2014年9月11日木曜日
勝尾寺
「勝ち運をつかみに」 箕面 勝尾寺
大阪日日新聞
私のこのサイトは 主「勝尾寺街道」
昔の勝尾寺の写真を見つけました。
案内
「勝尾寺の鳥居と道標巡り」 はがき ファックス 多数抽選
箕面から勝尾寺を歩く 昭和36(1961)年10月某日http://www.geocities.jp/saeranosushi/kappo/6110katsuoji/katsuoji.html
吹田市 「浜屋敷」
秋です 赤とんぼ 分からないので 動画を
Yooは 何しに 日本へ? 日本は何処に行くの
9/18の新聞から
新聞報道から
日本を訪れた外国人旅行者22%増
依然人気です。
去年 1000万人
今年は はるかに上回るようだ。
中国・韓国・台湾の順で多い
優秀な外国留学生が 日本企業に就職希望が増大した。
このままでは、 日本は潰れる。
勉強しない学生、大学も数も多く、努力している外国人に就職先を奪われる。
体を使う仕事は残るでしょう。それも、日本の国を支えることになります。
歴史に学ぶ 日本も 海外移住がさかんな時期もありました。
昔 ドイツも海外移民を受け入れ、清掃作業などに従事していました。
仕事がなくなったドイツは どうしたのでしょうか!
本で学ぶ、 歴史から学ぶ・・・・
昨夜はすごい雷でしたね!
新聞報道から
日本を訪れた外国人旅行者22%増
依然人気です。
去年 1000万人
今年は はるかに上回るようだ。
中国・韓国・台湾の順で多い
追加 最近のニュースから
優秀な外国留学生が 日本企業に就職希望が増大した。
このままでは、 日本は潰れる。
勉強しない学生、大学も数も多く、努力している外国人に就職先を奪われる。
体を使う仕事は残るでしょう。それも、日本の国を支えることになります。
歴史に学ぶ 日本も 海外移住がさかんな時期もありました。
昔 ドイツも海外移民を受け入れ、清掃作業などに従事していました。
仕事がなくなったドイツは どうしたのでしょうか!
本で学ぶ、 歴史から学ぶ・・・・
***************
これが 夏の終わりか!
さて、今日は 下見の下見 最後は四天王寺で これ
「 Yooは 何 しに 日本 へ ? 」
最初にあったのは、墓地のある「元三大師堂」一人でした。 その時は会話もなく分かれます。
その後 私は 無縁塔、地蔵山を見学し、英霊堂前で小休止
暫くすると、この彼が横に座りました。
「 Yooは 何 しに 日本 へ ? 」始まりです。
台湾 21歳の将来 数学の教師を夢見る 学生 大坂、京都を5日間
神社仏閣に興味があるということです。
日本人には少ない、一人旅です。
私の年齢を云うと、元気ですね! 有難う!
暫く、話しました。彼は すぐに覚えてくれます。
「さて、次は何処に行くの!」 「四天王寺!」 「・・・・・・・・」
ここ 四天王寺ですよ! それから案内
地図を見せ 「今ここ」 すぐ理解します。
六時堂前で 写真を撮ってあげました。
中心伽藍の中に
馴れています、2デイ切符を持っていた、切符を貰いました。
旅慣れていますね!
何枚か 写真を撮ってあげました。
最後は ツーショット
後で、メールを送ります。 私のアドレスを書きました。
で、渡した紙は、 カバンの中を見ると グチャグチャの中にありました。
「メール貰えるか?」
さて、まだ 3時
これからどうするの スマホ を取り出し それと、会話が分からない時もスマホ
町を歩くには スマホがいるなと思いました。
「黒門市場」、ショッピング「なんば」、銭湯に行くとの話
夕陽丘駅で このホームは1番 先に2番乗り場に行くことを ホームの案内板で見つけています。
旅行していますね!
銭湯は天六に行くらしい ホテルは福島
ルートを間違っていますので、このルートで行くといいよ!OK
夕陽丘のホーム すぐ乗る場所を知ります。2番乗り場 向こう側 「おー」
日本橋で分かれました。
家に帰ってテレビでは 大坂で外国人が行くところ「ドンキホーテ」と「空中庭園」
それが 外国人の中で通 らしいです。
難波は「ドンキホーテ」に行くのかな!
そういえば、目の前の「ハルカス」と云ってもキョトンとしていました。
******************* Yooは何しに日本へ?
以前の
2014年9月9日火曜日
2014年9月8日月曜日
ご案内 「豊中の史跡・文化財をさぐる」
平成26年9月6日
豊中の歴史を掘る会
代表 高市 光男
展示会の案内
この度、下記の要綱で「豊中の史跡・文化財をさぐる」ー福西茂さんのスケッチより―展示会を開催します。
福西茂さんは、豊中市在住の郷土史家でした。昭和57年、大阪市内の中学教諭を定年退職後、親の出生地である能勢町をはじめ、豊中市、池田市、さらには勤務校が所在する大阪市平野区、東住吉区において史跡・文化財のスケッチ画を描き続けてこられました。スケッチ画は手作りの解説を添えるなどして親しみやすい構成になっており、展示会を開催され、その後、これらスケッチ画は当該各市区町に寄贈されておられ、豊中市教育委員会は1989年、福西茂さんから寄贈を受けております。当市においては、その後、教育研究所(現教育センター)が小中学校に郷土史資料として『豊中市史跡たずね描き』を発刊、現在の『とよなか歴史・文化財ガイドブック』に引き継流れました。福西茂さんが他市を含め描かれたスケッチ画の数 1000枚を超す大量の物でした。
今回、豊中市が所有する「スケッチ原画」を主に、他市の活動を資料とし展示いたします。
このような、福西茂さんの活動・業績を後世に伝え、さらに我が郷土・とよなかに興味を抱き、さらなる、郷土史の発掘、発展を願い、展示会を開催する次第です。多くの方々のご来場をおまちしています。
記
主 催 豊中の歴史を掘る会・豊中市教育委員会 (共催)
協 力 シニア自然大学校豊中支部
展示会 「豊中の史跡・文化財をさぐる」
-福西茂さんのスケッチより-
期 日 12月5日(金)~12月11日(木)
場 所 豊中市立中央公民館 (阪急曽根駅下車)
解説開催 土・日 11:00~ 14:00~ 1日2回
主な展示品
・福西茂さんのスケッチ画(豊中市内) 約120点
・分布図(横約110cmX縦約112cm)1点
・スケッチ画に措かれた史跡・文化財の現在の写真 約120点
・福西茂著『豊中市史跡たずね描き』平成6年1冊
・福西茂著『池田の史跡スケッチ集』(複写版)平成元年
・福西茂著『平野区 史跡を訪ねて』(複写版)平成2年
・福西茂著『東住吉区 史跡を訪ねて』(複写版)
・豊中市教育委員会編『とよなか歴史・文化財ガイドブック』平成20年
・上村和功編著『福西茂画集』平成21年
・瀧健三編著『とよなかの史跡・余話』平成23年
以上
我が郷土・とよなか 思い出の写真がありましたら、御見せ下さい。
募集中:会員、実行委員、ボランティア、カンパ
事務局:上村和功
吹田市桃山台1-1-2-406
電話:06-6170-6090(FAX兼)
電子メール:fkyws889@ybb.ne.jp
エフ ケイ ワイ ダブル エス @ ワイ ビー ビー . エヌ イー . ジェ ピー
豊中市歴史資料館 2022年設立
箕面小野原の道標と勝尾寺街道
快挙 錦織が日本初の決勝戦へ
よくやりましたね! 万歳 万歳
以前は、怪我で試合を破棄する場面が何度かあり、 世界に通用しないのでは・・・・
復帰しましたね!すごいです。 選手生命は怪我に強いことですからね! チャンピオンを目指しがんばれ!
こちらは 地味な活動
地図⑨ 箕面の街道マップより

道標は
小野原 右端に「道標一」・「京・ふしみへの道しるべ」
新家は
横の赤い線が ・・・・・( )
新家から上への道が・・・・( )
右下への道が ・・・・・・・( )
左下への道が ・・・・・・・( ) 吹田、豊中ではない街道ですが。箕面市では街道として扱っています。その根拠は、ここの分岐に 「道標二」・「しんでん・やまだの道しるべ」 なる道標があったからである。
本「箕面の道しるべ」によると 小野原には、もう一つ道標があったらしい。
それは、西国街道の山田への分岐点東側に建っていた。
見事な道標で 珍しい表示 「☞」
別のページで紹介します。
「失った道標 小野原の道標」
よくやりましたね! 万歳 万歳
以前は、怪我で試合を破棄する場面が何度かあり、 世界に通用しないのでは・・・・
復帰しましたね!すごいです。 選手生命は怪我に強いことですからね! チャンピオンを目指しがんばれ!
こちらは 地味な活動
地図⑨ 箕面の街道マップより
道標は
小野原 右端に「道標一」・「京・ふしみへの道しるべ」
新家は
横の赤い線が ・・・・・( )
新家から上への道が・・・・( )
右下への道が ・・・・・・・( )
左下への道が ・・・・・・・( ) 吹田、豊中ではない街道ですが。箕面市では街道として扱っています。その根拠は、ここの分岐に 「道標二」・「しんでん・やまだの道しるべ」 なる道標があったからである。
本「箕面の道しるべ」によると 小野原には、もう一つ道標があったらしい。
それは、西国街道の山田への分岐点東側に建っていた。
見事な道標で 珍しい表示 「☞」
別のページで紹介します。
「失った道標 小野原の道標」
下の地図は 今宮付近
横の道は 西国街道
北への道は 箕面では「大坂道」と言われ、勝尾寺からの帰り道
勝尾寺街道
四四、四五に道標がある。
この街道は、昔の地図からとここを歩いていた人たちの話に聞くと、
箕面との境界はでは、現在の吹田市の蓮間配水所の東側にあり、
勝尾寺街道が中環から北上した道と合流するはずであり、吹田と豊中の堺の道で、道121号線 箕面吹田線がそのまま箕面に続いていた、
箕面の道標44から そのまま斜めに上がることになる。峠になる。
その峠に茶屋があった。
福西茂氏の「峠の茶屋」にも、ここで、箕面の山々を見ながら、休憩した、
上の地図では、谷間を抜ける様になっているので、これは違う。
一般的に道標と言っているが 箕面市では 「道しるべ」になっている。
「箕面の道しるべ」
「わたしたちのふるさと」箕面市
千里丘陵 池と街道 小野原・勝尾寺街道 地図⑨
2014年9月7日日曜日
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