2010年5月13日木曜日

発見 同じ人が立てた道標  箕面市と吹田市で発見される。

同じ人が立てた道標が箕面市、吹田市で発見される。
箕面市の館長さんと吹田の資料を開いていると
「六十六部善五郎」だ、箕面市にもあります。
吹田市が2年早いということで、おもしろくなりました。
点と点 つないで線(街道)になります。
ただ、吹田のものはどこからか移築されて物ということで
ちょっと残念です。


現物はまだ確認できていません
藤が丘住友銀行社宅そば道標
現在は   竹原章三氏庭園・・・未確認
写真はありませんので記述のみ
願主 筑前国博多
 六十六部善五郎
文化十三年 子 5月吉日
右 かつをじ道


六十六部善五郎が建てたもの、箕面市山之口の道標です。
山之口の道しるべ
これが箕面市粟生間谷東の裏川の縁です。
総持寺から勝尾寺への巡礼道で、

 (裏面)    施主 筑前国博多
六十六部善五郎
(正面) 左 かちをじ道 
(左面) 文化十五年寅 ■■日建之
為了誉義達信士追善


新しいことが見つかると、「点」が「線へ」 さらに広がる。

問題は吹田の道標は旧在所不明です。

箕面滝道 役行者ゆかりの龍安寺

役行者開祖の龍安寺を目指します。

箕面滝道 を歩きます。
 
箕面スパーガーデンの橋の手前にある碑・橋の欄干だったのか!
龍安寺
役行者像 現れる。
弟子を従えています。 さすが、龍安寺でした。
行者堂
またもや役行者像
ここまで、案内板には1.7キロとありました。
滝道はゆっくり歩けばいい!

明治18年地図

明治18年地図大阪近郊北部 よこ95×84
箕面市立郷土資料館からお借りしました。
きれいです。これをどのようにデジタル化したらいいのかな!

この一枚だけきれいに取れました。
江坂から城山への旧能勢街道です。

明治18年の地図の関西区分図 値段500円 安い 

明治18年の地図を購入 平成23年8月15日

2010年5月10日月曜日

信仰道  片山ルート 古い地図から

このルートはあまり知られていないが、下の地図「江戸時代の道路と川」わがまち岸部より
片山からのルートが描かれている。

確認の為、調査  山の谷を通るルートだ。
もう一つのルート 「上新田」からのルートは書かれていない。
佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート  追加12/01/29
最初の入り口が違っていました。これで何度目でしょうか!
交差点から散髪屋のこの道をいるのです。
そのまま北上

すぐに左手に立派な祠があります。
これが出口からきた「津戸の中道」です。
この道はすぐに右に折れ天道を目指します。
片山にはそのまま北上
突き当たりに立派な家がありました。
道なりに進みガードレールに沿って登ります。
吹田市立病院手前に出ます。これが正解です。
その後もありました。この新しい道を北上すると思っていましたが。
次の信号で左に下る道があり、その先に祠があり、
この道だと思い進みます。
参道手前に地蔵があり、
道は右側を上がる。病院前に出ます。
病院の駐車場の間を抜ける道があります。
それを過ぎると片山墓地があります。
多くの地蔵・   があります。
またもやありました。地蔵と一緒に加えます。
大きな木と慰霊碑
もうすぐ、前に名神高速が現れる。
前半戦おわり。この後愛宕さんの道標探検

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観音信仰が旺盛な時代

道標のある3ルート『佐井寺道』=信仰道

大阪側から亀岡街道を使う信仰道 



明治の地図から見た信仰道





北東の境界  原田神社


原田神社の東北の端 「二本松立石」です。
北西の境界 「二本松」

そこで、北側の「二本松」の所在が分かったことで、
つぎは 南部の2つの「二本松」はどこになる。

この道標の道を挟んで右側のマンション名「メゾン二本松」とある。
この当たりを「二本松」というのは本当のようだ!

登録有形文化財「西山家住宅」 東側にある
原田神社の北西の端には 「二本松」の碑が立っていた。


豊中の登録文化財


探していたら「登録有形文化財」を見つけ、おもしろいので一度見て下さい。
このページは「有形文化財所有者の会」が運営
建物が主であり、建物自身もおもしろいが、
次の2点もおもしろい。

築留二番樋(柏原市)、
玉手橋:石川に架かっている、めずらしい5径間連続吊橋である

2010年5月9日日曜日

豊中の道標 2基追加

2010/5/20 取り下げ、 「とよなかの歴史・文化財ガイドブック」に記載がなかったのでアップしましたが、 福西さんの「豊中の史跡たずね描き」には記載がありましたので、取り下げます。

2010/5/4 「見つけた道標」から豊中市内の分2基を追加しました。
 

これで豊中市内には42基
私の関係している物は8基 

  

    


信仰道 片山ルート地図

この探索何回目になるでしょうか!
起点が間違っていました。 これがそのルート前半戦


山の谷で 見つけました

雨が上がったので 信仰道片山ルートと山の谷の道標の確認に出かけました。

山の谷の愛宕さんの道標を先に
公民館・消防団の倉庫
その裏が愛宕さんです、
平成六年に消失し その後 再建された物
常夜灯も江戸時代のものでした
まありには 地蔵が
道標は 横たわっているはずですが
愛宕さんの参道左に移築されていました。
吹田の資料と違います。
資料によると「千里市場」ですが、実物は「千里役場」になっています。
最初の観察者が千里市場とした物でその後確認もなく伝承、掲載された物だとおもわれる。
よって、この道標をみつけた道標に加えることにしました。