2015年2月7日土曜日

御案内 中津の南蛮文化館見学・慰霊と戦争跡巡り 修正追加4/30 

上方落語 「池田の猪買い」の道を辿る パート1 
 「まちを育てた旧街道」  終了しました。
    三国の渡しから服部天神宮まで
    庶民の市場:豊南市場で買い物

主催 「豊中の歴史を掘る会」
    案内は豊中のスケッチ画(福西茂氏)を知り尽くした、
      シニア自然大学校豊中支部会員 上村 和功が行います。

期日 3月17日(火) 10:00 ~ 16:00 【前日の天気予報で、降水確率が40%超の場合は中止】
集合 阪急三国駅改札口
コース 三国駅 三国の渡し 神刀根線 道田小橋 三国街道(鎌倉街道) 牛立鉄橋 
    豊南市場 天竺川堤防分岐  碑・地蔵  長嶋神社・道標 野田堤防
    大阪音大  中央幹線水路  穂積百日堰 穂積の輪中 常夜燈道標  
    足の神様服部天神宮で足を労う。
定員 20名  申し込 必要  緊急連絡先 ファックス、携帯メール、パソコンメールなど
連絡先      
      メール   fkyws889☆ybb.ne.jp ☆を@に変更の上送付先にコピーしてください。
参加費用 無料
持ち物  「能勢街道マップ」(当日販売 100円) 弁当 雨具 お茶 敷物 豊南市場で買い物




後半


今後の予定   能勢街道をシリーズで案内予定
 ① 市場で買い物   今回 3/17   終 了

 ② 「花見の会」服部緑地近辺探索  4月2日  終 了

 ③ 千里丘陵の緑地帯探索  パート①  4月下旬 終 了
     変更「下見の時」4/14 千里中央「コジマ電気」2F
            コースを一部変更し 東公園・樫ノ木公園・千里緑地帯
            「吹田市自然体験交流センター」 12:00 解散 
変更 
 ←⑤   312回「春の歴史散歩」    終 了
      「上町台地を歩く パート3」 
       ・期 日 5月14日(木) 13:00から 4:00
      ・集 合:地下鉄御堂筋線「天王寺駅」西改札口
参加費 会員:500円  一般:700円
      主 催 吹田市郷土史研究会


  →  二か月間開館 南蛮文化館 中津から梅田まで 終 了
         期日:5月28日(木) 10:30~
      集合:阪急中津駅改札口
      コース:下三番(中国道と能勢街道の分岐) 南蛮文化館見学約 40分 
           淀川堤防、道標・水防碑  木川村の橋  本庄の渡し、南浜墓地(南浜霊園) 
           本庄街道 中国道との分岐 大融寺  綱引網敷神社 歯神社  
           網敷天神社御旅所
      距  離:六キロ
      持ち物:弁当、敷物、

 追加行事
 -2 慰霊と戦跡めぐり」  終 了 6月5日(金) 9時  庄内駅西口
     講 師:高市光男
     コース 庄内駅 → 庄内神社 → 三和会館 → 西三国 → 長島二軒屋墓地 → 
          三国金属 → 豊南小学校 → 長島住吉神社 → 西南戦争招魂碑 → 
          南昌寺 → 善徳寺
     昼食 とんぼ 魚定食1000円
     申し込み   必用 
     申し込み先   ファックス又はハガキで  
                 高市光男  561-0808豊中市原田元町2-6-12
                 電話 ファックス 06-6849-3980

 ⑤ 上町台地 パートⅢ 最終回 5/14 有料 順序変更 
 ⑥ 農業用水路「九名井」を探る 講師 高市光男 6月下旬
            終 了

 ⑦ 西国街道 と能勢街道       9月中旬
 ⑧ 能勢街道 小曽根 今西家・榎原家
      10月下旬か11月上旬
 ⑨ 能勢街道 十三探索 ~ 三国まで     
 ⑩ 能勢街道 服部から豊中まで 手塚治虫
 ⑪ 能勢街道 石橋 ~ 池田

2015年2月6日金曜日

ある展望 3代 何処でしょう? 探索いろいろ 上町断層のその後


2015/01/28 撮影 「山荘 風の社」より

展望 ② 2015/2/2

  
     六甲山               五月山                 箕面
 

もう一つ
今 セルシーは・・・



つづいて 上町断層
以前に豊中の「少路上町断層」は消えましたが
東泉丘「上町断層」は一部残りました。
地層が縦に走っている、面白い 地質学をやるのにはいいのですが!

以前の情報 こちら 巨大上町断層 見学会


この一帯です。


西側に回ってみます。


地層が斜めに走っているのが分かります。
地層はだんだんと上に積もっていくのもです。
それがあるとき・大地震で隆起た大きくずれることがあります。
大人には、驚きの地層、面白い地層です。
一度、見てください。

南斜面  斜めの地層を見ることが出来ますが、深い溝が、土が雨で流されています。
この上町断層 残ったようです。

少路の上町断層は、無くなりましたが、

大阪大学総合学術博物館 で 上町断層写真と解説があります。
10:30〜17:00 入館料無料
休館日:日曜日、祝日、年末年始



2015年2月4日水曜日

いいのが見つかりました。 上新田の地図

http://livedoor.blogimg.jp/osakawalker/imgs/2/e/2ea540bc.jpg?bddb3de3

ブログ「大阪を歩こう」

メールを入れましたが、連絡がありません。


記載
http://blog.livedoor.jp/osakawalker/archives/2010-11-05.html

こちらも見てください。



野鳥 3代 あるがままに 実のなる木 自然

    今日は 千里の緑地帯を探索
      小鳥がときどき見かけました。
      竹林が減り、野鳥には住みにくくなります。環境の変化
     特に、小鳥の食べる実などが見つからない、
         小鳥の餌 
     前に、庭に小鳥が来る実のなる木の話があったのだが、またしても見つからない。
     この時期、鳥のエサが少なくなる、それは、人間の仕業ですので
        餌が少ないこの時期は、私は 餌を与えてもよいと思っています。 
       餌付けではないですから。 
永遠つづく自然界に根付くような、下記ような実のなる木がたくさんあります。
一番は 柿木ですね!
       野鳥を庭に招くなら 

公園には、多くの実が落ちでいますが、それらは、砕いても、烏も食べません、主食とする動物を増やすのもいいのではないですか! 千里丘陵では 昭和39年ごろまで、小学生が兎狩りを行っていたということも聞いています。 人間が破壊した自然環境を、元の自然界で循環できる環境を作ってやるのも必要です。     

緑地も減少しつつもあるし、また、荒れた竹林・森もある。  

緑地探索 
  

千里の森  近場の探索②




マンションより  2015/1/18


団地横で 
 

上と同じ、さて何処にいますかわかりますか!  2015/1/28

千里緑地で 後を付いてきて追い越しました。
杭の上、手前から2番目  2015/2/3

2015年2月3日火曜日

20年間の活動「池田サラリーマンOB会」 回数が増えた「すいた里山クラブ」

男の居場所  社会貢献や趣味活動

「池田サラリーマンOB会」


「すいた環境学習協会」

月3回の活動 活動回数が増えています。

今日は、下調べ 

貴方の知っている! 吹田こんなところ!

能勢街道 豊中 石橋

https://www.google.co.jp/maps/dir/34.7882487,135.4624865/34.7973199,135.4574675/34.805006,135.4461903/@34.797198,135.4526525,15z/data=!4m15!4m14!1m5!3m4!1m2!1d135.4581846!2d34.7947233!3s0x6000fa9a69a7c9cd:0x193f8e53172c6174!1m5!3m4!1m2!1d135.454178!2d34.8013679!3s0x6000fa8116f779bb:0xa92811af4ded1679!1m0!3e2?hl=ja

2015年2月2日月曜日

満願寺へのお誘いハイキング 満願寺は飛び地

コース:のせでんハイイング(清和源氏ゆかりの地を訪ねる)に便乗
    多田駅前→多田神社→満願寺→豆坂→ナイチンゲール像→栄根寺廃寺跡→川
西能勢口駅
日時:2月25日(水) 集合:9時30分
支部員集合場所:阪急能勢口駅構内(能勢電乗り換え口階段下)の本屋前
             参加者集合後多田駅へ 多田駅前で地図が配布されます。
        集合時間に遅れた方は10時までに多田駅に行けばハイキングに参加
できます。

持ち物:弁当、防寒着、雨具など

これも面白そうですので 参加しょうと思っています。

満願寺へは行ったことがありません。
満願寺を調べると和尚さんのお話が面白い。こちら

次回の予定 3月17日(火)
 「まちを育てた旧街道」


千里丘陵

プロバガンダ 特定の思想世論意識行動へ誘導する意図を持った、宣伝行為である。
ラテン語の propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。


摂津名所図絵 1800催
 島熊山 熊野田村の北にあり 一名鬼ケ嶽(だけ)という 千里(ちさと)山の山脈つづきて険岨催鬼(けんそさいかい)たり 山中大巌多し」 巌がんおおし ごつごつしてけわしい 険しい
なだらかな低い山が続くことから寝山の異名を持つ。
嵯峨天皇が気に入り、何度も訪れた美しい地。

古池 = 鬼ケ谷池 


千里中央駅の開設は(仮設駅)は、万博開催の昭和45年2月で、3月には千里センター、千里阪急百貨店・ホテル、大丸ピーコック、専門店街がオープン。
 昭和47年にセルシー、昭和52年に読売文化ホールが開設。平成4年には、千里ライフサイエンスビル、千里朝日阪急ビルがオープンし、平成9年にはモノレールが大阪空港、門真まで延伸し現在にいたっています。北摂一の賑わいを見せる副都心です。


 公園南端には万博の年、ニュータウン完成を記念して設置された「あほんだら獅子」がデンと構えています。

大阪市立弘済院
 千里ニュータウン開発前からある救済・医療施設です。歴史は明治43年に遡ります。昭和9年に山田事業所として建設され、現在附属病院、小中学校、老人福祉施設などがあります。


竹林保全
 千里東町緑地:毎週木曜日、第二・第四土曜日 午後1時半~3時半
場所: 豊中市・千里東町公園の竹林(千里阪急ホテル裏側)

 第七緑地:毎週土曜日 午後1時半~3時半
場所: 吹田市・千里第七緑地の竹林(南千里中学校横)

 第八緑地:毎週月曜日 午後1時半~3時半
場所: 吹田市・千里第八緑地(スポーツグランド横)
北千里高校の竹炭焼きに協力)


千里竹の会
代表幹事 大津 忠明 
 06-6871-7329
 m-haru@mx2.ca ????
会員常時募集中!


100名参加 柏原考古学研究所
千里古窯跡群  吹田窯跡群  桜井谷窯跡群  100基
陶村窯群すえむらようしぐん・陶邑 は 1000基 古墳時代 
 
永楽荘窯跡

須恵器は古墳時代5世紀に朝鮮半島からう伝えられた製陶技術によって製作された陶質土器である。
 従来の土師器とは異なって、ロクロを用いて成形し、窟窯あながまを用いて、約1150度の還元炎で焼成するため、肉厚が薄く表面は灰色がかっており、強度もあった。古墳時代には主に祭祀や副葬品に用いられたが、奈良時代になると日常の器としても盛んに用いられようになった。

桜井谷窯跡で焼かれた須恵器は和泉の陶邑(すえむら)出土の須恵器編年で分類できるそうだ。桜井谷窯跡では、陶邑より30年ほど遅れて土器が作られるようになり、5世紀後半から8世紀まで須恵器の生産が行われた。

島熊山窯跡
東豊中と新千里南町との境をなす丘陵である島熊山の頂上付近には、多数の須恵器片や焼土・窯壁破片を含んだ灰原(ハイバラ)が広がっている。窯跡は丘陵の斜面、東側か北側にあった物と思われ、千里ニュータウン造成時に、大阪府によって緑地帯の中に取り入れられ保存されている。 
 この窯は、西方の桜井谷に分布する古窯跡群と共に、古墳時代の窯業の一端を知る貴重な遺構である。 
 

上野青池南畔うえのあおいけなんはん窯址」

桜井谷窯跡群の南端に位置し、窯跡群の中では一番古い窯址とされている。この窯址からは、5世紀代まで遡ると思われる須恵器と6世紀後半代の制作と思われる須恵器が出土している。
近くを流れる千里川から底の平らな船で両岸から綱で引っ張り下流または上流へ運ばれた。当然運搬に便利な下流域の当地で最初の頃の窯が作られ、その後、木と土を求めて北へ、上流へ移動していったとされている。昭和5年ころに小林行夫・藤沢一夫両氏によって発掘調査が行われた。調査事例としては最も早い窯跡の一つとして考古学では有名だそうだ。『考古学』第5巻第10号に載せられた調査報告によれば、この窯址は長さが4~5m余り、幅が2m余りで、円筒埴輪と須恵器が出土した。つまり、埴輪窯として使われていた窯が後に須恵器窯として使われるようになったと思われ、こうした転用事例は桜井谷窯跡群のなかではこの窯だけとのことだ。

村町池窯跡は、中国自動車道の南沿いにある「少路南」交差点の南西角にあたる。この付近にはかって下村町池と呼ばれる池があった。大阪環状線と中国自動車道の交差点建設に伴って実施された事前調査で、その池の北西岸から2-18窯址が見つかった。それが下村町池窯址の名で呼ばれている窯址である。
の窯跡は非常にユニークで、5世紀の後半に最初の窯が築かれたが、その後いったん操業を中止し、6世紀の中頃から後半にかけて再び操業が開始された。その後また中断し、7世紀になって規模を縮小してまた須恵器が焼かれた。つまり、この窯は何回も修理や改築をしながら使用されていたようで、三次窯までの使用が確認されているという。
跡が見つかったとされる付近は、現在樹木が茂る丘になっている。「少路南」交差点からその丘のあたりを眺めながら、木下氏の説明を聞いた。まさに心の目で往時の須恵器生産の現場を思い描き、周囲の景観から当時の”雰囲気”を感じ取ろうとした。だが、高速自動車道が築かれた現在では、様相は一変している。
は池の斜面を利用して築かれた地下式の登り窯で、窯の遺構は極めて良好な状態で残っていた。一部は天井部分も陥没しない状態で見つかったという

 下地蔵岡しもじぞうおか窯址

「少路南」交差点を北に抜けた後、西に向かい、千里丘陵を南北に縦断している千里川に架かる橋を渡った。現在はどぶ川に成り下がっているが、この千里川は須恵器を搬出するのに重要な役割を担っていた。桜井谷窯跡群という往時の須恵器工場コンビナートで作られた土器は、この川を利用して各地に運ばれていった。木下氏の想定では、平底の船に須恵器を満載し、船に綱を架けて両岸から船を引っ張りながら、川下や川上に搬出していったという。
里川からさらに北へ歩いて、次の見学地である千里川西岸の下地蔵岡窯址に向かった。窯址は人家の背後にある丘陵斜面の竹藪の中に位置していた。この丘陵は北側の永楽荘から延びてきた支丘を利用して構築されていたようだ。
の真上に墓地が築かれていた。窯の一部は墓地造成で破壊されたが、墓地だったために窯址は幸い残った。1977年に範囲確認調査が行われ、窯の方位や操業時期が確定されている。東側を焚き口とする登り窯で、この付近では一番古い5世紀の窯址とされている。現状は畑地になっていて、畑地が柵で囲まれているため、畑の端から窯のあった付近を遠望するだけだった。

 2-24号窯址

2-24号窯址
2-24号窯址
-19窯址の北側に、2-24窯址の名で呼ばれている別の窯址がある。
本住宅公団の北緑丘団地の建設にともなって、昭和51年(1976)に窯址調査が実施された際に2-19窯址と同時に見つかった。調査の結果、この2-24窯址は千里川東岸の標高64~67m丘陵斜面に立地し、残存長は全長10.5mの登り窯であることが判明した。窯の本体の保存状況は良好だった。

永楽荘
永楽荘窯址遠望
えいらくそう窯址 




永楽荘窯址遠望 永楽荘窯址 永楽荘窯址遠望 永楽荘窯址

 今回の見学で最後に訪れたのは、永楽荘4丁目3番にある6世紀前半ごろに操業していた永楽荘窯址である。今まで見てきた窯址は、その場所に案内板が立っているだけで、実際の窯址は土の下だった。だが、千里川西岸に形成された河岸段丘の上に築かれた永楽荘窯址だけは、実際の窯址が見れると聞いていたので期待していた。 この窯は千里側に向かって南東方向に下る斜面で見つかった。1977年に範囲確認調査を実施したといころ、窯の本体は全長約13m、最大幅2.5m、天井部の高さ2m以上の半地下構造の登り窯で、大阪府内で最大級の窯址であることが判明した。6世紀前半ごろに操業していたが、焼成途中で天井が崩れてしまい、土器とともに捨て去られたようだ。おかげで重要な遺跡となった。 窯の内部には、土器が窯詰めされたままで残っており、当時の窯詰め方法や一窯あたりの生産量など、古代の窯業生産の実態を解明するうえで貴重な資料である。そのため、市は2002年4月1日、「桜井谷窯址群23号窯址」の名で市の指定文化財に指定した。 鍵を開けてもらい遺跡内に入ったが、鋭い雷鳴とともに土砂降りの雨となった。人家の軒を借りて木下氏の説明を聞きながら雨がやむのを待ったが、雨はいっこうに止みそうもなかった。やむなく、急坂を下って西国街道から阪急桜井駅へ向かい、流れ解散となった。

2015年2月1日日曜日

今日は あべのハルカス美術館へ  風邪でダウンです! 喉が痛い、節々が痛い

「高野山の名宝」

地元キャラクター「こうやくん」も登場

今日の目的は これ 国宝 「八大童子立像」運慶作



続いて講演会入場整理券配布は1:30~
12:45から並びました。

  「高野山の歴史と名宝」 講師 山口文章氏

話がうまい。色々ありましたが! 

お稲荷さんの後ろには、穴が開いている・・・・

女人堂・・・・・

高野山の三つの宝・・・・

液晶画面では、ブルーのポインターは見えない。


最後を飾る十四人の「音声ライブ」



この時は 人が多い。


昨日は帰宅後、風邪でダウン、以前に風邪を引いたのは何時だったか!
それぐらい、風邪をひいていませんでした。 昼過ぎ、やっと起きて、写真を整理しました。
今日は、お出かけする予定でしたがちょっと無理のようです。

昨日(2/2)調子が良かったので、探索へ そのあとがたいへんです。
今日 2/3 風邪で寝込んでいました。 
鼻をかんだ量、 スーパーのビニール袋一杯  あーあー
しんどいのに 少し楽になったので、パソコンの前です。