2010年1月21日木曜日

訪問者 「今津っ子」さん 「津門の中道」


訪問者 「今津っ子」さんと会いました。

わたしのこのブログを見て、

庄内からの能勢街道研修 一緒に参加し・資料を渡したいのことで連絡ありました。
ところが20日予定日を間違われていたので、慌ててメールしました。

私の行動日程と時間、連絡先を知らせ、その中で「お会いしたい」ことを申しましたら、
今朝、連絡があり、お会いすることになりました。

話は長くなります。  「今津っ子」さんのURL
    「津門の中道」 
  吹田市片山~天道

「とよなか歴史・文化財ガイドブック」 p73 30 庄本浜船着き場跡

現在必要としている街道「津戸の中道」について資料を頂きました。
著書 「阪神間の街道」 第2号 2009年10月

「阪神間の街道を歩く会」
送信者 10本

全頁 31

「津戸の中道」(つとのなかみち)
京への道の間道


次に
「旧能勢街道」はどれだ
時代と共に変わる街道
元禄国絵図 元禄15年(1702)

明治30年代 大阪府県道・補助里道

上の2つの地図についてお考えを擱きかせ下さい。

その他の話
1.私の疑問の道標についての考察、
については、賛同を得ました。
2.今探索中の街道を一緒に行ってもらえないか!
日時を合わせて、他の人も誘い行くことになりました。
案内状が到着しだい皆さんに お誘いします。
3.豊中の資料室にある道標の撮影・拓本会を開催予定・・保護課にお願い済み


能勢街道 庄内から岡町まで

市教研「豊中の歴史」研修

「能勢街道」 講師 西田益久氏
1月20日(水) 15:00 庄内駅東側集合  終了しました。
元小学校校長 現仏教大学

庄内の地蔵


服部神社



境内で見つけました。
送信者 2010-01-20-1919-51
ある墓地でなにやら研修

送信者 2010-01-20-1919-51
上月家

谷町

最終 原田神社

2010年1月20日水曜日

資料から  きしべ


地図  「わが町 きしべ」
送信者 2010-01-19-1950-47
明らかになった点
 1.「津門の中道」 亀岡街道・天道 → 片山三 → 出口 → 西ノ庄 → 垂水(吹田街道)→ 糸田川  → 広芝 → 小曽根の渡し(三国街道・鎌倉街道・京街道) → 西宮
    豊中から来て、江坂を通り、京へ向かうには、この道を通って、亀岡街道・天道に出る、後は、高槻街道、西国街道で京に上る。
    別項「京への道」 

     

2010年1月19日火曜日

「能勢街道」 講師 西田益久氏


市教研「豊中の歴史」研修
「能勢街道」 講師 西田益久氏
1月20日(水) 15:00 庄内駅東側集合
神崎川 「三国の渡し」


神崎川

送信者
三国の商店街

三国街道との分岐  右側の車が天竺川の堤防

道田小橋 この橋を渡り小曽根の渡し、勝尾寺へ

堤防を進む、庄内東4丁目で堤防を降り服部へ
ここに道標があるはずである。 「疑問の道標」

ここにあるのはこれ、


ここは、郷土史家高市光男先生が研究の題材となる石碑がある、
昔は茶店があり、ここで一服したといわれている。その後、野田の堤防を
西に取り、椋橋へ

服部へ

2010年1月18日月曜日

吹田の街道 津門の中道


ありました。地図での表記は 
天道から片山を通り、西の庄を抜け出口町までの
吹田街道・亀岡街道の間道調べてありました。

その名は、「津門の中道」の一部です。と書かれていますが、下記の

輿地通史志  摂津之一 「津門の中道」項の 説明では
西宮ヨリ至吹田五里十三町 今津四軒茶屋 ➡ 東新田 ➡ 
尼崎  ➡ 長洲  ➡ 浄光寺 ➡ 尼崎 ➡ 戸内  ➡
 (豊中市領)庄本 ➡ 牛立 ➡ 小曽根
 小曽根の渡し(十八条)の小曽根の南部を通り、(芳野)を通り、広芝 ➡ 吹田
「垂水」は通らない!
吹田領 ➡ 広芝 ➡ 吹田

吹田至芥川四里十五町
吹田 ➡ 小路 ➡ 七尾 ➡ 市場 ➡ 宇野辺 (亀岡街道)
ここで、片山はない! 吹田からでは遠回りになるので
宇野辺まで亀岡街道を走る、宇野辺で茨木に変更
➡ 茨木 ➡ 戸伏 ➡  富田 ➡ 西五百住 ➡ 東五百住
 (富田街道)
街道は真っ直ぐで最短距離を通る



 
  そうすると、見つけた道標
片山の道標が現実味をおびます。

また、豊中、江坂から京都への
「近道」になります。


この本からもう一つわかりました。
佐井寺に向かう道がもう一つありました。 これも、片山の道標を認めるものになります。

観音様信仰の「佐井寺」へ 特に「信仰道」として、3つが挙げてあります。
大阪からは
1つは、天道から    
2つめは、小路から  (きつね坂)
この2つには道標があります。   新しく
3番目はJR吹田駅から片山3丁目をわたり、浄念寺の横をぬけ、北上するルートがあります。(・・・・・・)
  これは「片山の道標」を裏付ける物になります。
  ただし、天道からが主な信仰道であったようだ。
それに、ここでは挙げてないが、他市の道は

4.豊中の上新田の南口道標に「右佐井寺」がありますので
  合計4ルートとなります。

 その他、千里山、山田から道もありますが、これらには道標は見あたらないのが残念です。
いろんなルートを歩いていましたが、もう少し詳しく「佐井寺」への道を探索しようと正月から歩いています。

この項での地図での「津門の中道」定かでないのが問題だ!
紹介文では垂水を通ることでしたが、 ここに上げた地図、「今津っ子」さんが調べた資料もここの地図と同じように書いてありました。
吹田街道と「津戸の中道」の交わるところが出口町になっています。
出口町には一里塚が有ったそうです。ここには道しるべはありません。また
 
「津門の中道」先の輿地通史志 摂津之一
  もう一度 立ち止まることではないですか!


「郷土の歩み」14

吹田の旧街道
吹田市立第五中学校
郷土研究クラブ
送信者
1978 年 12 月 20 日発行

これも良く調べてあります。
地図で問題
その① この地図は主に佐井寺が中央で 佐井寺から豊中の上新田村への道がありません。
    
 その② 「津門の中道」が地図だけで 説明がない。
     出口を通り 片山を通るルートですが    
     「津門の中道」は 秀吉が 
「津門の中道」輿地通史志  摂津之一に
神崎  ー   戸内 ー 庄本 ー 牛立 ー 小曽根 ー 広芝 ー 吹田
とあり、 吹田へ 
小路 ー 七尾 ー 市場 ー 宇野辺 ー 茨木 ー 戸伏 ー 富田
西五百住 ー 東五百住

2010年1月17日日曜日

道標を探しに


石造地蔵菩薩立像    南高浜町2
 地蔵道標です。

 道標
   「左片山ミち」  「右勝尾寺ミち」とある。

  南高浜町2  行ってきました。
多分このお寺の祠にあるのであろうと思いますが。
不在でしたのであきらめて帰りました。