2010年3月20日土曜日

勝尾寺道  江坂西西道標の調査 ①

見つかった道標 「15 江坂西西」 の由来について

    下部欠損

 この道標の横の「内田」さん宅に尋ねました。
残念ながらお留守でした。
その後、40分ほど、近所の家を見て回りましたが、留守のようで、
以前に聞いた、江坂で歴史の詳しい方の家をおぼろげな記憶を頼りに「うろうろ」
ちょうど その前のお宅の方が洗濯物を干しておられ、
「江坂西西の道標」について聞きました、その返事が「そんな歴史のことはお向かいさんが良く知ってはる」ということで、思い切って、インターホンを押し、

この家の方です。
「道標について、教えてください。」
快く了解され、玄関に出てこられました。
この玄関 由緒ある玄関です。 
先ずは道標の話から・・・・・・・・ 続きました。

肝心な点 「江坂西西の道標」について
あれは、「言ってもいいのかどうか」と悩まれましたが、「内田さん宅の庭にあった物である。」
「詳しいことは判らないが、ある道に転がっていたのを何代か前が自宅に持ち帰ったということ。??」と
「庭の飾りにと求められた物」とも云われました。 どちらか定かでない。
4~5年ほど前、内田さんが周りの人に相談され、自分の敷地内にみんなの前に置く事になったらしい。
そのときに相談された相手がこの方でした。

次に 下の常夜灯の件


次に 上の常夜灯について
吹田の資料集には 「勝尾寺への常夜灯」となっていますが。」
油谷さん 「いやいや あれは 妙見山の常夜灯   講の人が立てた物」

「やはり、そうでしたか!  それから、古い地図によると 能勢への道はこの道を使っていたらしいです。」
「いや、それは違うだろう! 熊野田を通り、箕面へ行くのでは?」
吹田の資料にもそのように書かれています。 これは違うのでは!。

街道にない道標 = 昔の街道 で判ってほしいです。
「大坂から妙見さんは山越えもありますが、池田から行くのが一般的です。 ですので、箕面に出て、妙見でなく、岡町、新免を能勢街道を通るルートがあります。のではないでしょうか! また、そのルートになる道標が2基あるのです。」
「そうかそうか 箕面から妙見は考えにくいな!」 古い道がなんとなくわかってもらえたようです。

長いことはなしました。 吹田の郷土史家の名前も飛び出しました。
吹田の歴史に深い方でした。   有難うございました。
次回 良い報告が出来ますように!


続きは こちら
 江坂西西道標の調査 ②

 

2010年3月17日水曜日

佐井寺の道Ⅵ 信仰道 山田ルート

佐井寺の道Ⅵ 信仰道 山田ルート
 佐井寺はむかしの面影を残すところが数多くありますが、
離れると、千里ニュータウンです。ですから
 このルートは、町中を歩くので街道の趣が少ない。
何度も通っているのですが、山田に向かいますのでこのルートを取りました。

 佐井寺の途中まで行きます。
派出所からのこの坂を下り、交差点は5差路になっています。
まっすぐは、千里山道
右が見える斜めの道が佐井寺道、それと反対側が山田道

山田道に入る  佐井寺を抜けるまでにはこのような家があります。
旧道ですので商店が有ったようです。

これは、「佐井寺くりぬき水路」を見つけました。
江戸時代 126メートルの水路です。行き先は「釈迦ケ池」

説明板です。 水路の横まで行かないと分かりません。

佐井寺の端に来ました。この辺りは開発されています。
この道は、右は紫金山公園(吹田市立博物館)左は佐井寺小学校
これで、街道は途切れます。

  佐井寺小学校方面

コンビニの西側に途切れた道があります。
向こうに見える信号の向こうは千里ニュータウン佐井寺4丁目

信号を右に取ると 山田への道
命名が「こぼれびの道」途中 交差点山田下(七尾への道)を越え
を越えると、紅葉のきれいな坂道です。
堺布施豊中線を横切りる(交差点宮ノ前西)山田の式内神社伊射奈岐神社
になる。
 堺布施豊中線は旧大阪府道2号大阪中央環状線(通称 中環)です。

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信仰道 片山ルート         2010年5月10日月曜日
信仰道 片山ルート地図       2010年5月9日日曜日  
佐井寺の道Ⅵ 信仰道 山田ルート  2010年3月17日水曜日
佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート  追加12/01/29
佐井寺の道Ⅳ 信仰道 千里山ルート  2010年1月24日日曜日
佐井寺の道Ⅲ 信仰道 片山ルート  2010年2月19日金曜日
佐井寺の道Ⅱ 信仰道 天道ルート   2010年2月1日月曜日
佐井寺の道Ⅰ 信仰道 小路ルート    2009年12月14日月曜日
岸部の地図 


 

2010年3月16日火曜日

佐井寺の道Ⅲ 信仰道 片山ルート  ?????

今日は阪急吹田駅から片山からの佐井寺を目指しました。
その結果は・・・・
片山3丁目の交差点を北上します。

摂津水都信金の横の道を北上します。

 角は浄念寺  右手の道が 西宮からの「津戸の中道」
左は「吹田の渡」

古い家並みがあります。 この道を右に取るのが「津戸の中道」で天道を目指す。

 照儀坊の北側を右に取る・・・これが間違い 2回目

街道らしい道ですが  どんどん右に右に

で一度西を向くと、古い家が見えました。行ってみました。
この道も、東への道になり、愛宕さんになります。

またもや 愛宕さんです。 前回より東寄りにきて、頂上まで行き 別な道を下り、再度北上しました。 結局 このルートはあったのか?
 片山から登ってきて、途中からもっと西側、現在の片山道を上るのがルートではないでしょうか。
 
今日も引き返さず、その間違ったルートを辿ります。

左からの道が愛宕さんからここまで戻りました。右の道を上がります。
この道は下方千一地区公民館を上がってきた道を北上する。
上がると
 
頂上に 吹田市の給水所があります。 ここを下る。

下った所をさらに右に取ると

日本医学臨床研究所の前の道を北東へ すでに間違っているが
 
頂上を過ぎて、左手に名神高速 その向こうに見える片山中学校の南東にでます。

立派な吹田市総合運動場の西側を行くとT字路 佐井寺の案内は有りません。
五月が丘・ニュータウン方面を目指します。

大塚という小さい丘があり、そこからの佐井寺の眺め


佐井寺派出所まえの道標
この道標 右 吹田 左 きしべ  享和三年(1803)
ここにもう1基道標が どれだか判りません。  右すいた 左 きしべ

今日は 新しいボーシ・傘をもらっていました。

少し天道の道を戻って写真 ここには天童、小路からの二つのルートが一つになる所です。
向こうに見えるのが佐井寺の派出所です。

一度は小路の道を引き返しました。 
向こうに見える大きな建物が協和会病院です。
途中に名神高速がが走っています。 派出所まで引き換えします。

左にとり、坂を下ると。 右側に佐井寺への道、まっすぐは、千里山からの道
今度こそはと思い出かけました、今日も失敗に終わりました。

 この後、面白くないですが 山田への道を少し探ります。 その後山田の駅に向かいます。

  

京への道   池田の道標から

以前に利用した資料を再度見ていますと、
池田の道標は歴史が古く寛文年間の物が3基存在し、資料の発行年数は不明であるが 38基で、 この時点で現存しないは6基が挙げられていました。  32基現存することになります。
調べると意外なことが分かりました。
それを挙げてみます。

要点は勝尾寺、京への道についてです。 それらの事が書かれている道標は
NO.01 石橋の道標  では すぐ 大坂・京  
NO.06 鉢塚の道標2 では すぐ 京・大坂  右みのをかちおじ   現存せず
N0.10 池田文庫   では 右 大坂みち京
NO.12 城山      では 左 京・みのを山、かち尾寺道    巡礼道

NO.33 池田小学校  では 左 高山 右 みのお・かちお寺

    
NO.01 石橋の道標    N0.10 池田文庫     NO.12 城山

池田では京へはこんな話があります。
「呉服商人が京都に仕入れをする時は与野街道で亀岡に出て船で下る」と
それが早かったみたいです。帰りは、淀川を船で大坂市八軒までは半日の行程であったようです。

道標でその一つには、みのお・かちお寺が同じ方向に挙げられている。 3基
その2では、大坂と京都が同じ方向に挙げられている。 3基  なっている。
行き先については、道標の立っている場所が問題ですが!

1.勝尾寺への道 は NO.06、NO.12、NO.33道標は
途中までみのおと同じ道を辿り、勝尾寺にはそのまま東進し新家から登るのであろう。
ことになります。     
NO。12の道標は大広寺前を通り、巡礼道を辿ります。 



箕面のこの道標で巡礼道に別れ 右に取り、萱野で西国街道に出会い、京へ

2.京への道 を考察すると・・・ 
N0.12の道標は 立っている位置から考えて、京への道は「西国街道」を利用して物であると考えられる。
しかし他の道標は NO.1、NO.06、NO10の3基は全て能勢街道筋にある道標です。
そして、
京都 大坂と同じ方向に表記されている。

例えば、N0.06 では、みのおと大坂・京は別ルートになっていますが、
表記は 「すぐ 大坂・京 」となって、京都に向かうには大阪と同じ方向になっている。

池田から「京への道」は全てではないが、道標からは西国街道を使うのでなく、
一旦豊中に入り、途中から「京への道」をとったことなる。
旅人は一般的に最短距離をとるものです。
それが なぜ、なぜでしょうか? 、西国街道を使わないのでしょうか! これも、疑問です。

池田市内の「京」への表示は 4基 豊中市内では「京」の表示のある道標は 5基 存在します。

豊中からの「京への道」は別項で扱っていますのでそちらをご覧下さい。







京への道 7  吹田街道・亀岡街道の間道

吹田街道出口町から片山への

出口町には一里塚があり、榎茶屋と云った休憩所も有ったらしい。

私が片山町を通る道を「間道」と云っていて、
 吹田街道の出口町と亀岡街道「天道」を結ぶ線を「間道」と云っている。

 実際は「津戸の中道」の一部でした。
 
 「津戸の中道」詳しい内容は 
    「今津っ子」さんは こちら

    「わが町 きしべ」地図は こちら