2015年11月14日土曜日

野中古墳出土品の重要文化財指国際シンポジューム 大阪大学

大阪大学会館(旧教養部イ号館)

国の登録有形文化財建造物

会 場

中久保辰夫(大阪大学大学院文学研究科助教)「野中古墳の発掘調査と出土品の意義」
朴天秀(韓国慶北大学校考古人類学科教授)「新羅と倭-百舌鳥・古市古墳群を中心に-」
禹在柄(韓国忠南大学校考古学科教授)「古墳の墳形が語る5~6世紀の百済と倭国」
福永伸哉(大阪大学大学院文学研究科教授)「百舌鳥・古市古墳群の築造背景と東アジア情勢」
座談会「百舌鳥・古市古墳群がつくられた時代」

 吹田郷土史研究会の会長・藤原さんも参加。
 セルフの大和さんも参加。

古墳の変革と日・中・韓関係を紐解く 

野中古墳出土品の重要文化財指国際シンポジューム 資料集

その後、大阪大学総合博物館へ 展示会へ

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冊子 「金銅仏きらきらし」 いにしえの技にせまる

重要文化財指定記念ミニ展示    「野中古墳出土品」




仮説? 新説 「大神様」は何処 Ⅱ 投稿 11/20 

投稿 11/20
5)江戸時代中後期、「馬街道」と呼ばれるように、
 この場所の通行量は結構多かったようです。
 池田や能勢、新田から荷物を運ぶ牛馬も多かったと記録されています。
 新修池田市史の記述によれば、18世紀後半、池田から廣芝舩場
(このころは小曽根の渡しと思われる)へ運ばれる酒樽は年間1万3000駄
(1駄は4斗樽2つ、これを牛の両側につけます)。冬季、平均すると
 一日38駄=38頭の牛馬が行き来しました。 


追加 訂正  11/18
 1. 明治の地図  現在の「小芳橋」のあるところが小曽根に行く道
   「渡し」から700メール辺り
   この地点より、上流、下流には、明治の地図では小曽根への道は見つからなかった。

 3. 「小芳橋」以外には、小曽根に降りる道は あぜ道だけで、道はなかったと思われる。
    明治の地図で点線で表示されている細道「 - - - - 」 は、なかった。
  
 


新事実?  
 1. 明治の地図によると 小曽根に降りる道は 地図では 小曽根の渡しから約700m 
   今問題になっている辺りになります。

 2. 高川堤防から小曽根に行く道は 下の地図では A点よりさらに上流になるようです。
 3. 別件、現在、名神高速の下手にある「高川の道標」を実測すると
   小曽根の渡し場より1.1キロ 880mになります。
 4.現在の、「高川の道標」、「天竺川の道標」 2基とも、元々は小曽根に行くこの分岐に立っていたもので、堤防工事等によりこの分岐から現在の位置へ移動された物となる。   あぜ道などには、道を案内しない。

  私の思い込みでした・・・・・・
 
  よって、「天神様道」道標だけここに存在するとは考えにくい。
  また、この道標が「大神様」(垂水神社?)を目指すため、堤防を使うには、もう少し手前
  C点 にある方が良い。
  


  仮説? 新説 「大神様」とは直接関係はありませんが!

 

地図の差し替え   大正15年
大神様道道標の位置変更 

昭和23年

 現在道標のある場所は、旧「渡場町内会」の北東の端です。渡場か神崎川旧堤防に上がって、東へ行くには、この位置まで上らず、すぐ北のC地点から、高川を渡るほうがふさわしいと思います。
 
 明治18年や42年、大正15年の地図には、この道が記入されています。そして、新しい昭和36年の地図(大阪府基本図1:3000)には、自動車の通れる道として橋が架けられています。対岸に今も道路だけそこまで伸びています。この道が一番だと思います。

 ちなみに神崎川新堤防の道は、明治18年、42年には、明確に記入されています。しかしその後の地図にはなく、この昭和36年に登場します。(昭和23年の空中写真にはありますが) 明治18年すぐ近くの旧堤防が切れ、付近は1年ほど水につかっていたといわれています。


大正6年にも神崎川の堤防(この場所かはわかりません)が破堤しています。洪水の影響を受け道路が復旧していなかったようです。 池田土木事務所の調査は、すでに倉庫に保管されているはずで、手続きなど面倒なので暇になってからにします。(別件で茨木土木事務所と交渉中です。)


何か出てくるといいですね!



2015年11月13日金曜日

2015年11月12日木曜日

旧町名碑 2基 堺市

大町
熊野町
10/29撮影

11月の例会ハイキング案内 

シニア自然大学校豊中支部例会・オープン参加OK
能勢街道シリーズ六回目
原田の繁栄を支えた九名井(原田井、水路)後半
    伊丹空港をぐるっと、着陸航路の真下の騒音がすごかったです。
    今回は 離陸時の様子を見学、箕面川と猪名川の合流点、原田井の源流
    最後は、伊丹空港が出来る前の立体模型

日 時 11月27日(金)9:00 阪急石橋西口改札口 宝塚を向いて左出口
                十三から急行で十二分
中止予定 前日の午後7時の時点で、降水確率40%以上では中止にします。
講 師 豊中の歴史を掘る会 会長 高市光男
持ち物 弁当は無、水筒、その他 午前中で終わります。
コース 石橋駅西口 → 豊中市水道ポンプ場 → 軍行橋 → 豊中市水道猪名川取
    水ポンプ場 → 池田市下水放流溝 → 原田井(九名井取水場) → 
    中村部落・旧跡(記念碑) → 桑津共同住宅 → 分水堰 → 
    伊丹スカイパーク → 岡町              約5キロ
申し込 事前に申し込み必用
連絡先 上村 和功   06-6170-6090 ファックス兼用・メールも可



 
前回のハイキング  能勢街道 十三界隈探索 10月30日

9月ハイキングは雨の為中止

飛行機には爆音 迫力がない  6月25日


能勢街道を巡る 5月28日(木)

春爛漫 サクラの服部緑地 4月2日         

「まちを育てた能勢街道」 市場で買い物    3月17日



次回の案内  12月7日(月)千里丘陵を歩く  担当 小寺さん、阿部さん

2015年11月10日火曜日

疑問の道標 長嶋神社横の堤防 追加11/13

追加訂正   2015/11/10  疑問の道標 未だ修正できず
          修正しました。11/25

長嶋住吉神社よこの堤防にある 道標
   お参りされています。

この道標 高川から移築した物 
写真を追加
送信者 2015-11-13
  

「(役行者像)大峯山上三十三度」 
右 かつをじ 左 みのをせ川」 

 嘉永六年(1853年) 世話人講中
 ■山講先立 長嶋村■治■

 旧設置場所の推定  今、問題の道標・参道案内 「天神様道」 が立っている辺りにあった物と考えられる。 明治の地図では、すぐに、堤防を降りる道があり、小曽根を通って「箕面・瀬川」に向かう。
 よって、その分岐に立っていたものと思われる。
 
 
 明治の地図では 高川の右岸に街道があるが、 

 同じような表示、「高川の道標」がある。下記に掲載
 
 



 豊 中 の 道 標  

高川の道標 

(南)馬頭観音像             
右 かつをうし         
左 箕面、池田、多田、中山

 

2015年11月9日月曜日

2015年11月8日日曜日

運賃 吹田から近鉄奈良駅

 同窓会の案内

        集合  近鉄奈良駅

  出発駅  所要時間   運賃 
 
① 南千里   1:29 1020円
         08:42発 谷町九・上本町 09:04発 近鉄奈良駅着 10:02  

② 桃山台   1:11  950円 
         08:52発 難波乗り換え 09:25発(急) 着 10:02
  
③ JR吹田   1:14  790円
         08:53発  大坂環状線乗り換え09:09発やや前に乗車 鶴橋発 09:31  10:02 

④ JR岸部   1:16   790円
         08:49発 大阪環状線乗り換え09:09発 やや前に乗車 鶴橋発 09:31 10:02着