一番南にある道標
「新高公園の道標」は「勝尾寺」の表示が能勢街道でです。
表示が同方向を示し道標として、それに回り道をする道標として
疑問 から始まった 新高公園の道標
この道標は
その1. 一般的に能勢街道は南北の道
それで、一番多きな問題点は 能勢街道が「東西」に通っている場所が問題である。
この点では、まだ確証が得られていない。 2011/07/28確認
その2. 「東すぐ 三国 ■■ み乃勝尾寺 乃セ」
「南 卍 ← かんざき 伊丹 中山」 とあるので、
三国、み乃、勝尾寺へは神崎川の堤防まで行って、堤防を引き返す。ということだか、
道、街道については、近道をするのが原則には当てはまらない。 疑問の1
その3. 「西面 すぐ 十三十六丁 本庄二十丁」 移築された物
1里など「距離の換算」は時代とともに変わるが、1丁≒109.09 m で計測した。同じ時期のでそれは、問題ない。
今回、「十三の渡し」からと、移動されているが「本庄の渡し道標」から。それそぞれの距離を測定しました。「新高公園の道標」の旧在所を測定する。そこからわかった、この道標の旧在所は
「JR貨物線・新幹線の北側」にあった。ことが分かった。
その4. 同じ方向を表す道標について
東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
同様な道標が神津神社の道標C寛永2年(小島北口道標) と同じ表示になります。
それは
「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
次のように解釈する。
「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
そのまま進むと「野中村」があり、そこで左に折れる道がある。
野中村で 左に折れると
野中村 → 堀上村 → 三津屋村の南側で、中国道に合流することができる。
☜ かんざき、中山、伊丹 に合致する。
資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
今回の考察
「道標で行き先の違う場所を同じ方向を示している場合は 「すぐ」を主に考え、まっすぐ進みなさい・同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
また、左に曲がる場合は、南面に 右に曲がる場合は 北面に 記載すると どちらでも通用する。
基本的には 辻辻にある道標が、この道を進むと分岐があるよと今後の案内を前もって知らせるというのも面白い。
新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと「☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。
これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」になっている場所あったら、
新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。
また、新しいことを発見しました。 何所かにこのような資料があったかな!
「新高公園の道標」は「勝尾寺」の表示が能勢街道でです。
表示が同方向を示し道標として、それに回り道をする道標として
疑問 から始まった 新高公園の道標
この道標は
その1. 一般的に能勢街道は南北の道
それで、一番多きな問題点は 能勢街道が「東西」に通っている場所が問題である。
この点では、まだ確証が得られていない。 2011/07/28確認
その2. 「東すぐ 三国 ■■ み乃勝尾寺 乃セ」
「南 卍 ← かんざき 伊丹 中山」 とあるので、
三国、み乃、勝尾寺へは神崎川の堤防まで行って、堤防を引き返す。ということだか、
道、街道については、近道をするのが原則には当てはまらない。 疑問の1
その3. 「西面 すぐ 十三十六丁 本庄二十丁」 移築された物
1里など「距離の換算」は時代とともに変わるが、1丁≒109.09 m で計測した。同じ時期のでそれは、問題ない。
今回、「十三の渡し」からと、移動されているが「本庄の渡し道標」から。それそぞれの距離を測定しました。「新高公園の道標」の旧在所を測定する。そこからわかった、この道標の旧在所は
「JR貨物線・新幹線の北側」にあった。ことが分かった。
その4. 同じ方向を表す道標について
東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
同様な道標が神津神社の道標C寛永2年(小島北口道標) と同じ表示になります。
それは
「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
次のように解釈する。
「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
そのまま進むと「野中村」があり、そこで左に折れる道がある。
野中村で 左に折れると
野中村 → 堀上村 → 三津屋村の南側で、中国道に合流することができる。
☜ かんざき、中山、伊丹 に合致する。
資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
今回の考察
「道標で行き先の違う場所を同じ方向を示している場合は 「すぐ」を主に考え、まっすぐ進みなさい・同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
また、左に曲がる場合は、南面に 右に曲がる場合は 北面に 記載すると どちらでも通用する。
基本的には 辻辻にある道標が、この道を進むと分岐があるよと今後の案内を前もって知らせるというのも面白い。
新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと「☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。
これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」になっている場所あったら、
新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。
また、新しいことを発見しました。 何所かにこのような資料があったかな!
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