2011年5月20日金曜日

最高記録 十三 神津神社 道標

最高記録  1日訪問者数 120ビュー 5月18日
 テーマはどれでしょうか?

  「またもや発見 神津神社 3基目の道標」でした。
  歩くたびに新しい発見があります。

  この項に書いてあるように、確認ができない状態でした。
現在のところもB基は詳しくわかりません。
今日確認しました。後でアップします。


商店街


             神津神社 春祭  5月21・22日
中央は 昔からある道標D 木川から小島村の入り口にあったもの(木川道標)
 左端は 三国から小島村に入る三叉路 道標C=小嶋北口道標 左本庄
 右端は 2年ほど前 ここに移されたもの 神津神社の前の大通りにあった道標B=小島村西口道標
      堤上 西十三渡  東本庄渡   大坂     
 道標A は池田文庫の「妙見道」=「十三の渡し道標」=「池田文庫道標」

 一度は お忙しいようで 話をする機会を逸しました。
1時間ほどして再度 訪れて お話を聞くことができました。
まずは
表示にある「梶山彦太郎氏」なくなられたそうです。
 大変有名な方でした。特に貝については市博物館からも鑑定の依頼があったそうです。
 亡くなられたから大分経っているそうです。
 ここの道標の一番大きい道標も 神津神社西側にあったものを、梶山先生がここに持ち込まれたそうです。

前置きが長くなりました 道標Bのいわれから
 道標B=「小島村西口道標」はもともと神津神社前の大通りにあった。
 何時のころか 十三駅西側の中華料理店「幸楽」の袂にあったらしい。 
 その店が廃業した後、この道標が尼崎で見つかり、尼崎市教育委員会から大阪市の教育委員会に連絡が入り、「神津神社に縁があるので引き取ってもらえないか!」 ということで、2・3年前当神社におかれたということです。 だから 昔の写真には載っていないはずです。
 大きさは 25x23x76 見事な道標です。
 (東面)  往来安全
 (南面)  はっとり天神宮  三国渡 池田

(西面)  嘉永 四?年 四月


 (北面)  堤上 西十三渡  東本庄渡   大坂

また地名として残る本庄、「本庄渡」がここの2基(道標B=小島村西口道標、道標C=「小嶋村北口道標」
  十三の新高公園の道標  東中島の道標
  そして 夕願寺の道標
合計 5基見つかったことになり、
昔の街道は本庄、横関、脚光を浴びます。

道標A については 池田文庫の「妙見山道標」=「池田文庫の道標」「十三の渡しの道標」、といわれました。
これで納得しました。 またまた 発見です。

3 件のコメント:

osakawalker さんのコメント...

 今日は浜屋敷で楽しい道標話を聞かせていただきまして有難うございました。途中で帰ることになり申し訳ありませんでしたが、ぎりぎり4時の約束に間に合いました。
 また機会がありましたらお誘いくださいますようお願いします。

点 と 点 おやじ さんのコメント...

 今晩は 先日はわざわざお越しいただき有難うございます。
 今日やっとブログに書き込むことができるようになりました。昨日、メールを送りましたが帰ってきました。
 本当に 有難うございます。
大阪市内の道標 私は 北部だけをどうにかしようと考えていますが「十三の公園」では大変お世話になりましたので
 osakawalker が仰ればお手伝いしますので、いつでも仰ってください、
 今後とも 情報交換を蜜にしていただきたいと思います。

点 と 点 おやじ さんのコメント...

sakawalkerさん コメントをコピーし、削除し 私が コメントを書きます。

すみません
浜屋敷で話しました高川沿いにある頭部が削れた地蔵の件ですが、場所は豊中市ではなく少しだけ吹田市に入った稲荷神社の南側になるようです。写真を見返してみましたら9体以上の地蔵があつめられていました。
 

2011年5月30日20:56

ありがとうございます。

一度行ってみます。