2011年10月20日木曜日

水と吹田  加賀眞砂子 ウォークイベント

ウォークイベント「吹田の名水と街道を歩く」  講師 加賀真砂子


実施日/10月16日(日) 集合/13時30分 高浜神社境内

解散/16時    垂水神社  

今日の 高浜神社境内  フリーマーケットと音楽




多くの参加がありました。


元気です。 段差、溝も平気でした。
元気です。
社殿は 元和3年 領主竹中氏の寄進による。
総けやきの三間社流造

境内で一番古い灯篭 元和6年(1620年)江戸初期
牛頭天王社といわれていた。

宮前通り 新高浜橋の手前「高浜小橋」

現在 水は流れていません。 そのような橋を掲載しています。
五位橋、中の島橋があります。 
大木さんへの道が昔の堤防であった。

地名「池田市石橋」 の橋を求めて


これが 「地名石橋」の石
西国街道と能勢街道が交差する西側の小川にかかっていた石の橋
幅二間 長さ 1間 の一枚岩


石橋南小学校の校庭にあります。
インターホンで了解をもらい、中へ、
何回もここいらは歩いていますが、初めての写真です。

その前に 校庭を南から回りましたら 2基の地蔵が




右側の地蔵はちょっとおもしろい。




2011年10月19日水曜日

十八中の池の地蔵を探しに 洋館 土蔵 蛍池もおもしろい


円満寺を出ると 地蔵の祠が


子安地蔵尊
日切地蔵尊
蛍姫地蔵尊
の三尊が祭られています。 日切、蛍姫 なにか言い伝えがあるようだ。
近所の人に大事にされていて、線香の煙が絶えることがないようだ、
三尊とも真っ黒であった。
これから 十八中の池の横に地蔵があると聞いていたので探索へ


こちらが参道がある  「延年山 円満寺」

旧麻田村  

途中で こんな家に出会いました。



「心で手をつなぐ十八中生
池の周りを回りましたが 結局見つからず。
仕方ない、調査不足 次回に

さて収穫なしではにが、これから帰るには 早すぎます。
方針をかえて 「石橋」の地名の石を探索します。 石橋に向かう
 


2011年10月18日火曜日

蛍池「円満寺」への道


 
蛍池の「円満寺」へ行く途中で 「蛍ケ池」の下に地蔵があります。

「蛍ケ池」
もう一つの池 「箕輪池」 水利組合がありました。

国道側からとりました。




有形文化財(彫刻)
木造漆箔阿弥陀仏如来座像 平安時代 

豊中百選 に選ばれた「紅葉」です。
ここを通り過ぎて。墓地へ

吹田風物百選



2011年10月17日月曜日

円満寺探索 石物 電話で

今日 朝 職場に電話があり、 高市光男先生
「校区のお寺 円満寺に 石物 の調査を手伝ってほしい」

円満寺 地図で調べると 「豊中百景」に選ばれ 円満寺の紅葉です。

hpで紹介文
   戦国時代の戦乱で焼失した後、麻田藩の初代藩主青木一重がこの地に再建したと伝えられています。石段を登りきった正面に本堂があります。秋の紅葉は見事で、特に本堂の左手の石垣に沿った紅葉は見事です。また、近年では阪急沿線の七福神めぐりの福禄寿として知られています。




 紅葉のお寺」として紹介されていました。


  石物は 墓標 左の陸軍のものを調べていた結果 横にあったもの

「故陸軍歩兵卒大西利三郎碑」



明治28年3月5日 於清国金州戦死


大西吉松建之 とある。

大きいものです。


この模様 チョッと古いぞ 室町時代か



円満寺をいろいろ調べていたら
この寺にもう一つ墓標  「中馬庚」があり (写真はない)