2010年5月4日火曜日

地蔵と一緒 ????

2010/05/07 またもや見つけました。

片山墓地です。
熊野田の道標と思っているが、花*花怪しい。

またもや見つけました。 4/23

岡村と福井村との墓地に「鏡地蔵」の中


頭は平ら、正面に像が彫ってあり、大きさは地蔵の2倍ほどなど
墓にしてはちょっと小さいことも似ています。 
若竹町の方がちょっと小さいようだ!
大きさ 18×18×62

上2つは宝珠を取られた傘塔婆ではないか 頭の上が少ししかないので
    


この頭部がない物で再利用してのでは と考えられる。

しかし、下のは 上記2基と少し違うようだ

熊野田の道標2 地蔵か

道標色々

新しい道標です。
光明寺・楊谷寺(柳谷観音)・乙訓寺の案内した。方向と距離が記載されていました。

乙訓寺前の路上で
左 乙訓寺   右 やなぎ谷
古いようです。  右 京道
左の面は薄くなって読めません。

城山町から曽根界隈まで  おかげ参りの灯篭・伊勢街道

城山町で正面左側が「さわ病院」
右は履正社方面
左が伊勢街道 今回の探索

左の取り、坂を登るその左手に藤井寺 そして墓地が
岡村と福井村の墓地

「鏡地蔵」???
またもや出ました。 これで3基目
能勢街道を横切り、国道176号線を横切り 進む
おかげ参りの灯篭 伊勢街道と言われている。
左の道が東に向かう伊勢街道、
西側に「西林寺」がある。
別な角度から(北から) 右西琳寺 左おかげ灯篭
西琳寺の角を右に進むと芦田池、池の手前で振り返ると
植え込みに
文字が書いてあるようだが  不明

芦田池横の地蔵
この後は 阪急の線路を横切り、豊中市立第一中学校の校庭を横切り、
昔、一中の校庭を横切った道があった。
法華寺にぶつかる、そのあと原田に入る。
この節はここまで。

2010年5月3日月曜日

またもや 見つけました!  T 先生


能勢街道沿いに
岡町方面 この家知っていますね!
豊中市都市景観形成建築物
指定第1号「 高 木 邸 」 です。そしてその横には

いやいや 道標ではないか! チョット荒い

なにやら文字みたい  そして 地蔵が



この右側の道を北上すると「勝尾寺街道」に遭遇する。

家のご主人に出てきてもらい、話を聞きます。
「これは境界線だ!」
道の角、そして地蔵、条件は合うが、昔の地図と照らし合わせる必要がある。
腑に落ちませんがここで退散 

岡町の駅前で原田神社前 めん処 「土手嘉」 江戸時代から続く老舗
右が能勢街道 池田方面

とよなか歩き

市の公民館横「三義塚」

行基地蔵菩薩

荒神塚
福祉会館前から自転車の方法へ 道標「柳谷」に向けて歩く
公園前の家の庭に大きな木が3本 その写真がない。



それと 「二本松」の言われ

2010年5月2日日曜日

箕面の山で


勝尾寺への参道 昭和十五年
右が箕面の駅 左が滝上への道
頼山陽碑文

後藤夜半
「一目千本」 これを見つけると

新しい「一目千本」がありました。


新緑の箕面の滝



バイパスができ ルート変更・街道変更がある。旧能勢街道 豊中

西願寺橋を下り 右に折れると
さわ病院  その前に 
江坂の妙見灯籠から考えると
2008年2月撮影
この灯籠は明治十二卯年九月建之 灯台には「妙見宮」と記されている。
小西幸兵衛  世話人七名
 
 ここから妙見に行くルートは、北上し、高川で三国街道と合流し、
その後、石蓮村の住吉神社の南側を西へ進み、西願寺橋で天竺川を超える。

若竹町を通り、ここにくる。
城山町で正面が「さわ病院」

右は履正社方面

中央が旧能勢街道

左が伊勢街道



 

旧能勢街道を行くと坂の入り口の左に墓地があります。
そこには祠があって、大きな地蔵が祀ってあった。
祠の中には大きな見事な地蔵がありました。
また、染香の墓があり小さい墓地になっている。
染香墓

 
この坂を登ります。


坂の途中右側にブロックに囲まれた地蔵がありました。

坂を上り詰めしばらく行くと



塀の手前三叉路に道標が古い道標です。

名号板碑道標
  右 みのふ山、か□ 左り いけ

詳しくはこちら「豊中の道標編」

この道標と江坂の常夜灯、伊勢街道、古い地図からなどから考えて、

旧能勢街道と考えている。


能勢街道は左に折れてしばらく行くと 箕面街道にでる。


一度戻って、さわ病院の右は伊勢街道を歩きます。
次号に続く  岡山村と福井村共同墓地を抜け 

城山町から曽根界隈まで