板の設置について

2008年7月24日木曜日

現代人の役割  歴史の伝承 道標:街道

6/12 街道新しい情報    豊中にも道標に詳しい人がいました、 小学校の先生です。

吹田市立博物館へ 質問状
       
北大阪ミュージアムマップ を拝見しました。   

        不都合な点がいくつかあります。  
        

1.下記のページに記載されている「道標」は府下で最古と書かれているのですが、 本「大阪の街道と道標」によりますと 3番目に古いと書かれています。 

    このように表示されいる 根拠を お教え下さい。http://www.kansai-u.ac.jp/Museum/KOMNET/road.html


2.能勢街道の地図で 西国街道との交差点 は違うのではないですか?


3.能勢街道の地図で 石橋から井口堂のルートは何故このルートなのか?


4.小野原街道は表示されていますが 箕面街道、勝尾寺街道の表示がないのななぜですか?


     
        歴史を正確に伝承することが 現代に生きる者の役目です。   

   
間違った歴史は 継承するべきではありませんし、それを、そのままにするのは,
   現代を生きる者として、後世に伝えるべきではありません。
     特に街道と道標を見守っている者にとって  由々しき問題です。 

  みなさんはどう思いですか?

 7/24 現在 返事はありません。

2008年7月21日月曜日

勝尾寺街道:豊中

 7/18 「箕面の道しるべ」(平成三年)
      箕面市教育委員会 を借りました。
     さすが箕面市です道標81基もありました。
「路傍にたたずむ道標は、・・・旅を続けた先人の足跡の一端を伝えるとともに・・・
      限りない歴史のロマンを与えてくれます」 (文中より)


6/7  勝尾寺旧表参道 マップ完成

     勝尾寺から大阪の案内の道標が2基 ありました。勝尾寺関係で「豊中市上新田」を経由したと思える道標を挙げてみると、

     大阪への途中の道標「勝尾寺」が 江坂に2基、庄内長嶋住吉神社、上新田に2基存在し、今宮では 大阪の道標がある、

              「点」 と 「点」 街道が



 6/3  天王寺に行っていきました。
    旧黒田藩蔵屋敷長屋門、慶沢園

       美術館では今度の日曜日(8日)まで「聖徳太子」が開催されていました。   
河内三太子 (叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺) 見られない物が一同に多く見れました。
  多くの人が見学に来ておられました。中に混じって東南アジアの人も来ていました。 

       拝観料 1,200円  今度の日曜日まで 8日 

       

 6/2  勝尾寺表参道 この道は15年ぶりです。 新家から ページ新設 前半一部  マップは完成 6/7



    日本最古の 町石
 
  しらみ地蔵から 左 大阪  右 中山  大阪道です



 6/1  六月になりました。  「つつじ葛城山」を新設しました。  



 5/31  高麗橋に行ってきました。道標に
     大阪府里程元標跡を追加
     京都市の「京都市の基準点標石」を列挙

   江戸時代の 12公儀橋??  浪花の八百八橋?? などもおもしろうと思う。

                      

                      ライオン橋(難波橋)


 5/25  竹内街道歴史資料館 見学 南館長さんとお話ししました。

        今回は 「太子町の岩谷で行者が初めてゴマを焚いた。」 叡福寺が行っている。   このことが、「箕面市の勝尾寺の古文書に記載されている。 一度、確かめてみたい。」と言っておられました。

        今回の訪問は、ポスター展の見学と道標の確認 

        「聖徳太子ゆかりの名宝」 (河内三太子) 

             ~ 6月8日(日)         大阪市立美術館   

2008年7月20日日曜日

対応は品格!!  早い箕面市

5/22  「道標」箕面の教育委員会にメールで問い合わせ  
すぐ 返事があり、「道標」に詳しい人を紹介されました。
早速 箕面市郷土資料館に問い合わせ、  返事を貰いました。 
全文 
道標に関するご質問について回答いたします。

1.道標展につきましては、2005年の当館の移転に伴う リニューアルオープン
記念事業として『西国街道の道標展』を開催したもので、
再度の開催についての計画はございません。
2.小野原にありました「右しんでん 左やまだ」の道標は区画整理の工事中に破損する恐れがありましたので、区画整理事務所で仮保存されていましたが、
近々元の位置の近くに戻されます。  現在小野原の墓地に移築

追記 ホームページを拝見いたしました。その中の「今宮会館の道標」について
右  大阪   道
左  野     道  とあり、

野は何を指すのでしょうか?とありましたが、この「野」は「野山」の野です。
あえて野と刻んでいるのは旅人に左に行っても何もないですよと伝えるためです。
この「野」と対照的なもので、道標に時々あるのが「左 ざい所」などのざい所で、
これは左に行くと人が住んでいますという意味を持ちます。昔は旅の途中で行
き倒れになったり、盗賊に襲われたりすることがよくありましたので、道に迷って
野山に迷い込まないようにするために道標に「野」と刻んだり、病気の時に
近くに住んでいる人に助けてもらうために「ざい所」などと刻んだりしたと考えています。

今後ともよろしくお願い申しあげます。
箕面市立郷土資料館 福田 薫 


もう少し早めに問い合わせしていたら、早く解決していたのに と思いました。
小野原での分岐   
右  しんでん
左  やまだ
途切れている道が豊中市上新田につながっていることが分かりました。
点と点  道標でつながりました。

次は 今宮です。  ここには 大阪  道 とあります。  上新田の道標で 左 勝尾寺 につながり、後、三国街道で大阪へ


これも、古い歴史が保存され、伝承されます。
ある市では、道標を新しく建てたらしいです。 ? ? ? ? ?  
道標は歴史を伝えること、伝承です。 教育委員会の品格ですね。


5/16  「やがて消えていく道だから、
その歴史をしっかりと心に刻んでおこう(文中より))
道標・石物をまとめた 1987年の道標写真を掲載 


5/14 自分のルーツ!!!    先祖は
江戸時代 豊中には16代続いた「麻田藩」(藩主青木氏)がありました。
その菩提寺は、池田市の佛日寺です。

そのホームページをご覧下さい。

麻田藩ゆかり の 
藩主邸玄関、陣屋の門、麻田藩陣屋絵図、発掘調査報告書が記載されています。