この道標、目立たないところにあった。・・・・
2010年3月12日金曜日
みなみかわち 歴史ウォーク Ⅱ 石造・道標
みなみかわち
歴史ウォークⅡ 2010年2月28日(日)
石造・道標編
コース案内

案内板には、「竹之内街道」とありますが、
石物・道標に対する説明はありませんでした。


前回 太子町から竹之内街道の最終地点


平石峠を過ぎたところに「役行者」


開祖「役行者」高貴寺手前の道標


高貴寺てまえ、

高貴寺 石物の説明は有りませんでした。

道標みたいです



地蔵さんの一種か 奈良の元興寺で多く見かけました。

歴史が古いので 興味のそそる物がたくさんあります。


平石城跡

富田林市 富栄戎神社

富田林市「寺内」案内板

「富栄橋」
昔、川があった! 近鉄富田林駅前
************************ 追 加 2013/05/29
元興寺の石物
役行者
水の流れない川に架かる橋
富栄橋
歴史ウォークⅡ 2010年2月28日(日)
石造・道標編
コース案内
案内板には、「竹之内街道」とありますが、
石物・道標に対する説明はありませんでした。
前回 太子町から竹之内街道の最終地点
平石峠を過ぎたところに「役行者」
開祖「役行者」高貴寺手前の道標
高貴寺てまえ、
高貴寺 石物の説明は有りませんでした。
道標みたいです
地蔵さんの一種か 奈良の元興寺で多く見かけました。
歴史が古いので 興味のそそる物がたくさんあります。
平石城跡
富田林市 富栄戎神社
富田林市「寺内」案内板
「富栄橋」
昔、川があった! 近鉄富田林駅前
************************ 追 加 2013/05/29
元興寺の石物
役行者
水の流れない川に架かる橋
富栄橋
2010年3月11日木曜日
2010年3月10日水曜日
勝尾寺への道10 岡町から 瑞輪寺の道標
瑞輪寺の笠塔場台座道標
役行者像 右 大阪 左 京 道 天下泰平国土安 文政八年
上新田には京道を歩く 熊野田南ルートです。
国道176からは区画整理で旧道は無くなっている。
桜塚高校を斜めに横切り、「柳谷」の道標にある箕面街道にでる。
(西面)すぐ 柳谷、京へ
年号は 天保14年(1843)
熊野田村大峰山講中(講元・笹部與左衛門)
京を目指す。
斜め豊中市立第三中学校南東にでて、布施境豊中線を横切り、熊野田小学校の南に出て、
神刀根線、兎川を横切り、熊野田に入る
熊野田の豆腐屋さんの前を通り、 白龍稲荷神社
送信者 上新田2009-04-18 |
送信者 上新田2009-04-18 |
その後、天竺川を遡る途中、北ルートと合流し、上新田に向かう。
それ以後は 上新田 を参考
その後は箕面新家の勝尾寺表参道へ
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
勝尾寺への道9 新免から
ここには道標はない。
能勢街道の新免は勝尾寺街道の始点になっている。
街道の名称は明治になって統一されました。
それまでは、同じ道路でも行き先で呼び合っていて、
能勢街道も能勢では「大坂道」大阪では「銀山道」「馬街道」「池田道」とも云われ、
余野街道は余野からは「池田道」と云われていました。
街道の名称が統一されたあと、「勝尾寺街道」は新免を起点し、熊野田、上新田、
今宮、小野原、豊川、勝尾寺、余野の手前で余野街道に合流する。
新免(現在の豊中駅)からは
この地蔵が考えられる。
この後、国道176号線を南下し、郵便局の一つ北側の道を東に向けて歩く、
水道局は元は池でその左を通り、箕面街道を横切る そこの大きさ豊中一の
⑪二本松の道標がある。
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四面に刻まれており、新免から来ると
二行の書かれているて、途中までは同じ道をたどる。
「すぐ 上新田 京 道」です。
同様なことは、箕面街道の「柳谷の道標」も言える。
上新田を目指す。
熊野田から上新田には 南北2つのルートがあるが
2本松の道標からは、北ルートとなり、南ルートは
原田から柳谷の道標から来た道で
熊野田の東方、二の切池の手前で合流し、上新田に向かう。
熊野田の中でも合流する道もある。
ここでは、北ルートをたどる。 熊野田に入り仏眼寺の前を通り

この後、右側を取ると「よせ地蔵」を通り、村内で天竺川沿いで南ルートに合流する。
熊野田にもう一つ道標がある。大きさは21X21 高さ 104センチメートル
存在は確認できているが、馬頭観音像で、文字が読めない。

左に取ると、この道標がある。

「右 山田上新田道」 〒560-0014 大阪府豊中市熊野町4丁目21−15
地図 https://www.google.co.jp/maps/@34.7922891,135.4846852,18z?hl=ja
一方向の案内である。これを右に取ると 八坂神社の裏を通り、
阪急バス停「熊野町東」の手前で勝尾寺街道南ルートと合流する
後は二の切を通り上新田に入る。
天竺川を渡る架かっている「落合橋」を渡ると上新田です、右側に
「府史跡旧新田小学校」がある。 その角に

見つかった道標 「旧新田小学校の道標」
④ 「上新田西口道標」がある。

これは、勝尾寺からの道標で行き先「右くま」の3文字で 下部欠損
南面 左大阪
西面 南無阿(弥陀仏)
北面 為万人
東面 右くま
万人講が立てた物です。 同じ人が建てた道標2基が箕面市にあり、この3基は
全て 行き先「大坂」である。
「上の立石」も同じ人みたいですが、これだけは、行き先勝尾寺を目指しています。
いくつものルートからここ上新田で合流し、この後、勝尾寺街道を北進する。
大きな地図で見る
能勢街道の新免は勝尾寺街道の始点になっている。
街道の名称は明治になって統一されました。
それまでは、同じ道路でも行き先で呼び合っていて、
能勢街道も能勢では「大坂道」大阪では「銀山道」「馬街道」「池田道」とも云われ、
余野街道は余野からは「池田道」と云われていました。
街道の名称が統一されたあと、「勝尾寺街道」は新免を起点し、熊野田、上新田、
今宮、小野原、豊川、勝尾寺、余野の手前で余野街道に合流する。
新免(現在の豊中駅)からは
この地蔵が考えられる。
この後、国道176号線を南下し、郵便局の一つ北側の道を東に向けて歩く、
水道局は元は池でその左を通り、箕面街道を横切る そこの大きさ豊中一の
⑪二本松の道標がある。
四面に刻まれており、新免から来ると
二行の書かれているて、途中までは同じ道をたどる。
「すぐ 上新田 京 道」です。
同様なことは、箕面街道の「柳谷の道標」も言える。
上新田を目指す。
熊野田から上新田には 南北2つのルートがあるが
2本松の道標からは、北ルートとなり、南ルートは
原田から柳谷の道標から来た道で
熊野田の東方、二の切池の手前で合流し、上新田に向かう。
熊野田の中でも合流する道もある。
ここでは、北ルートをたどる。 熊野田に入り仏眼寺の前を通り
この後、右側を取ると「よせ地蔵」を通り、村内で天竺川沿いで南ルートに合流する。
熊野田にもう一つ道標がある。大きさは21X21 高さ 104センチメートル
存在は確認できているが、馬頭観音像で、文字が読めない。
左に取ると、この道標がある。
「右 山田上新田道」 〒560-0014 大阪府豊中市熊野町4丁目21−15
地図 https://www.google.co.jp/maps/@34.7922891,135.4846852,18z?hl=ja
一方向の案内である。これを右に取ると 八坂神社の裏を通り、
阪急バス停「熊野町東」の手前で勝尾寺街道南ルートと合流する
後は二の切を通り上新田に入る。
天竺川を渡る架かっている「落合橋」を渡ると上新田です、右側に
「府史跡旧新田小学校」がある。 その角に
見つかった道標 「旧新田小学校の道標」
④ 「上新田西口道標」がある。
これは、勝尾寺からの道標で行き先「右くま」の3文字で 下部欠損
南面 左大阪
西面 南無阿(弥陀仏)
北面 為万人
東面 右くま
万人講が立てた物です。 同じ人が建てた道標2基が箕面市にあり、この3基は
全て 行き先「大坂」である。
「上の立石」も同じ人みたいですが、これだけは、行き先勝尾寺を目指しています。
いくつものルートからここ上新田で合流し、この後、勝尾寺街道を北進する。
大きな地図で見る
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追加 2012/03/25
あなたはどのルートを撮りますか
2010年3月8日月曜日
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