2013年4月6日土曜日

調査①「摂津市の道標」  追加 「すぐ」の疑問も???  道標一覧

調査第1弾 「摂津市の道標」摂津市文化財愛護会出版
亀岡街道 資料にある「千里丘1丁目の道標」 
摂津市教育委員会事務局様 ありがとうございます。 
早い摂津市の対応  郵便が送られてきました。
「摂津市の道標」
平成21年4月 摂津市文化財愛護会出版

道標の数 九基  「乙辻街道」初めて聞きまが、江口から乙辻村への道
 番号③の道標で亀岡街道から分かれて「江口」への道は途中で乙辻街道に合流する。
 
求めていたのこの道標です。上の地図番号③ 「千里丘1丁目の道標」
現在も個人宅で保存されているようです。よかったよかった。
 表示は

右は 「亀岡街道」で 吹田 大坂へ
となっている。 「満し田」は 「味舌」のようだ。 左は「乙辻街道支線」 これで江口へ

追加  拝見した 「千里丘1丁目の道標」番号③はこちらです。 記者も参加
 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@  追 加 2 道標一覧
摂津市の道標
    記   名 年 代   行 先  
1 市場池の道標 (南)右 亀岡街道 亀岡 高槻  左 小野原街道 山田 小野原   (北)左   吹田 大坂        
2 千里丘6丁目の道標 (南)右 いばらぎ そうじぢ (東)蜂熊講中  建立  (西)左かちをぢ  やまだ        勝尾寺  
3 千里丘1丁目の道標 (南)左 満し田 江口  (北)右 吹田 大坂        
4 千里丘東2丁目の道標 (南)左 かつをじ みのを なかやま     勝尾寺  
5 三島の道標 (西)右 いばらぎ しま  左 うのべ いばらぎ     大岩 藤八墓    すぐ 大坂   (北) すぐ 妙見道  (東)安政五年戊午九月十六日 心覚勇悦信士 世話人 門弟中 安政5年 1858年    
6 浜町の道標 (北) 右 すいた     大碇浅右衛門   世話人中        左 とりかい        
7 鳥飼八防の道標 (東) 大坂道  左 江口 吹田   左 一津屋江口   (西) すぐとん田 いばらぎ  (南) 右とん田いばらぎ     廿六本目        
8 別府1丁目の道標 (西) 亮奉供□大峰山上丗三度願満為自他安楽    左  大阪     願主 先達平治        
9 西一津屋の道標 (東) 左 なから大坂道   (西) 右なから大坂道    (南) 右一っやとりかへ  左べふましたいはらき  道(北) 慶應四年辰年三月 天満市場 京屋□光秀        
********************************  追 加
表紙の左側をかざる道標で、上の地図では ⑤ 三島の道標 
下の写真の道標を見て下さい。 はじめてお目にかかります、面白いです。
一つは、下方の 右 左 の表示ですが、
「左 うのべ  いばらき」と「右 いばらき しま」とあります。
左右に行先が同じ「いばらき」とありますが、これは、
左は、亀岡街道に出て、途中の宇野辺で高槻街道を使い茨木に向うということになります。
合点がいきます。 この左右は同じ行先を左右に分けているのは面白いが。問題はないようです。 

もう一つの問題は、
 「左右」の表示の同じ面、その上の右側に、「すぐ 大阪」の表示の方向です。 なぜ面白いか。
 この道標は 西面を向いていて、「左右」の表示から大阪から来た人たちへの案内で、北進しているはずです。来た道のことを「すぐ」となると、まっすぐ行ったら 京都になるのではないでしょうか?
 それなのに、同じ面、来た道なのに「すぐ 大阪」とあるのがわかりません。
 教えてください。

さらに 問題2
 東面には 安政5年成午9月16日 世話人 が書かれ、
側面(北面)には、 「〇すぐ 妙見道」となっています。
 能勢の妙見であれば、まるきり方向が逆ですが、///   ンんjhbbbbンMンMBン㎜んBMンB
 よく見ると、写真の側面と書かれているのですが、西面からみて右側になる「側面」だとすると、
「南面」であり、表示には「北面」と書かれている。「南面」とは書いてありません。
表示の「北面」は「南面」の表示間違いだと思います。
 妙見さんは 北河内と泉南と北摂の3か所あります。
 北摂ですのでたぶん、「能勢の妙見山」だと思います。
 
 亀岡街道の「宇野辺の道標」に「妙見」案内があるが、それは、亀岡街道から能勢の妙見山の
ルートになる。 

ただし、文化圏の違いか 能勢の妙見山でなく、北河内にも「妙見山」があるから それかもしれないが!
 この地区ではこの道標だけが「妙見道」を表示し、他の道標に見られない。
*********************************** 追加 2013/10/14
写真を追加します。 撮影2013/04/20
 
すぐ大阪  右・・・・
 
 
東面 安政五年戊午九月十六日 心覚勇悦信士 世話人 門弟中


追加 2015/05/08
     摂津の碑 3代 

豊中二中から大阪城が見えた。


より大きな地図で 無題 を表示
卒業生が「学校(豊中二中)から大阪城が見えた。」ということで
晴れ間を見つけて屋上へ
一度は確認できたのですが 写真に撮ろうと思い再度屋上へ
その後、何度かチャレンジしましたが、確認できませんでした。
その時に、作成した地図です。この方向です。
南へずーと伸ばすと、良い目印がありました、山の形が分かる、金剛山になります。
見つからないのです、ビルに隠れたのでしょうか!



もう一つの能勢街道

『大阪府史 近世編Ⅰ』p517
「丹波亀山と大坂とを結ぶ街道として、清坂街道と能勢街道があった。 『五畿内志』によると、清坂街道は大坂天満橋を起点とし、中津川の長柄の渡し、神崎川の吹田の渡しを経て、島下郡中河原で西国街道と交差し、老ノ坂山地の清坂峠(鳥居峠)を越えるもので、茨木街道とも称された。
 能勢街道は大坂天満橋を起点に北進し、池田を経て能勢郡吉野で丹波国に通じた。池田街道・銀山街道などとも呼ばれた。」


もう一つの資料  
豊中の図書館から良い資料が出されています。
質問 「北摂の旧街道についての資料を探している。」から

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
一度ご覧ください。  よく調べられています。

これは???  高島市で

この町は面白い いたるところに史跡が残る
未だに謎 だれか考えてください。「神代文字」  実物は下の写真
案内番 これは大きいが いたるところに案内板がある。
子どもたちに郷土愛を育てる 史跡の案内と保存
ここでもう二つ 一番右端の「力石」と左端の「五輪塔」
「力石」 大阪では考えられない 「力石」
 
 これまた大きい「鶴塚」となっている。五輪塔・宝篋印塔
これは大きい 高さ3メートルを越します。
 
 
******************************************
高島市 西近江市と一旦決めた合併後の新名称を再検討されたあと、決定
 2005年 マキノ町、今津町、新旭町、安曇川町、高島町 朽木村 5町1村の合併
 
 
 

2013年4月5日金曜日

摂津市千里丘1丁目の道標 聞き取り 摂津市市役所 追加2018

亀岡街道が大阪京都高槻線と合流する地点
山田第二小学校と摂津市千里丘1丁目の角にあった道標
地図を載せることが出来ません。googleで地図の作図が出来ません。
 生き返った道標  追加 2017.10.8
 以前の道標 新聞記者  面影の道標を拝見する。 2015.05.02
 摂津市の道標一覧 2013.04.19

  角の家「竹原さん」に聞きました。
「知らない」とのことでしたが 「そういえば この辺りの田んぼなどの地名を 立石と云っていた」とのこと また、「交番の裏当たりの地名を「茶の前」と言っていたそうです。」
「そういえば 元摂津市の市会議員の山本さんが色んな石碑を調べていたようだ。拓本も取られていた。」これを手掛かりにあとで摂津市に問い合わせすることにしました。

 「山田は古いからな!!」ということで
「森祖仙の絵があったな  柿を取っているのか サルか何かわからないが」
 歴史には興味がおありのようでした。
最後に 「千里丘下」の交差点の北側に小さなお地蔵さんがあった。
「京都の高名な先生が西村公朝さんが これは素晴らしいものだ と云っておられた。」など 現在は公民館の横に祭ってある。 それと 「千里丘稲荷神社」がいいのでは と言われたが 電気自転車の電池がありません。今日は近くの「お地蔵さん」を調べます。 公民館に行くとまたまた 
4/14日 千里丘稲荷神社の年次大祭(おかぐら)が行われますのポスターが
別なサイトで紹介
地蔵を求めて周りを探します、裏に行きますが見当たりません。
大きく回って 元来た道に出ると道の反対側に祠が
 
「一願地蔵尊」とあります。
 
かわいいお地蔵さんです。 「そうか これか」ですが、 
急にお腹が痛くなり 公民館のトイレを借りることにしました。
すっきりして受付横に資料があり、目を通していると、
上の写真の「一願地蔵尊」の資料がありました。
公民館の「創立50周年記念誌」で見ることができました。
昭和41年お地蔵さん移設  千里丘上18-12(現在地へ) さらに、
加賀真砂子先生の記事がありました。
 
吹田市文化財ニュース NO.3 昭和54年3月31日付け
「吹田のおもな古みち」加賀真砂子
「知られざる吹田の古墳」池田半兵衛 のもありました。

本題に戻り 道標の件で摂津市に電話 まずは 文化連盟にアポ
連絡先を聞くが 担当者がいなく、仕方なく「千里山の道標のことについて聞きたい。」
文化財保護課に回してもらいました。単刀直入に聞きますと
詳しい人が生憎外出中とのこと 5時過ぎに帰庁 その後 連絡を待ちます。

電話があり 以前に 文化愛護会が本 「摂津市の道標」 その部分をコピーして送りますとのことでした。 助かりました。


2013年4月2日火曜日

第61回「歴史散歩」 淀川の自然と高速淀川左岸を考える

 
4月13日(土) 午前9:30 阪急十三駅西口集合
講 師 淀川の情報を頂いている 稲垣 泰平 さんです。
本 「歴史散歩」の記録(第3巻)  著者
 
 
コース 十三西口 → 見返りトミー駅 → 十三渡し碑 → 十三大橋 → 安全往来碑 →
     水防碑 → 十三小橋 → 左岸堤防 → 中津川運河 → 中津のヨシ原 →
     新淀川大橋 
 
**************************************************
歴史散歩の記録」 の著者 稲垣泰平  2011年10月13日木曜日
いながきさんから  東淀川区の探索 Ⅴ 2011年12月22日木曜日
本庄の渡し Ⅰ  川口にあった道標  2011年6月16日木曜日
淀川右岸を散歩して2       2011年6月16日木曜日
まちづくりを考える会        2011年12月25日日曜日
探索予定 東淀川区東部 Ⅰ  2011年12月9日金曜日
「新高公園の道標」の報告書   2011年12月14日水曜日

2013年4月1日月曜日

 極楽、追手、宮前、迎幸、念佛 千里の川 山田川Ⅰ追加

橋の名前にもその由来を聞くまでもなく
 古を忍ばせることが出来ます。 千里の川
山田川 1 
藤白橋
けやき橋
寺田橋
 
新山田川橋
山田上高架橋
九十九橋
新八王子橋
八王子橋
極楽橋
西かいち橋
垣当橋
新倉橋
追手橋
  以上 再度掲載 「・・・・山田川 Ⅰ  大阪城にも」   2012年4月11日水曜日
吉田橋
小川橋
おお宮橋
宮前橋
迎幸橋
昭和橋
大正橋
大神木橋
山田橋
下大神木橋
市場橋
味舌橋
念佛橋
柳ケ堰橋 ???
西之口橋 ???  「・・・・・ 口」!!!!

以下 JRより南 未調査

以前の調査
山田川の橋 Ⅱ                    2012年7月18日水曜日
極楽橋 追手橋 山田川 Ⅰ  大阪城にも    2012年4月11日水曜日

山田の秋祭り 
明後日 山田の祭り  神輿巡行コース 2012年10月5日金曜日
山田の秋祭り 伊射奈岐神社 本番Ⅰ  2012年10月7日日曜日
山田の秋祭り 伊射奈岐神社  本番Ⅱ 夜店  2012年10月14日日曜
 

訪問者数  2423件 関心事 まち歩き 03月訪問者数

暖かくなりまち歩き  月間訪問者数 

1日 100件越えが 2日、5日、最高は159件の9日、16日、25日、26日でした。

下のグラフは 今までの月別訪問者数
2008年7月開始  2009年から4月1000件越え
2009年 6月から 月1500件
2011年 2月から 月2000件
最高の月 2012年 6月 2763件の訪問者
 
 2012年 10月から2013年2月 2000件を割る 
そして 今年3月は 2430件の訪問者数を得る 
ありがとうございます。

 
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