2011年7月19日火曜日

十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見

またまた新発見、考えました。
同じ方向にを指す、道案内に対する考察
 十三 新高公園 の道標」
 
「今津っ子」さんの調査結果
 同じ方向に 十三 十六丁  本庄 二十丁とあるので
  「十三の渡し」から十六丁 を測定する。
  神津神社 道標A
  

大きな地図で見る

 これも、能勢街道でJR貨物線の踏切を越えたあたりなります。
 
 あった場所は距離的には ここにあたると思います。

 移築されても チョット遠過ぎるようです。
 ここいらに どこかから来た道があればよいのです。 (未確認)

 「十三新高公園の道標は疑問
 1.JR貨物線・新幹線の近くのあった。
 2.東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
 3.同じ方向にを指す道標から考えられることは、 
   同様な道標が神津神社の左端の道標C寛永2年 と同じ表示になります。 それは
   「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
   この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
   次のように解釈する。
    「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
   というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
   「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
   大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
   もう一つ、能勢街道は全体的には南北の道だが、
   ここでは、街道が東西でなければならない。
   そのような場所があるのか! それが次の問題だ。   
 4.道があるのは、ここでは 北上すると「野中村」で左に折れる道がある。
   野中村で 左に折れると   
   ☜ かんざき、中山、伊丹 は
     堀上村 → 三津屋村を出て、中国道に合流することができる。 
   資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
  
 「道標で同じ方向を示している場合は 同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
 新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
 途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。 
   これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
 能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」の道になっている場所
  あったら、  新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。

***************************************** これまでの経過
十三の公園???   何処 2011年4月16日土曜日  きっかけになった。 
                        きっかけになったサイト 
連絡がありました。          2011年4月18日月曜日  市の早い対応
見てきました。 十三の公園     2011年4月21日木曜日
十三の道標  2基          2011年4月20日水曜日  中国道の道標

***************************************** 以後 考察
    
  
十三新高公園の道標 考察 Ⅰ         2011年7月19日火曜日
十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見   2011年7月19日火曜日
道標表示について                 2011年7月27日水曜日  
東西の道あり  能勢街道            2011年7月28日木曜日
十三の新高公園道標の旧在所         2011年7月30日土曜日 
十三 神津神社の道標 地名に         2011年8月8日月曜日
新高公園の道標???  見つけた道標

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