2010年3月13日土曜日

滋賀の道標

 大津で




この道標、目立たないところにあった。・・・・

2010年3月12日金曜日

みなみかわち   歴史ウォーク Ⅱ 石造・道標

みなみかわち
歴史ウォークⅡ  2010年2月28日(日)
  石造・道標編
コース案内

案内板には、「竹之内街道」とありますが、
 石物・道標に対する説明はありませんでした。 


前回 太子町から竹之内街道の最終地点







平石峠を過ぎたところに「役行者」




   開祖「役行者」高貴寺手前の道標




   高貴寺てまえ、

  高貴寺 石物の説明は有りませんでした。


   道標みたいです






 
     地蔵さんの一種か  奈良の元興寺で多く見かけました。


   歴史が古いので 興味のそそる物がたくさんあります。




   平石城跡




   富田林市 富栄戎神社


   富田林市「寺内」案内板



  「富栄橋」
  昔、川があった! 近鉄富田林駅前

************************  追 加  2013/05/29
元興寺の石物
役行者
水の流れない川に架かる橋
富栄橋

2010年3月11日木曜日

豊中で一番新しい道標 訂正 

平成の道標 平成十八年
  
上新田の山田と勝尾寺への分岐に建てる。
 案内板の方が良い。

大池小学校北のスクランブル交差点
 大池小学校生、豊中高校生、梅花女子高校生、そして、豊中市立第十三中学校生





  豊中で一番新しい道標(昭和の道標)
      
     平成12年3月 昭和五十七年八月の道標を見つけました。

 
   地蔵前

2010年3月10日水曜日

勝尾寺への道10  岡町から 瑞輪寺の道標

瑞輪寺の笠塔場台座道標
役行者像  右 大阪 左 京 道  天下泰平国土安    文政八年
上新田には京道を歩く 熊野田南ルートです。
国道176からは区画整理で旧道は無くなっている。
桜塚高校を斜めに横切り、「柳谷」の道標にある箕面街道にでる。
(西面)すぐ 柳谷、京へ

年号は 天保14年(1843)
熊野田村大峰山講中(講元・笹部與左衛門)
京を目指す。
斜め豊中市立第三中学校南東にでて、布施境豊中線を横切り、熊野田小学校の南に出て、
神刀根線、兎川を横切り、熊野田に入る
熊野田の豆腐屋さんの前を通り、 白龍稲荷神社

その後、天竺川を遡る途中、北ルートと合流し、上新田に向かう。



それ以後は  上新田 を参考

その後は箕面新家の勝尾寺表参道




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追加  2012/03/25 
あなたはどのルートを撮りますか

勝尾寺への道9   新免から

ここには道標はない。
能勢街道の新免は勝尾寺街道の始点になっている。
街道の名称は明治になって統一されました。
それまでは、同じ道路でも行き先で呼び合っていて、
能勢街道も能勢では「大坂道」大阪では「銀山道」「馬街道」「池田道」とも云われ、
余野街道は余野からは「池田道」と云われていました。

街道の名称が統一されたあと、「勝尾寺街道」は新免を起点し、熊野田、上新田、
今宮、小野原、豊川、勝尾寺、余野の手前で余野街道に合流する。

新免(現在の豊中駅)からは
この地蔵が考えられる。


この後、国道176号線を南下し、郵便局の一つ北側の道を東に向けて歩く、

水道局は元は池でその左を通り、箕面街道を横切る そこの大きさ豊中一の

⑪二本松の道標がある。

四面に刻まれており、新免から来ると
二行の書かれているて、途中までは同じ道をたどる。
「すぐ 上新田 京 道」です。
同様なことは、箕面街道の「柳谷の道標」も言える。
上新田を目指す。

熊野田から上新田には 南北2つのルートがあるが
2本松の道標からは、北ルートとなり、南ルートは
原田から柳谷の道標から来た道で
熊野田の東方、二の切池の手前で合流し、上新田に向かう。
熊野田の中でも合流する道もある。

ここでは、北ルートをたどる。 熊野田に入り仏眼寺の前を通り

この後、右側を取ると「よせ地蔵」を通り、村内で天竺川沿いで南ルートに合流する。
熊野田にもう一つ道標がある。大きさは21X21 高さ 104センチメートル
存在は確認できているが、馬頭観音像で、文字が読めない。


左に取ると、この道標がある。


「右 山田上新田道」 〒560-0014 大阪府豊中市熊野町4丁目21−15
地図 https://www.google.co.jp/maps/@34.7922891,135.4846852,18z?hl=ja
一方向の案内である。これを右に取ると 八坂神社の裏を通り、
阪急バス停「熊野町東」の手前で勝尾寺街道南ルートと合流する
後は二の切を通り上新田に入る。

天竺川を渡る架かっている「落合橋」を渡ると上新田です、右側に
「府史跡旧新田小学校」がある。 その角に


見つかった道標 「旧新田小学校の道標」

④ 「上新田西口道標がある。

これは、勝尾寺からの道標で行き先「右くま」の3文字で 下部欠損

南面 左大阪         
西面 南無阿(弥陀仏)  
北面 為万人       
東面 右くま
万人講が立てた物です。 同じ人が建てた道標2基が箕面市にあり、この3基は
全て 行き先「大坂」である。
 
「上の立石」も同じ人みたいですが、これだけは、行き先勝尾寺を目指しています。
 
いくつものルートからここ上新田で合流し、この後、勝尾寺街道を北進する。

大きな地図で見る





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追加  2012/03/25 
あなたはどのルートを撮りますか

2010年3月8日月曜日

池田郷土研究会

2008年 池田郷土研究 第10号

         A5版 p101

池田城跡東隣接地発掘調査報告


   池田郷土史学会会長の富田好久先生からいただきました。

池田郷土研究

2007年  池田郷土研究 第9号  

             A5版  p145
池田郷土史学会会長 富田好久先生より頂きました。


講演会 月1回の割合
第55回総会記念講演

2010年3月7日日曜日

髭の渡し

豊中市で 講演

「西国街道 髭の渡し」  森田芳明氏

 武庫川の渡しの一つ 「髭の渡し」   

 現在の甲武橋の上流300メートル 碑が立っている。
 そこには、役行者 の祠があった。
    この2週間のうち、3回お目にかかります。
    役行者 「播磨道」で、生駒越えで

  古い写真を持ってきていただきました。

1990年の写真

2007年10月