2010年1月9日土曜日

道 天竺川の道・疑問の道標


資料 「くまのだ今は昔」 曲直部末松著書
中に次のようなくだりがありました。
天竺川と使ったと言うことです。
「⑤ 南西部の長興寺や服部へは小学校前から天竺川沿いに竹藪や松林のなかを行く、この道だけは、坂のない、陽の当たらない、池の多い道であった。
8月25日服部天神社の夏祭りの出店に心惹かれて、この道を歩いた物である。」


  天竺川は街道として利用されていなかったのか!・・・・

 疑問の道標

「写真でみる 上新田」  五一会 以前の資料

追加 道標編  2021/09/26  
 12.道標のページの詳細 
 道標編 25 馬頭観音像を刻出したもの  掲載
       「馬頭観音像 右 か 〇〇〇」
    裏面 「   上 ○○〇」 と記載されている。

福西茂氏      2021/08/22
この説明によると 北口道標「右かちをし、左みのう」とあったらしい。???
なお、北口道標から東へ約500メートルのところにも道標があり
そこには「右みのお」という道標があった(現存しない)。
     
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豊中市  写真でみる 上新田」  五一会

昭和53年(1978) 五一会

12.道標のページ
この説明によると 北口道標「右かちをし、左みのう」とあったらしい。
なお、北口道標から東へ約500メートルのところにも道標があり
そこには「右みのお」という道標があった。



昭和53年(1976年) 案内の杭が立てられました。

この東口道標は元々 向こうに見える家の角に立っていた物
右 山田 いばらぎ
左 かちをじ

2010年1月6日水曜日

川尻の探索Ⅰ 紅葉のころ


以前の話になりますが、川尻の話を
豊能町は石仏が多い、説明板も揃っている。  「石の文化財」

 道標
正徳四年(1714)豊能町川尻 
を探しに










鳥居が半分  妙見山の鳥居か
箕面から余野川に降りる、脇道にそれはあった。

近所の人にも聞きましたが、  川尻の道標
正徳四年(1714)は見つからず。
能勢町教育委員会に問い合わせをしました。
 川の東側とのこと
再度探索  こちら

2010年1月5日火曜日

街道探索

地図の対応
一つに上新田から佐井寺へ
関大前から佐井寺へ 今悩んでいるのはこの考察です。
どのルートを取ればいいのか悩んでいます。

1. 街道を探すには、「明治19年の地図」を重宝していますが
現在の地図との対応が大変です。
よって、「明治19年の地図」の透明シートがあると便利です。

自分で作るしかないかな!
ア。TPフイルム 現在製造中止とのこと
イ。明治19年は2万分の1、現在は25000分の1 この違い
ウ。適度な倍率は・・・・


2.、「明治19年の地図」での小学校区区分されている物があると活用しやすい。


豊中市の街道の案内図  旧上新田村の街道・道標

表札案
上新田西口道標
上新田3丁目9
この道標はむかしの上新田村の西口・旧新田小学校に立っていて
勝尾寺街道と三国街道の分岐にあたる。
2009年3月上村和功氏により村墓地で発見された。
上新田には他に4基の道標があり、東から
東口、南口、北口、大坂三リがあり、この道標で出口道標が揃い、
全ての出口道標が揃っている旧村はなく、非常に珍しい地区であり、
貴重な資料として重要である。
またこの道標を立てた願主、箕面市内の大坂道に2基存在する。
当時の信仰の様子を伝える貴重な物である。

2010年1月4日月曜日

探索Ⅱ   豊能町


正徳四年(1714)豊能町川尻
今日は車です。2回目前回は紅葉の時、川の反対側の川尻を捜しました。
豊能町に問い合わせると、川の東側の川尻でした。
さて、今日は「右久安寺」を探した後、豊能町へ 見つからず
新町へ戻る、探して、再び豊能町へ 見つからず、北摂信愛園の裏をさがす。
あきらめて帰ろうと思っていたが、手前に石がある角に来た。

先に見つかったのは力士「小車利助の碑」説明書を読んで
振り向くと 案内板が立っていた。 
「そうか! これだったか!」 埋もれていて 右、左 しか読み取れません。
次回、これを掘り起こします。
池田街道 道標
右ハかめやま  左ハさい志よ  ミち
道標年表が一つ埋まりました。

これの向かいには、力士の碑が

小車利助の碑


だいぶ探しました。そのおかげで
「道標」を又見つけました「上止々呂美」。
文字は読み取りにくいく、小さい物ですが、道標の形をしています。
下止々呂美自治会館の近くですので箕面市に連絡します。

川尻の探索Ⅰ 紅葉のころ

2010年1月3日日曜日

初仕事 右久安寺 道標探索


池田市 「右 久安寺」道標  携帯と比べてください、小さいものです。
池田市の道標はこちら あと一つ
右は尾根筋です。 左は「池田街道」です。
消えかかっている街道です。 左に取ると久安寺前に出て、細河へ
箕面市の一般廃棄物の最終処分場から山の中腹を南へ
尾根を回ること4つそれ以降は、下の写真のような山道を4つで出くわします。
この写真ではわかりづらいでしょう。 右の木の手前にあるものです。
大きな木の右手にあるのが 道供養碑です。
途中で炭を焼いている方にお話を聞きました。 年は80歳 釜も見せていただきました。
中間点に地蔵・閻魔さん?が安置されていました。
この地蔵 左側に文字が掘ってあります。
教えてもらいました。
「またたび地蔵」でした。

この石仏も変わっています。
こんな石仏、私は始めてお目にかかります。

不動明王?
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2012/01/29 追加  私の久安寺 車   道中記
 
下止々呂美から上ります

炭焼き小屋があります。

中腹をこのように歩きます。

展望はよい 妙見方向


道はこんな感じの部分もあり スリルに富んでいます。

右が尾根筋  一般的に左に降りる  
手入れが入っておればよいのですが  雑草がない 今の時期がよいのではないでしょうか

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           こちらも小さいですが立派です。
豊中市松林寺より天竺川堤防に上がる途中
 
新しく見つけました。 服部天神境内で 2010年1月20日
上新田徳林寺の祠 木彫りです。
送信者 2010-02-19-1350-39