2010年5月21日金曜日

熊野田ルートの計測  江坂西西の道標の考察

江坂西西道標の考察
勝尾寺口より 上新田経由熊野田  八坂橋まで 7.9km
江坂西西の道標の考察
熊野田の道標であれば八坂橋あたりになります。
GOOGLEで調べました。
今回発表は江坂から勝尾寺まで三里 が疑問に思われる方がいらっしゃると思います。
江坂からは3里半です。 3/20聞き取り調査から端を発しています。その後、吹田市教育委員会、文化財保護担当の吹田市立博物館に問い合わせていましたが、なかなか連絡がありませんでした。私が持っている資料以外に新しいことはわかっていないということです。 隠れ道標マニアは多くいると思いますが、ネットなどで公開している人は少ないようです。
この道標が下新田にあった「下の立石」ではないかということです。その予想を元に「下の立石」の収集に奔走していましたが、資料がありません。ということが判り、現時点での結論を出させていただきます。  御意見下さい。

逆に熊野田の八坂橋にあったとするならば、ここも資料はありませんが、私が思っている「疑問の道標」天竺川街道の
存在が脚光を浴びることになりますのでそれはそれでいいです。ですが交通量の多い大阪からの直線ルートを考えるのが一般的ではないでしょうか!

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熊野田八坂橋 徒歩ルート
7.9 km – 約 1時間35分

経由地点: 西国街道, 府道2号線 - すべての経由地を削除
その他のルート

西国街道

1. 西国街道 を西に進む 950 m
2. 左折する 120 m
3. 右折する 130 m
4. 左折する 83 m
5. 右折して 府道121号線 に向かう 300 m
6. 左折して 府道121号線 に向かう 20 m
7. 右折して 府道121号線 に向かう 260 m
8. 府道121号線 を右折する 160 m
9. 左折してそのまま 府道121号線 を進む 2.2 km
10. 右側の出口を出る 180 m
11. 左折する 500 m
12. 右折する 290 m

5.2 km – 約 1時間3分
指定の地点

13. 南西に進む 400 m

400 m – 約 5分
指定の地点

14. 府道2号線 に向かって北に進む 25 m
15. 府道2号線 で大きく左方向に曲がる 900 m
16. 斜め右に折れる 8 m

950 m – 約 11分
指定の地点

17. 府道2号線 に向かって東に進む 8 m
18. 府道2号線 で大きく右方向に曲がる 400 m
19. 斜め右に折れる 24 m

400 m – 約 4分
指定の地点

20. 南西に進む 500 m

500 m – 約 5分
指定の地点

21. 北西に進む 15 m
22. 左折する
目的地は前方左側です 450 m

500 m – 約 5分

2010年5月20日木曜日

「見つけた道標」取り下げ 3基

2010/5/20 取り下げ、 若竹町2基
 「とよなかの歴史・文化財ガイドブック」に記載がなかったのでアップしましたが、 別な件で調べていたら、福西さんの「豊中の史跡たずね描き」には記載がありましたので、取り下げます。再度、2つの資料を見比べます。 
それでも豊中の道標の数は増えました。未確認のも含めて42基
まだまだあるか! 早く出ておいで!

吹田の「愛宕山の道標」については吹田教育センターから連絡を頂き、市としては、博物館から修正の文を発行しているそうです。
 それと、「千里役場」の場所は後日、博物館から連絡があるそうです。
そこで、「愛宕山」道標も取り下げます。

   「見つけた道標」

2010年5月18日火曜日

高さ1メートルの地蔵(隠れた名所) しむか地蔵尊 染香墓

前回城山探索で鍵のかかったそれはそれは大きな地蔵がありました。

そこに置き手紙を置きました。(3/30) 「地蔵の写真を撮らしてください。」
「この地蔵のいわれのわかる方を教えてください。」
もう忘れていました。1ヶ月まえのことです。
これを守っていらっしゃる方から電話がありました。
長興寺南の前田さんです。お参りしていたが、祠を新調していただいた。というはなしです。
連絡があり、翌日14日金曜日出かけました。



大きいです。
石の高さ107㎝、横幅91㎝、厚み47㎝の巨大な石に
地蔵が彫ってあります。
地蔵の高さ76㎝、幅27㎝
見事な地蔵です。  豊中の名所になることが可能だ!


厚み47㎝

横顔のきれいなお地蔵さんです。

こんな話が残っています。
このあたりの村々の若者仲間が お伊勢参り (おかげ参りの灯篭)の時は、
地蔵堂の前の道を伊勢に向かった。
その長い道中で、あの名高い「関の地蔵」さんによく似ているとみえて、
「関のお地蔵と、しむかの地蔵は、いとこづくか、似てござる。」と唄われるようになった。 
関の地蔵と一休和尚の話が有名

祠の左手前には、染香墓があります。

道標でなく塔婆の可能性が大

2010/05/16
尼崎市武庫之荘で見つけました。
これは四角柱で、頭部が欠けています。
塔婆の上部が欠けています。
守部素戔嗚神社境内南東にある祠
左の端にある花の手前の四角柱です。
欠けています。これは塔婆です。
その他の物もこれと同一の物と思われる。

観音様像であるが、熊野田のも同じだとは思いたくない。
これは 地蔵さんですが道標にもなっています。
「中山寺」と読める

2010年5月17日月曜日

武庫之荘

祠の中には
赤ちゃんを抱いた地蔵さん
願不動尊 その中に3基
薬師如来像(おんころころせんだりまとうきそわか)
不動明王(なうまくさんまんたばさらだせんだんまかろしやえそはたやうんたらたかんをん)

役行者像2基 尼崎市

役行者像

天保四年




尼崎市武庫之荘
守部十三重塔 重要有形文化財指定

尼崎の道標 疑問が一杯

道標2基 安置されていました。
守部素戔嗚神社

       尼寄  
正面  右    道
       大阪 

   門戸厄神
右面 左         道
     かぶと山
もう一基
正面   左 かぶと山道
 
左面    右 大坂

この2基の道標は移築された物と推測できます。
「髭の渡し」からは一キロ以上南ですので
ここらに「渡し」があったようです。

大阪の坂が2基は違います。
守部素戔嗚神社
武庫町の交差点南西にある祠
この地蔵の祠に道標が
拡大すると 「中」が見えるので道標であろう。
伊丹市も調べていないので、尼崎までなると大変です。