2016年2月20日土曜日

17万件のビュー 有難うございます。 2016/02/20  

今日は 記念の日 ビュー 17万件 
           その代り 他で利用され それが独自に歩むものも多い。
             俗に云う 盗用も多くなっています。

       本ブログは 他の著作権と同様 著作権フリーではありません。
  
 使用している 文章、写真には、一般的に云われる本などの著作権が同様にあります。

  しかしながら、旧世代の人には 「本の内容を引用する。」
 ことが、著作権と思われている方々が多い、特に時代の波に乗れない、IT特化したものにはなじめない方々です。

  そのような方々は、10年前とは違う、現在の状況の認識・他の文化を取り込む努力が足りないと思います。  社会は日々変化します。それに対応できていない人が多くいます。
  
  
 現代の社会 IT化 コンピュータの世界についていけない人たちも多いと云う事です。
  


 ブログに関する著作権    他のサイトから

・文章(新聞や雑誌の記事、小説、他人のブログの文章など) 

・音楽(音楽そのもの、MIDIファイル、楽譜、歌詞など) 


・画像(他人が作成したCG、写真など) 

・動画(テレビやDVDなどをエンコードしたもの、他人の作成したフ

ラッシュなど) 

作成された段階で権利が発生する、これは著作権の大きな特徴

である。届け出が必要ないのは、著作権の主目的が、「著作者の

権利を守る」ことであるからだ。  

商業用目的でなければ著作物の利用は自由に行える」と考え、ブログを運用している事例は多く見受けられるが、これは誤りである。 

著作財産権を有するものの許諾が必要だ。

  著作権は ブログを書いた時点でブログユーザのもとに生じており、それを譲渡しない限りはブログの内容を自由に使うことはできないからだ。 
  

  ブログに掲載内容は、著作権が生じていると云う事です。

  ブログ上で知りえた情報は 著作権が生じます。



肖像権とプライバシー
   肖像権はあります。  簡単に云いますと 「人権を侵された。」でなければ 認められません。
 ウエブ上、(ブログ掲載等)で公開された写真を 第三者が肖像権と云う事はありえないことです。
 プライバシーに関しては、何処でどのようなこと 行動していたことを掲載し・ストーカー?でない限り
 また、特に人名の特定・住所・氏名・年齢などの個人情報を併設・掲げている場合を除き
 プライバシー侵害にはならないと考えます。
 このウェブ上で知り得た情報を元に 他に利用することは、犯罪になります。それが 著作権です。

 「憲法の人権」の規定は,政府を規制するものです。
  

利用したサイト     
 ブログを書くときに知っておきたい、著作権に関する知識

【肖像権|人物の撮影→公表は肖像権侵害になる|差止・損害賠償請求】

   
17万件のビュー 有難うございます。 2016/02/20
祝 16万件ビュー(訪問者)  2015年10月18日
祝 15万件ビュー 2015/07/02
祝 14万回ビュー 3/8 ありがとうございます。 2015/03/02
祝 訪問者 120,000人突破  このサイトも好調です。2014/08/11






「淀川を行く」 3 

鵜殿に関するニュース 2/25
大阪日日新聞



鵜 殿 
産経新聞 北摂版 2月18日 隔週木曜日

並河誠所 せいしょ

並河誠所  「五畿内誌」
寛文8年(1668年) 山城国紀伊郡横大路村 生まれ 伏見区
享保15年(1730年) 摂津国 調査
並河誠所にとって「忘れられている式内社の存在を改めて世に示す」ということが目的
標石は山状角柱と二段の台石から成り、角柱正面に式内社号、左側面に村名が陰刻され、中台石の側面中央には、短冊形の彫込枠の中に「菅廣房建」と陰刻がある。材質は花崗岩で、ほぼ一定の規格である。角柱は高さ96cm(約3尺)、一辺24cm(約8寸)、中台石は高さ24cm(約8寸)、一辺42cm(約1尺4 寸)、下台石は高さ43cm(約1尺5寸)、一辺61cmである(約2尺)。「菅廣房」とは、この顕彰に賛同し、資金を拠出した大坂の山口屋伊兵衛であるが、彼については不明な点が多い。

 並河誠所が『五畿内志』編集を終えた元文元年(1736)6月、摂津国内の『延喜式』所載の古社中20社が当時廃社となり、あるいはその由緒が誤り伝えられていたのに対して、社号石碑を建ててその湮滅をふせぎ、かつ誤りを正すため、幕府に許可と援助を願い出てた。
誠所の弟・儒学者並河天民の弟子で、当時幕府の採薬御用に活躍していた本草学者野呂元丈の斡旋もあり、8月に寺社奉行大岡越前守より許可が与えられた。
8月に寺社奉行大岡越前守より許可を与えられた。

誠所は摂津国東生郡赤川村庄屋久保武右衛門と弟・天民の遺児平太郎に20社を鎮座地において調査させる一方、同年9月、各社鎮座の村々の庄屋を大阪町奉行所に呼び寄せ、奉行松平日向守を通じて建碑の趣旨を申渡し、社号を刻した碑石と台石を大阪で調製させて引渡し、同年末より翌元文2年に指定した位置に据え置かせた。
建碑に要した費用は公儀より受けた廩米のほか、大坂の山口屋伊兵衛がこの年正月に死去したとき遺した20両を用いた。
そのため、台石に伊兵衛の本姓である「菅広房建」の四文字を刻ませている。


  • 元文3年(1738年)、71歳で没した。
金堀塚(現静岡県立三島北高等学校内)に墓が作られたが、大正8年(1919年)に本覚寺へ移された。

北畠顕家卿墓阿倍野伝北畠顕家の墓大阪市阿倍野区王子町3丁目8街区
    卿 政治をつかさどる大臣  三位以上


2016年2月19日金曜日

神崎川鉄橋が転用され、なお現役!・・・ 「浜中津橋」???

吹田郷土史研究会 総会後の講演会 1/28(木)

「吹田における明治の鉄道資産」
新年会・総会後 の講演でした。 
これだけに参加者 多数ありました。   ありがとうございます。

橋梁 再利用 2題




講演会風景 
   
多くの参加者がありました。 有難うございます。


{瓦斯踏切}も登場していました。  「瓦斯踏切」
そうですか! 
 
我がサイトでは、この時期:1月には 「北千里の踏切」への
アクセス数が挙がっていました。

この橋は 「上神崎川鉄橋」明治33年に撤去  その後転先で紹介された 2題
物を大事に使っていますね!


その① 山陽電鉄東ニ見車両工場
  上神崎川橋梁 100フート単線用
一度はお出掛けください。 

その② こちらは現役
   中津運河にかかる「浜中津橋」
       昭和10年 下神崎川鉄橋桁の再利用 道路用に

これも転用か???

大阪市のhp 「浜中津橋」

なんだ 下神崎川橋梁か  
吹田のではない下神崎川橋梁か
最後まで分からなかった。

旧漢字

旧跡   

村     邨 


 へい ぬさ  神前に供える 

近所のウメ  春日池 2/16







神津神社 碑

2016年2月18日木曜日

ここは何処・・・・

ここは「池田文庫」
ここに 十三にあった道標一基がある。



この道標 後ろには記載がないが
右には記載されているが 文字が薄く読まれない。
それで、池田文庫で調べることに
上記のことがわかりましたが、左右は書いてありませんでした。

数日後 調べていたら 他の資料がありました

大阪     講元 紙田喜兵衛

   題目講   松本熊治郎


難波         文野伊 助


            
仟若仟兵衛 
    
           住田□五



もう一基 





2016年2月17日水曜日

旧名継承碑 2題


大川町
現在の北浜三―四丁目の一部



横掘一―七丁目

2016年2月16日火曜日

近所の梅 桃山公園(春日池)  追加 2/24

再度撮り直し  2/24



2月16日 曇り







2016年2月14日日曜日

久しぶりの電話 留守電に入っていましたので

昨日、留守電に 「わこ君 久しぶり 特に用なない。」ですが 
  いまだに、昔の呼び方です。
  大阪で初めて知った 友人です。
  中学時代は 足が速いことで有名でした。 「のぶちゃん」 です。
  
  珍しいので  めったに電話することはないのですが、 電話をしました。
  

「わこうやけど 久しぶり」
「今、綾に居る。   友達と会った。来週 同窓会があるそうです。」
 
  田舎はいいわ! 同級生がいるので・・・  車がないと生活できない・・・・


最後に
「わこ君とこの兄さんとお姉さんにあったよ!」 
    長い電話になりました。



夜に 早速兄に電話 兄違いでした。こちらも久しぶり
    
長い電話になりました。


 今日は 春一番 風が強いが 温かい  温かくなると虫も動き始めます。