2013年12月7日土曜日

千里丘陵 高川の源流  ①牛ケ首池  ②春日大池 

 高川の源流 ① 牛ヶ首池






牛ヶ首池に流れ込む源流 
もう一つありそうです。  北側の津雲台ロータリー「ピーコック」の雨水は何処に

高川の源流 ②  春日大池 








春日大池


自分の足で確かめることがいいのではないかと思われます。
特に 吹田近辺にある源流 すぐにわかります。
皆さんチャレンジしてください。

千里は多くの源流があります。
山田川
正雀川
糸田川の橋
高 川の橋
天竺川
山の谷川

千里川の橋

源流がこんな近くにある地域ありません そんが千里丘陵です。
ですから一度 チャレンジしてみてはどうでしょうか!
全てが分かっていることは面白くありません!
「どうなっての!」 「どこにあるの!」 と ミステリー的にとらえるの面白い。

先のミステリー「尼崎の飛び地」でも 市役所に聞けば、hpで検索すれば
すぐに分かったのかもしれませんが!
自分で図書館に行き、現地調査を行うことではないでしょうか!

ミステリーは分かってしまえば「なーんだ」ですが
自分がミステリーと思うかどうかです。
「尼崎の飛び地」では いろいろ調べて 2かっ月間かかりました。
それでもいいのでは 
私にとっては「ミステリー」ですから。

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勝尾寺と10の道標めぐり

 観音信仰が盛んな時、参拝者の多くがこの道を通って行った三国街道、その面影の残る新田、歴史が残っている、道標5基存在し、古い家並みも残っている。大坂から天満 横関・本庄の渡し、横関街道江坂で三国街道に合流で上新田までやってきます。道標の最南端は西中島南方の「川口の道標」と東中島の「北かつおじ」に道標2基です。 上新田で勝尾寺街道に合流し村内を通り、東側で山田茨木の分岐の道標あり、左に取り、今宮を目指す。今宮で西国街道と出会い東進して新家にある、勝尾寺山門まで
西国街道の小野原探索をし、小野原街道の山田との分岐道標で北千里駅をめざす。
 
題 名 勝尾寺参拝道と道標めぐり 
期 日 12月10日(火) 10:00 北急行桃山台集合 ~ 4:00 阪急北千里駅
上新田―江戸初期に開発され明治になり下新田と合併し、新田村で、明治6年小学校を真覚寺に置く 小学校建設1900年 1973年まで使用、下新田との分離昭和28年豊中市へ それまでは下新田の75歳以上の方々は、この旧新田小学校で学んでいた。
千里丘陵開発には反対運動が起こり、下新田共に開発から除外され、昔の面影が残る参拝者の通る町として発展していたが、他の地区と同様開発の波が寄せて、森の鎮守・上新田天神社の景観も大きく変わった。
旧新田小学校:府の文化財:見学会を入れるか!
見つかった道標:西口道標
大坂三りの道標、北口、南口、東口の道標がある。 豊中市で一番古い天明元年?
☆まめ 道標は村の辻辻にあった。 古い道標は一面だけ表示、古いのは北摂には寛文年間1670年代で池田川西箕面能勢で見つかっているが 豊中、吹田では出ていない。
川沿いに上って行く 川は天竺川 源流は ・・・・ 新池 安場池 樫の木池 千里中央の池
東口道標 右 山田 いばらぎ  左 かちおじ で左に折れる。この道標年号は入っていないが一番古い道標と考えられる。
中央環状線にぶつかる。千里中央体育館この奥に千里中央公園春は桜がきれいです。
 
 
尾根を通ると思います。右側は山田川、左は天竺川の分水、青山台も花見のシーズンにはゴザを敷き家族のグループが多い開発が昭和40年ですので桜の寿命です。 
吹田と箕面の境に 「峠の茶屋」があった。いまは見る影もない。
箕面にいると 北摂の山々が見渡せる。
新しい道 繊維団地 今宮 小野原 豊川 を通る。
セブンイレブンの左側を下るとすぐ左手に墓地があり、道標が1体
そのまま進む、今宮 大きな池の横の今宮会館に道標
くねくねとあるき 西国街道にぶつかる。その横に 常夜灯 碑 万人講の道標があった。
西国街道を東進 今宮の交差点前の左側に折れるが171に阻まわれ、その向こうに見える道が勝尾寺から帰る道・大坂道です。交差点には大きな碑が 国道171と並行して旧道は進む
しばらく行くと、勝尾寺の鳥居のある新家につく 山門の「勝尾寺」は ここから36町・1里の距離、表参道 町石がいくつも残っている。特に山門前の8丁石は国の文化財に指定されている。   

淀川まで 横関街道 地図

榎の渡し 春日 千里山 地図

勝山北の道標 生野区勝山5丁目 

桃谷界隈を歩く Ⅰ  まち組例会
西俊徳地蔵堂前

正面  「大峰山三十三度」 左 すぐ 十三 きしだ堂
                  右 平野道
左側  「左 なら」

大阪の街道と道標改訂版 p95、205  参照


下の写真の説明はなかった
右 兵■
 

解読できなかった。


珍しいです、このように中を平面に掘り込んである道標

珍しい「大阪」
西面 右八尾 久宝寺 信貴山
南面 左 大坂
北面 慶応丙寅二年
会員のこの道標の観察の様子を見て、ある人が
「いままではこんなのではなかった! あんたが来てからやで!」
「そうですか! 道標の存在を皆さんに知ってもらうことが 一番ですので」
「よかった よかった」

鶴の橋跡
 
  
生野区の道標
桃谷の道標1 生野区桃谷2丁目 北八尾街道・桑津街道
桃谷の道標2        3丁目  北八尾街道・鶴橋街道  つるの橋
大阪御勝山遺跡
 
 区役所内のオブジェ
 
 
「御勝山古墳」入りきりません。  
 
保護樹 110号
 
 御神木 保護樹林 110号
 
木村権右衛門邸跡・御神木 

街道は続く

御幸森神社
 灯明台 元和二年1616年
旧平野川に設置 川沿いに33基設置
まだまだ続く   今日の万歩計 21、346歩

カメラを貸していただいた Kさんありがとうございました。



2013年12月4日水曜日

信貴山 道標 役行者



大本山「成福院」の右側
「☞ 参詣道」


聖徳太子・弘法大師・命蓮上人・歓等上人 道



「行者堂」

毘沙門天王

右 八尾 平野 大坂 さかい  道

左 解読不能

多尊地蔵

日本一大地蔵尊 
御真言「おんかかかびさんまえいそわか」


役行者像   多かった龍安寺、吉野山

関 連
信貴山の紅葉
登 録 文 化 財 

2013年12月3日火曜日

淀川と水辺の風景

 
桂川、宇治川、木津川  三川合流
 
 

文化庁登録有形文化財 二体


これなに! 
 
たまてばし  
 
 


 
「開運橋」  
 
登録有形文化財 「上路カンチレバー橋」  


欄干に

橋の袂の 信貴山「茶屋」

ここにも

以上