2009年6月19日金曜日

京への道 6  片山町 吹田街道・亀岡街道の間道

 豊津から「吹田の渡し」経由と片山を通るルートで検索してみます。
 このルートは吹田街道と大阪高槻京都線との合流点「吹田渡」から
 高浜神社に行き天道に至るのでは遠回りになると考えています。
明治19年の地図には天道から片山村を通るルートがあるので豊津から近道として利用したのでないでしょうか。
 吹田の渡しから亀岡街道で天道に向かいいます。区画整理、JRによって現在はその道はとぎれ存在しませんし、また吹田の渡しから片山村への道も道標からも地図からもあったようです。    ちず丸距離計測で試みましたが、実測できませんでした。が現在の地図上からも近道があったと考えるのが一般的ではないでしょうか!
  片山の道標 でないか

    左 大阪  と読めるのではないでしょうか!
      これは 寺の住職に車よけといわれました。

     この道標は 70歳代の家の人に子供の時からあった といわれました。
 右 亀岡     左 佐井寺 だと思います。
 もう一つは 2個の地蔵さんがあります。 立派な祠です
  賀田山町2東交差点の近くです。  片山3丁目2
 
  下の祠は 浄念寺の北側の通りを西に20メートルにあります。
  
   中には 6期の地蔵がまつられていました。

  今回 山田から青葉丘北、下穂積、松ケ本町で大阪高槻京都線を渡り、JRをくぐり、下中条町で宇野辺から来た高槻街道と合流するルートと市場池経由とが存在します。
 道標で言うと山田地区では1基だけ存在しますので、山田三辻の道標でそこには行き先「京」又は「いばらぎ」は見あたりません。ので、判断に困りますが、私が山田から京に向かうだったら、近道の山田街道を使います。 または博物館で保管されている道標「樫切山道標」が物語るのでしょうか!「京」は出てきませんが、西面「すぐ 茨木、富田」とありますので、このルートを使ったのではないでしょうか! 
何せ資料がない。
 山田の昔話では、伊勢参りの迎えに大津まで出かけたそうです。その際のルートはわからないのでしょうか!

出口道標 上新田  地図

上新田の道標
上新田村から東西南北出口にある道標・地図

より大きな地図で 上新田の道標 を表示

見つけた道標(赤の目印
三国街道と熊野田道との分岐  
「旧上新田小学校の道標」=「上新田西口道標」 

「見つけた道標」
http://space.geocities.jp/fkyws889/framepage3.html

上新田の道標 東西南北
1.東口道標
2.西口道標
3.南口道標
4.北口道標
「道標は道の辻辻にあった。」

2009年6月17日水曜日

「山田の歴史」 Ⅱ

おでかけイベント  吹田市博物館
吹田探索 山田村のまち歩きとトーク「山田の歴史」2

昼食後 竹田純立氏による「山田村」講演

午後の探索  伊射奈岐神社

本殿 
 

紫雲寺 本堂天井




 山田の地蔵群
    「地蔵の溝」  これから始まる
   案内者が云われた「地蔵に何故溝があるのか!」
  簡単なことだ唐臼」が壊れ 再利用・リサイクルです。

   一般的だと思います。  資料を見ていると
 『地蔵の頭で溝がある!』  

  信仰の始まりは 「万物に霊が宿る」
だから、昭和の生まれの人は
 「地蔵・石物におしっこしたら ちんちんが腫れる!」と言われ
 地蔵に後から溝を掘ってよいのでしょうか!

探索 山田の歴史

吹田探索 山田村のまち歩きとトーク「山田の歴史」1
イベント 吹田博物館
 「吹田 いま・むかし」
行事 6月13日(土曜)(すいた環境学習協会まち組)
山田村のまち歩きとトーク「山田の歴史」
集合 10時 南千里駅解散 16時
山田伊射奈岐神社-小野原街道より阪急山田駅


竹田純立氏  牛ノ首池前で

牛ノ首池周りは拓本のメッカ  15碑ある。

公園北部にある地蔵 変わっています。

吹田慈姑

蛍のメッカ 高町池

一時本で有名になったウンコ

         山田の歴史 Ⅱ

2009年6月15日月曜日

和田岬灯台

須磨公園  国登録有形文化財

すごいですね 和田岬灯台 保存
  初期は木造