平安時代の長徳2(996)年に河内石川寺の仏眼(ぶつげん)上人の進言により花山法皇が寺社を建立したのが豊中八坂神社のはじまりとされるとのこと。熊野田(旧村名)の由来ともあり。その後、老朽化した社殿が永正丙寅(1504)に足利義澄により再建され、天正年間に荒木村重の兵戦により社殿が破壊された後、慶安2(1649)年に現在の位置に再建されたとのこと。もともとの社名は葛上神祠(くずかみしんじ)であったが、弘治2(1556)年に牛頭天王と名を変え、さらに明治3年に神仏分離政策により八坂神社と社名を改めたとのこと。京都祇園社が八坂神社と改称したのは明治4年であるとの記載もあり。
2016年5月21日土曜日
2016年5月18日水曜日
今日の「真田丸」
「真田丸」全国巡回展 11日~20日
会場の人から「写真はどうですか! 無料です。」
他の3人は撮ってもらいました。私は遠慮しました。
処が、写真を見ますと、周りが上のように飾られた写真です。
「これはいい、おもしろい」ので 私もお世話になりました。
元の写真は下の写真です。
それにお土産が

かぶと「真田丸」と作り方

作ってみました。
正面 後ろ
次は 「ガラシャ」か 誰かが言っていました。
さて、「真田丸」 道明寺では 夏の陣の戦いが
近場では、「真田丸饅頭」などが売られているそうです。
新しい碑を2基紹介します。
心眼寺 菩提寺ですが 新しい碑が
「従5位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」
平成二十六年十月
もう一基は 前の明星学園のグランド横に
「真田丸顕彰碑」
平成二十八年一月
大阪城の南東の角に「真田丸」とある。
「高津の宮の絵馬堂」 昔はここからの眺めが・・・ 今は ビルばかり
ここには、「相合坂」と「縁切り阪」(西坂)がある。
たくさんの碑があるが その一つ

藤沢南岳の碑 次回 儒学者藤沢家の菩提寺:「齢延寺」へ
南岳の孫:藤澤桓夫
会場の人から「写真はどうですか! 無料です。」
他の3人は撮ってもらいました。私は遠慮しました。
処が、写真を見ますと、周りが上のように飾られた写真です。
「これはいい、おもしろい」ので 私もお世話になりました。
元の写真は下の写真です。
それにお土産が
かぶと「真田丸」と作り方
作ってみました。
正面 後ろ
次は 「ガラシャ」か 誰かが言っていました。
さて、「真田丸」 道明寺では 夏の陣の戦いが
近場では、「真田丸饅頭」などが売られているそうです。
新しい碑を2基紹介します。
心眼寺 菩提寺ですが 新しい碑が
「従5位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」
平成二十六年十月
もう一基は 前の明星学園のグランド横に
「真田丸顕彰碑」
平成二十八年一月
大阪城の南東の角に「真田丸」とある。
「高津の宮の絵馬堂」 昔はここからの眺めが・・・ 今は ビルばかり
ここには、「相合坂」と「縁切り阪」(西坂)がある。
たくさんの碑があるが その一つ
藤沢南岳の碑 次回 儒学者藤沢家の菩提寺:「齢延寺」へ
南岳の孫:藤澤桓夫
2016年5月16日月曜日
北摂の旧街道についての資料
●『大阪府史 近世編Ⅰ』p517
「丹波亀山と大坂とを結ぶ街道として、清坂街道と能勢街道があった。『五畿内志』によると、清坂街道は大坂天満橋を起点とし、中津川の長柄の渡し、神崎川の吹田の渡しを経て、島下郡中河原で西国街道と交差し、老ノ坂山地の清坂峠(鳥居峠)を越えるもので、茨木街道とも称された。能勢街道は大坂天満橋を起点に北進し、池田を経て能勢郡吉野で丹波国に通じた。池田街道・銀山街道などとも呼ばれた。」
●『大阪府史 近世編Ⅱ』p226 「西国街道と宿場」
●『とよなか歴史・文化財ガイドブック』p76 「とよなかの街道」
豊中市内の道標を含む文化財ガイド。別添道路地図(豊中市)に西国街道、新旧能勢街道、新旧箕面街道、勝尾寺街道、山田道、桜塚街道、新旧吹田街道、三国街道、京街道、伊丹街道が表示されている。
●『能勢街道と岡町・豊中』
子ども向き。「近世の主な交通路(西国街道・神崎川と能勢街道・猪名川)と豊中地域」「豊中を南北につらぬいて通っていた能勢街道」「能勢街道を使って運ばれたもの」「寺や神社のお参りの道として使われた能勢街道」「能勢街道と結びついていた水路、猪名川と神崎川」「能勢街道で生まれた岡町」の6章立て
●『近世の大阪そして豊中、能勢街道』
「豊中地域の立地」「大阪北郊としての豊中」「史跡と神社」「岡町発展の背景」の4章から成り、能勢街道や西国街道との関わりへの言及もみられる。
●『新修豊中市史 社会経済』p133 図「近世豊中の村々と街道」に能勢街道、吹田街道、伊丹街道、箕面街道
●『歴史の道調査報告書集成2 近畿地方の歴史の道2 大阪2』p259 報告書「西国・丹波街道」
「歴史の道調査の概要」「摂津の古道概観」「街道の現状」「考古学からみた摂津の古道」「古代中世の北摂山陽道」「摂津古道の原形 三嶋路と長尾の直道」「西国街道と津戸中道の建造物」「西国街道と能勢街道沿いの建造物」「摂津古道沿いの美術工芸品」「資料(一覧表)」付録地形図8枚から成る。
主に採りあげられているのは、西国路、亀山路、津戸ノ中道、天王嶺道、摺脛峠道、吉野嶺道、関明神越道、鳥居嶺道、横縦嶺道、長坂嶺道
●「大阪春秋」10号大阪の道 前編 「グラビア なつかしき街道」(モノクロ写真)「大阪の街道地図」
同 11号大阪の道 後編 「西国街道と志多羅の神」
同 15号おおさかの寺院 「西国三十三箇所観音霊場巡礼」
同 17号北摂 前編 「西国街道点綴 箕面から伊丹まで」「幻の巡礼街道 秦野より池田まで」
同 56号おおさか歴史の散歩道 続編 「明治の枚方宿 引札のウオッチング」「西国街道あれこれ・野ざらしの文化財をたずねて」
同 66号おおさか歴史の散歩道 Ⅲ 「『能勢街道』を辿る 三国から石橋あたりまで」「能勢街道の道標をたずねて」「『亀岡街道』探索」
●『豊中市史 第2巻』p195 「交通の発達」
●『新修豊中市史 通史1』p698 「街道と物流」
「市域の代表的な街道に能勢街道・箕面街道・吹田街道・鎌倉街道(京街道)がある。能勢街道は大坂から淀川・神崎川を渡って豊中市域に入り、三国・服部・岡町をへて池田・能勢・多田銀山などへ向かう道で、池田街道・銀山街道とも呼ばれた。また能勢方面からの物産(米・酒・炭など)を運ぶ牛馬の往来が多かったので馬街道ともいった。」p698
「箕面街道(旧道)は長興寺村付近で能勢街道から分かれて北上し箕面へ至る道で、箕面山参詣の道として利用された。現在の箕面街道は明治期に付け替えられた新道である。」p699
「吹田街道は能勢街道を服部(服部天神より少し南)付近で東に分かれて入る道である。住吉神社の南を通り、西福寺を過ぎた辺りで少し北上し、高川の手前で三国街道と交わり、吹田方面へと続く。日の出る方向に向かうので伊勢参りにも利用された。また上新田村から高川の堤に沿って三国に向かう三国街道は、上新田村などからの農作物(筍など)を運ぶ道であった。鎌倉街道は椋橋総社付近から東へ進んで能勢街道に合流する道で、尼崎方面との往来に用いられた。鎌倉街道という名前の由来は、中世に椋橋庄からの物資を鎌倉へ運ぶ道として使われたからだといわれている。椋橋庄は現在の庄内地区から旧猪名川を挟んで尼崎市戸ノ内一帯にあった荘園である。」p700
●『能勢町史』第5巻p295
資料編民俗の第4章は「交通」と題され、「諸街道」(能勢街道、丹州街道、三田街道、亀山道、妙見道)「丹州・能勢街道を歩く」「道標」の各節から成る。
●『道しるべ・大阪 旧街道をめぐって 北大阪編』大阪府通商観光課
「西国街道をめぐって」「東海自然歩道のコース周辺」「京街道と淀川をめぐって」「淀川の舟運」「東高野街道をめぐって」「三丹への道をめぐって」から成る。周辺の歴史、史跡等ガイドブック
●『図説北摂の歴史』p182 「人と物資と信仰の往来 能勢街道と道標」に「能勢街道概略図」収載
●『図説大阪府の歴史』p188 「街道と宿場町」の項に「近世主要交通図」(摂河泉)収載
●『吹田市史 』第2巻p124 「陸路と水運」
渡し
吹田 102間
広芝 96間
榎木 120間
三国 120間
神崎 180間
佃 132間
江口 108間
津門の中道
「丹波亀山と大坂とを結ぶ街道として、清坂街道と能勢街道があった。『五畿内志』によると、清坂街道は大坂天満橋を起点とし、中津川の長柄の渡し、神崎川の吹田の渡しを経て、島下郡中河原で西国街道と交差し、老ノ坂山地の清坂峠(鳥居峠)を越えるもので、茨木街道とも称された。能勢街道は大坂天満橋を起点に北進し、池田を経て能勢郡吉野で丹波国に通じた。池田街道・銀山街道などとも呼ばれた。」
●『大阪府史 近世編Ⅱ』p226 「西国街道と宿場」
●『とよなか歴史・文化財ガイドブック』p76 「とよなかの街道」
豊中市内の道標を含む文化財ガイド。別添道路地図(豊中市)に西国街道、新旧能勢街道、新旧箕面街道、勝尾寺街道、山田道、桜塚街道、新旧吹田街道、三国街道、京街道、伊丹街道が表示されている。
●『能勢街道と岡町・豊中』
子ども向き。「近世の主な交通路(西国街道・神崎川と能勢街道・猪名川)と豊中地域」「豊中を南北につらぬいて通っていた能勢街道」「能勢街道を使って運ばれたもの」「寺や神社のお参りの道として使われた能勢街道」「能勢街道と結びついていた水路、猪名川と神崎川」「能勢街道で生まれた岡町」の6章立て
●『近世の大阪そして豊中、能勢街道』
「豊中地域の立地」「大阪北郊としての豊中」「史跡と神社」「岡町発展の背景」の4章から成り、能勢街道や西国街道との関わりへの言及もみられる。
●『新修豊中市史 社会経済』p133 図「近世豊中の村々と街道」に能勢街道、吹田街道、伊丹街道、箕面街道
●『歴史の道調査報告書集成2 近畿地方の歴史の道2 大阪2』p259 報告書「西国・丹波街道」
「歴史の道調査の概要」「摂津の古道概観」「街道の現状」「考古学からみた摂津の古道」「古代中世の北摂山陽道」「摂津古道の原形 三嶋路と長尾の直道」「西国街道と津戸中道の建造物」「西国街道と能勢街道沿いの建造物」「摂津古道沿いの美術工芸品」「資料(一覧表)」付録地形図8枚から成る。
主に採りあげられているのは、西国路、亀山路、津戸ノ中道、天王嶺道、摺脛峠道、吉野嶺道、関明神越道、鳥居嶺道、横縦嶺道、長坂嶺道
●「大阪春秋」10号大阪の道 前編 「グラビア なつかしき街道」(モノクロ写真)「大阪の街道地図」
同 11号大阪の道 後編 「西国街道と志多羅の神」
同 15号おおさかの寺院 「西国三十三箇所観音霊場巡礼」
同 17号北摂 前編 「西国街道点綴 箕面から伊丹まで」「幻の巡礼街道 秦野より池田まで」
同 56号おおさか歴史の散歩道 続編 「明治の枚方宿 引札のウオッチング」「西国街道あれこれ・野ざらしの文化財をたずねて」
同 66号おおさか歴史の散歩道 Ⅲ 「『能勢街道』を辿る 三国から石橋あたりまで」「能勢街道の道標をたずねて」「『亀岡街道』探索」
●『豊中市史 第2巻』p195 「交通の発達」
●『新修豊中市史 通史1』p698 「街道と物流」
「市域の代表的な街道に能勢街道・箕面街道・吹田街道・鎌倉街道(京街道)がある。能勢街道は大坂から淀川・神崎川を渡って豊中市域に入り、三国・服部・岡町をへて池田・能勢・多田銀山などへ向かう道で、池田街道・銀山街道とも呼ばれた。また能勢方面からの物産(米・酒・炭など)を運ぶ牛馬の往来が多かったので馬街道ともいった。」p698
「箕面街道(旧道)は長興寺村付近で能勢街道から分かれて北上し箕面へ至る道で、箕面山参詣の道として利用された。現在の箕面街道は明治期に付け替えられた新道である。」p699
「吹田街道は能勢街道を服部(服部天神より少し南)付近で東に分かれて入る道である。住吉神社の南を通り、西福寺を過ぎた辺りで少し北上し、高川の手前で三国街道と交わり、吹田方面へと続く。日の出る方向に向かうので伊勢参りにも利用された。また上新田村から高川の堤に沿って三国に向かう三国街道は、上新田村などからの農作物(筍など)を運ぶ道であった。鎌倉街道は椋橋総社付近から東へ進んで能勢街道に合流する道で、尼崎方面との往来に用いられた。鎌倉街道という名前の由来は、中世に椋橋庄からの物資を鎌倉へ運ぶ道として使われたからだといわれている。椋橋庄は現在の庄内地区から旧猪名川を挟んで尼崎市戸ノ内一帯にあった荘園である。」p700
●『能勢町史』第5巻p295
資料編民俗の第4章は「交通」と題され、「諸街道」(能勢街道、丹州街道、三田街道、亀山道、妙見道)「丹州・能勢街道を歩く」「道標」の各節から成る。
●『道しるべ・大阪 旧街道をめぐって 北大阪編』大阪府通商観光課
「西国街道をめぐって」「東海自然歩道のコース周辺」「京街道と淀川をめぐって」「淀川の舟運」「東高野街道をめぐって」「三丹への道をめぐって」から成る。周辺の歴史、史跡等ガイドブック
●『図説北摂の歴史』p182 「人と物資と信仰の往来 能勢街道と道標」に「能勢街道概略図」収載
●『図説大阪府の歴史』p188 「街道と宿場町」の項に「近世主要交通図」(摂河泉)収載
●『吹田市史 』第2巻p124 「陸路と水運」
渡し
吹田 102間
広芝 96間
榎木 120間
三国 120間
神崎 180間
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江口 108間
津門の中道
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