2010年8月14日土曜日

今津っ子さんより電話あり

今津っ子さんより電話がありました。
 私のブログを見て感想を頂きました。  有難うございます。
 私からの質問は
  大阪市内の道標の資料があるのか!・・・・ないようです。
  また、南側の道も、西側の道も消滅しているので、旧街道とは言えない。
 ポツンとある道標をどのようにして、見つけられたのか! 疑問でしたので
 聞きますと
 「昔の地図を今の地図に重ねて歩いてみたらあった。」ということらしいです。
 なるほど、なるほど 
 現在ない古い旧道を探す探検家ですね! このような捜査方法もあります。
   またまた、一本取られました。

 北宮原村    山口村



 西宮で道標を調べておられる池田市立図書館に「荒木勉氏が池田の道標の本を寄贈した。」との事です。
  それなら、一度 図書館へと思っています。
  それに、荒木勉さんが今津っ子さんに道標の資料を渡されるとのことです。
  そんな方なら私も一度お会いしたいと思います。
  今津っ子さん
  後日、よい知らせが報告されることを待っています。

 
    

2010年8月12日木曜日

勝尾寺への道標11 宮原 東中島 横関街道


以前に「今津っ子」さんから指摘のあった道標 2基調査
以前に捜索に出かけましたが、分かりませんでした。
今度は入念にと思い地図で探しましたが、そのような道はありません。
覚悟して出かけました。

立派な道標です。 
大きさ 23x22.5x100
(南年) 左 ミの かちを寺
中山          道
池田 伊丹     
(西面) 右 大坂道
(東面) 明治四十年  建

となっています。車の後ろに南向きに道路があったそうです。
右に取ると道路を横断すると大きな宅地になっていて、道がありません。 
これが一つがぽつんと立っていて、思いつきません。
近所のおばあちゃんが出ておられ、この道標のことを聞きました。話してくれました。
「道路工事の際、撤去の話がでたが、前の家の人が邪魔になる物でもないので残しておいてくれ」とたのまれたそうです。その家の人は、西側が自分の生まれた家で長女、何十年まえ、ここに屋敷を構えたらしい。

「ここの道はでこぼこ道で大きさは、いまの半分ほどあった。」
「そこの大通りも半分ほどの大きさで、当時は道路の両側和どぶ川になっていた。」
「ここいら全て田んぼであった。」
「おじいちゃんはもう死んでいない、墓は、東淀川駅の東側にある。」


西側  宮原1-16-16  垣内大三郎

さてもう一つは  新大阪駅の南側になります。
右は東海道線 大阪方面 後ろが新大阪駅
左側の斜めの道を進みます。

振り返ると 新大阪駅



大きな通りにでて二手に分かれます。
道標は 掃除をしている方のマンションの左側の祠にあります。

これも立派な物です。
大きさ 24.5x21.5x86
右 本ん庄
北 かち於じ
左 よこぜき


こ のビルの所有者が話をしてくれました。
今日はついている、相手が話しかけて頂きました。
「この道標は もっと西にあったものだ。」
(斜めの道からぶつかったところにあった。写真で真正面になければならない。)
「途中折れているのは 空襲によるもの」という話
それ以上は情報を得ず
観音様です。 東中島町1-8-10 


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
2013/03/26

横関街道  淀川から神崎川まで 「ざ・淀川」         2013年3月4日月曜日                     
横関は横堰の新事実                       2012年3月24日土曜日
勝尾寺への道標11 宮原 東中島 横関街道          2010年8月12日木曜日
 
追加  2012/03/25 
あなたはどのルートを撮りますか

2010年8月11日水曜日

赤川橋鉄橋  車の中から

道標を探しに 地図もなく西中島へ
途中
淀川にかかる橋
歩道と鉄道が同居




追加
電車が  歩道閉鎖 
倍返し  台風18号 

「樫切山の道標」 吹田

吹田市立博物館所蔵
「樫切山の道標」
吹田郷土史研究会副会長 竹田氏
今回、先生にお願いして、博物館で見せて貰いました。

(西面) 裏 面
すぐ 茨木 富田

横幅 16㎝    高さ 67.5㎝

東 面   
すぐ 山田小川村
左  山田 下 村
幅 12.5㎝
高槻河内屋平兵□  家内

博物館に掲載許可申請し、許可を得ました。
本ページに使用している写真の使用には管理人に連絡してください。

吹田市の道標修正

ある風景  高瀬川 僧行基

高瀬川跡

高瀬川は古歌にもうたわれ、平安時代には
「高瀬の淀」、江戸時代には「守口川」とも
呼ばれていました。
この高瀬川には。僧行基がかけたといわれ
ている橋があり、その橋の遺物と思われる橋杭の
石柱が出土したことから、相当大きな川で、かっては
淀川の本流であったといわれています。

高瀬神社
土居の道
高瀬・世木の道

2010年8月9日月曜日

今日の講師 妙見山はよしかわ先生

能勢妙見山

知っている方も多いと思います。

妙見の三角点
キリスタン瓦とも言われている。
能勢氏の家紋?

右 黒川
左 吉川
明治十一年

妙見口の見つけた「町石」は まだ溝に入ったままでした。