2010年4月10日土曜日

大阪府下 第二位 道標 大阪市玉川

大坂玉川の道標 天文元年

    大きな道標です。  解説はこちら

 道標年表の一つが埋まりました。

 後は伊丹市立博物館にある 寛文九年の道標
後もう少し
ある講演会の植物話で
「植物の名前を10個覚えた、見つけた。」その次は「名前を30個見つけた。」
次には「名前を50個見つけ、覚えた。」  「何になるのか?」
道標についても同じことになるが、私は
「道標を残す取り組み」を行うことになる。
「道標の存在を明らかにし、多くの人に知ってもらうこと。」
「名もなき古人の文化遺産を守り、継承することが、現代に生きる我々の義務でもあり、役割だと考える。」と言うことを常に考えています。一緒にやりませんか!
多分、北摂各市に1名ほどの愛好家がいると思います。
ハイキングの好きな人、もう一つ、町の様子などを見ながらあるくのもいいのではないでしょうか。  豊中市若竹町

 先月の道標への訪問者 が954件関心が増えたと思います。
 
  

ついでに近くを散策

 「みょうと地蔵」右が上船津橋(大川)
  高速のそばにありました。


 
  小川四丁目1 の道標 恵比寿神社前


  「野田城跡」

   地図を見ますと 近くに「大坂中央卸市場」がありました。

2010年4月8日木曜日

馬頭観音像  写真をアップしました。12/04/11

馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)   ウィキペディアより抜粋
仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。
衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。

転輪聖王の宝馬が四方に馳駆して、これを威伏するが如く、生死の大海を跋渉して四魔を催伏する大威勢力・大精進力を表す観音であり、無明の重き障りをまさに大食の馬の如く食らい尽くすという。師子無畏観音ともいう。
 
民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。さらに、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされ、六観音としては畜生道を化益する観音とされる。

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勝尾寺への道には 「馬頭観音」が多い
  主に座像である。 他の地域では立像となっている。
     
江坂西西道標      今宮墓地の道標     高川堤防道標
    
上新田の道標       川口村の道標     東中島の道標


 ウツギ谷の道標

 他の場所の 馬頭観音
      
宮崎県国富町        JR今宮駅近く    宮崎県高岡町(2006年宮崎市と合併)

2010年4月7日水曜日

下新田の道標の行方は ????

道標「下の立石」 は、吹田市では現存しない道標として挙げられています。
わかっているのは、上新田村に「上の立石」があり、それに対応した道標として「下新田村」(吹田市春日町)にあったとされ、正確な位置、記載事項は吹田市の資料にはこれ以上のことは記載されていない。
昭和39年にはすでに存在しなかった道標です。()

この「下の立石」 チョット気がかりで 再調査しました。
私が見つけた道標ではないでしょうか!
それで 問い合わせ
吹田市立博物館館員は説明されました、 文化財愛護推進委員・郷土史家、その他何人かの人たちに問いました。
が 上記以上の情報はありませんでした。 また「下の立石」について情報をいただくようにお願いしました。

 情報をお持ちの方 御一報ください。

 

勝尾寺街道  上新田から 今宮へ Ⅱ

青山台桜並木  老木になりました、
翌日(4日)日曜日に通りましたら、両端車が駐車していて
宴会がいろいろな所で開催されていました。
突き当たり 右にとる
すぐ、上に上る道を探す。
箕面に入る。
箕面の船場から新しい道が小野原に通じている道に出くわす。
千里中央・船場方面

左は墓地、右はコンビニ「セブンイレブン」との間の道を進む
向こうの墓地に道標が

(観音様像) 右 かつおじ   左 □田
珍しい観音像の道標です。
池の北側に今宮公開館 その横に道標が
北に向かい 西国街道に出くわす。
その地点にあった道標は 万人講②
西国街道との分岐
今宮阿弥陀名号 (現在所市郷土資料館)
(東面) 左 大坂    (北面)大坂道みなミ口
(西面) 南無阿弥陀仏    (南面) 為万人講中法
下部埋没
北面の表示には一般的に 「右 伊丹・尼崎」と彫る所であろうが、
この道標にはそんな例は当てはまらない道標である。 
西国街道を東進し新家で勝尾寺口の鳥居まで1キロ足らず.

新家の鳥居から勝尾寺表参道はこちら

2010年4月5日月曜日

(下の立石)見つかる。 大発見です! 江坂西西道標

 「下の立石」 です。
道標のある 「勝尾寺 3リ」  は江坂ではありません。
勝尾寺から江坂までは 14キロ 約3.5里になります。
そこで、測量しました。 この道標 「下の立石」だと考えられます。

「右 かちをじ  3り」 を測量計算します。

箕面新家の道標に36町の町石あり、
新家から2里を測量しますと。
上新田から熊野田村と下新田村のルートに分かれます。
熊野田ルートでは 阪急バス停「二の切」では短いです。
熊野田の街中にあったとも考えられますが、
道標があったいい場所、重要な場所は、
村出入り口で村の端か、道の交差点が有力です。
下新田村で考えると、高川を上ってきた三国街道沿いにあり、
千里山からの道と合流うする場所
西照寺の西方に道標があったと考えられます。
そのあたりが調度「右 かちをじ  3り」に当てはまります。
それで、江坂西西道標は「下の立石」と推測できます。

吹田市の資料を見ていましたが、下の立石について
銘記されている事柄、写真などは見たことありません。
昭和39年に「上の立石」を扱った「野の仏」大阪読売新聞では、
「下の立石」はこの時、存在しなかったとあります。
それら資料があったら、一発だと思いますが。
しかたありません。

似ている道標があります。  下の写真は「上の立石」です。