またまた新発見、考えました。
同じ方向にを指す、道案内に対する考察
「十三 新高公園 の道標」
「今津っ子」さんの調査結果
同じ方向に 十三 十六丁 本庄 二十丁とあるので
「十三の渡し」から十六丁 を測定する。
神津神社 道標A
大きな地図で見る
これも、能勢街道でJR貨物線の踏切を越えたあたりなります。
あった場所は距離的には ここにあたると思います。
移築されても チョット遠過ぎるようです。
ここいらに どこかから来た道があればよいのです。 (未確認)
「十三新高公園の道標」は疑問
1.JR貨物線・新幹線の近くのあった。
2.東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
3.同じ方向にを指す道標から考えられることは、
同様な道標が神津神社の左端の道標C寛永2年 と同じ表示になります。 それは
「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
次のように解釈する。
「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
もう一つ、能勢街道は全体的には南北の道だが、
ここでは、街道が東西でなければならない。
そのような場所があるのか! それが次の問題だ。
4.道があるのは、ここでは 北上すると「野中村」で左に折れる道がある。
野中村で 左に折れると
☜ かんざき、中山、伊丹 は
堀上村 → 三津屋村を出て、中国道に合流することができる。
資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
「道標で同じ方向を示している場合は 同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと「☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。
これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」の道になっている場所
あったら、 新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。
***************************************** これまでの経過
十三の公園??? 何処 2011年4月16日土曜日 きっかけになった。
きっかけになったサイト
連絡がありました。 2011年4月18日月曜日 市の早い対応
見てきました。 十三の公園 2011年4月21日木曜日
十三の道標 2基 2011年4月20日水曜日 中国道の道標
***************************************** 以後 考察
十三新高公園の道標 考察 Ⅰ 2011年7月19日火曜日
十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見 2011年7月19日火曜日
道標表示について 2011年7月27日水曜日
東西の道あり 能勢街道 2011年7月28日木曜日
十三の新高公園道標の旧在所 2011年7月30日土曜日
十三 神津神社の道標 地名に 2011年8月8日月曜日
新高公園の道標??? 見つけた道標
同じ方向にを指す、道案内に対する考察
「十三 新高公園 の道標」
「今津っ子」さんの調査結果
同じ方向に 十三 十六丁 本庄 二十丁とあるので
「十三の渡し」から十六丁 を測定する。
神津神社 道標A
大きな地図で見る
これも、能勢街道でJR貨物線の踏切を越えたあたりなります。
あった場所は距離的には ここにあたると思います。
移築されても チョット遠過ぎるようです。
ここいらに どこかから来た道があればよいのです。 (未確認)
「十三新高公園の道標」は疑問
1.JR貨物線・新幹線の近くのあった。
2.東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
3.同じ方向にを指す道標から考えられることは、
同様な道標が神津神社の左端の道標C寛永2年 と同じ表示になります。 それは
「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
次のように解釈する。
「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
もう一つ、能勢街道は全体的には南北の道だが、
ここでは、街道が東西でなければならない。
そのような場所があるのか! それが次の問題だ。
4.道があるのは、ここでは 北上すると「野中村」で左に折れる道がある。
野中村で 左に折れると
☜ かんざき、中山、伊丹 は
堀上村 → 三津屋村を出て、中国道に合流することができる。
資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
「道標で同じ方向を示している場合は 同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと「☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。
これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」の道になっている場所
あったら、 新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。
***************************************** これまでの経過
十三の公園??? 何処 2011年4月16日土曜日 きっかけになった。
きっかけになったサイト
連絡がありました。 2011年4月18日月曜日 市の早い対応
見てきました。 十三の公園 2011年4月21日木曜日
十三の道標 2基 2011年4月20日水曜日 中国道の道標
***************************************** 以後 考察
十三新高公園の道標 考察 Ⅰ 2011年7月19日火曜日
十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見 2011年7月19日火曜日
道標表示について 2011年7月27日水曜日
東西の道あり 能勢街道 2011年7月28日木曜日
十三の新高公園道標の旧在所 2011年7月30日土曜日
十三 神津神社の道標 地名に 2011年8月8日月曜日
新高公園の道標??? 見つけた道標
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