2019年5月17日金曜日

投稿 豊津町の発掘  ありがとうございます。

皆様へ

  2月に報告しました豊津町31番の発掘調査、追加調査が今週行われています。

 マンションの基礎工事のため敷地南側一帯の埋め土がはがされていて深さ2mほどの大きな穴が開いています。

 そこを調査しています。

 前回の溝の続きが南北方向にさらに伸びています。

 写真には映っていませんが西側には2m四方の窪地があり、住居跡にしては小さいですが建物の跡のように思えます。

 1343年の垂水荘の取帳ではこの4条1里35坪には、6件の屋敷と畠、そして河と堤が書かれています。

 1mから2m幅のラインは河か堤と思われます。

 記録どおりの状態です。
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2本のラインは河でした。

  西側にも前回から続く溝があるのですが、少し変わった区画になっています。

  住居跡?といった場所を削り取る形。流れる形で出なくかぎ型になった場所があったりします。

  詳しくはフェンスの隙間から覗いただけではわかりませんが...




2019年5月16日木曜日

浜町継承碑 現龍大明神 楠木大明神 名刀匠


長柄橋の北詰 阪急電車の西方
よく分かりません、再度挑戦します。
その後の写真も滅茶苦茶



大きな碑が2基
「現龍大神」と「太郎助大神」


小さな「太郎助大神」

更に 奥に2基

それに「現龍大明神」「楠木大明神」が彫れていて 
右の碑には「現龍宮修繕基金寄付者芳名」大正6年11月
後は読み取れません、拓本に任せます。

近くに「永春寺」いつも通りすがるが気にはなっていたのですが

来國長、来國次
来一族は刀剣師、鎌倉の岡崎正宗(名刀・正宗)に習う
なお國次は大模様の乱刃を焼く正宗流を習熟していた。

 来族、末裔 案内板がありました。

来明部(らいのあきのべ)の末裔 来國次講氏人


別に 江戸時代の国学者上田秋成が灯籠を寄贈したとあるが確認は取れていない。

2019年5月15日水曜日

好きなラーメン 教えて

 
           一番右の店は閉店でした。

駅前にラーメン屋が軒を連ねている
その情報で 何回か通っています。
今日の店は ここ 豚骨ですが 細麺が好きな私には苦手
食べられませんでした。
量が多いわけではありません。

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