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2014年12月1日月曜日

吹田の信仰道


天道・原方面からの 信仰道略図

佐井寺への略図  s40.7.25

岸部からの旧信仰道略図

2013年11月19日火曜日

「信仰道を巡る」 としまして 「勝尾寺街道と道標を訪ねて」 道標10基

 第2弾 「上新田探索」シニア自然大学校豊中支部案内(企画案)
 小野原にある 山田と上新田の分岐
小野原探索 山田・上新田、失った道標、相撲取りの墓
「信仰道を巡る」 としまして 「勝尾寺街道と道標を訪ねて」を企画しました。
   

期   日 12月10日(火曜日) 10時
案   内 上村 和功  携帯:090-7349-0809
集合場所 北急桃山台駅 後ろ改札口(売店前) 
途中から参加の方へ 旧上新田小学校で 10:30 千里中央から 15分
解散 阪急北千里 16:30 頃
持ち物   水筒、雨具、弁当 
追加持ち物 中央公園のジャンボローラー滑り台を利用の方は段ボールまたはプラスティックのお尻当てをご用意ください。お尻が熱くなりますので、服が変形するかもしれません。
     
     途中でコンビニに寄ります。

コース 桃山台駅 旧上新田小学校 上新田村 見つかった道標を含め5基 天神社
     中央体育館・中央公園・安場池( 昼食の予定)樫の木公園 桜並木 峠の茶屋跡
 今宮墓地 西国街道 新家・勝尾寺鳥居 一里塚跡 
小野原公園(道標) 泣き地蔵 笹川良一墓 北千里公園 北千里 
                            約8キロ
 勝尾寺への参拝道はいくつもありますが、今回は大阪からの最短ルートを探りながら、勝尾寺鳥居のある西国街道・新家までを探索し、帰りは、上新田の親村の山田への小野原街道にある道標を通り、上新田の脇道を通り北千里へ 約8キロのコースです。このコースでは道端に立つ見つけた道標を含め8個もの道標銀座にお目にかかります。 
 上新田は竹林で朝日新聞「日本百選」、「豊中百選」でしたが、今大開発が行われ、昔の面影が失われつつあります。 

より大きな 桃山台 上新田 を表示
やく2.3キロ
 
地図の下にリンクが張ってありますので 大きくしてください。 左側に名称、中央に地図が表示されます。
図中のポイントをクリックすると名称がでます。
北急桃山台駅 は全体地図で見てください。 上の地図の一番左下から説明 上新田の様子
      nitta_04.jpg
                              昭和47年の写真 「文化財ニュース豊中より」

上新田は 江戸初期に淀藩領山田村の豪農3名により下新田と開発された。それ以来増産増産で80石であった出来高が明治初年には605石であり、大きく成長したむらである。 江戸中期には「隠し田事件」が起こり、死亡者がでている。 同じころ、民が力をもち、心のよりどころとして、観音信仰・勝尾寺(西国33か所)への参拝者でにぎわう。
明治の市町村合併で下新田と合併し、三嶋郡新田村 昭和28年分離して豊中市へ下新田は春日町として吹田市へ 
旧新田小学校 大阪府
  この建物は、明治33年1900年に建てられたもの、木造建築で最古大阪府の文化財になっている。
  最初に立ったもの、後で建て増ししてある。100周年の航空写真によると、もう一つ校舎があって、その東側に運動場があった。 75歳以上の下新田の人は、この小学校に通っていた。 使用していたのは 昭和48年まで
  
見つかった道標 上新田の墓地  万人講は4基見つかっている。
 そのため、後の文字も読める。 また資料として 右 くまのだ おかまち としてわかった。
 万人講は多く存在していたようで、八幡市円福寺(だるま堂):鈴鹿峠の常夜灯は万人講
 この近くの万人講の道標は ここと、吹田江坂のスサノウノ尊:油かけ地蔵にある。
上新田御旅所
  天神社のおみこしは 午後ここから出発していた。
  
  祭りとしては、山田村の流れがある。  「おたび池」だった
共同井戸跡
大阪三里の道標 在所とは村があるということ。
  木製の案内板は 「五一会」の人たちが建てたもの五三年  また、「写真で見る 上新田」を出版
「右 か」の道標 
   現在の千里中央 南西にでる。 農作業を行うための道、春には箕面へ花見にいったとか、竹林の中で宴会が開かれた 裏面は 「上」 だけ、道路工事の毎に埋もれたらしい。

「さいてじ」の道標 豊中で一番古い道標
   天明元年 さいてじとは吹田の佐井寺:観音信仰 目の病気が治る
   裏面に 右 大坂 とある

色々な門構え
上新田で唯一のお寺「浄土真宗 新覚寺」
 
  もともとは 旧石蓮寺の興法寺の末寺だったが、浄土真宗本願寺派 
  明治6年 片山の連合小学校の分校として明治14頃までここで学んだ
天神社」、大きな地蔵
「千里のパワースポット 上新田天神社 千里の氏神様・千里の天神さん

  「本殿」 市指定有形文化財 1686年
  「とんど祭」 市指定無形民俗文化財 1/14日 火を持ち帰り、小豆粥を炊いて食べると、一年間無病息災で過ごせるという習慣があります。 見学記録 2013/01/14
  上新田は竹林で朝日新聞「日本百選」、豊中市のhpでも「とよなか百選」でしたが、
   今大開発が行われ、昔の面影が失われつつあります。 
 
 
「山口邸」旧山田邸 上新田の薬酒 かの有名な「日本外史」の著者:頼山陽もおと連れ、伊丹と行き来をしていたらしい。  この家には、頼山陽が命名した部屋「歳寒堂」の額があったが、現在は 岸部中西家にある。 、
徳林院の案内:徳本上人が訪れた場所
 由来 常光庵 開祖大阪市の呉服商の娘・小畠清順  本院は京都・知恩院内の「徳林寺」を移築、
 入口の碑は 徳本上人・徳本行者 享和元年(1801)から箕面勝尾寺松林庵13年間 箕面を去る1814年(文化11年) 文化八年勝尾寺法然八〇〇回忌を営まれ、「詣で来る者朝市の如し」と記され、多くの人が訪れる。粟生間谷西の碑:有名なのは独特の丸文字で書かれた徳本文字 「南無阿弥陀仏」の六字名号の掛け軸が伝えられている。その他全国に1000基以上の碑がある。

山田街道の分岐道標 


より大きな地図で 上新田の道標 勝尾寺街道 を表示   


2010年5月10日月曜日

信仰道  片山ルート 古い地図から

このルートはあまり知られていないが、下の地図「江戸時代の道路と川」わがまち岸部より
片山からのルートが描かれている。

確認の為、調査  山の谷を通るルートだ。
もう一つのルート 「上新田」からのルートは書かれていない。
佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート  追加12/01/29
最初の入り口が違っていました。これで何度目でしょうか!
交差点から散髪屋のこの道をいるのです。
そのまま北上

すぐに左手に立派な祠があります。
これが出口からきた「津戸の中道」です。
この道はすぐに右に折れ天道を目指します。
片山にはそのまま北上
突き当たりに立派な家がありました。
道なりに進みガードレールに沿って登ります。
吹田市立病院手前に出ます。これが正解です。
その後もありました。この新しい道を北上すると思っていましたが。
次の信号で左に下る道があり、その先に祠があり、
この道だと思い進みます。
参道手前に地蔵があり、
道は右側を上がる。病院前に出ます。
病院の駐車場の間を抜ける道があります。
それを過ぎると片山墓地があります。
多くの地蔵・   があります。
またもやありました。地蔵と一緒に加えます。
大きな木と慰霊碑
もうすぐ、前に名神高速が現れる。
前半戦おわり。この後愛宕さんの道標探検

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観音信仰が旺盛な時代

道標のある3ルート『佐井寺道』=信仰道

大阪側から亀岡街道を使う信仰道 



明治の地図から見た信仰道





2010年5月9日日曜日

信仰道 片山ルート地図

この探索何回目になるでしょうか!
起点が間違っていました。 これがそのルート前半戦


山の谷で 見つけました

雨が上がったので 信仰道片山ルートと山の谷の道標の確認に出かけました。

山の谷の愛宕さんの道標を先に
公民館・消防団の倉庫
その裏が愛宕さんです、
平成六年に消失し その後 再建された物
常夜灯も江戸時代のものでした
まありには 地蔵が
道標は 横たわっているはずですが
愛宕さんの参道左に移築されていました。
吹田の資料と違います。
資料によると「千里市場」ですが、実物は「千里役場」になっています。
最初の観察者が千里市場とした物でその後確認もなく伝承、掲載された物だとおもわれる。
よって、この道標をみつけた道標に加えることにしました。

2010年3月17日水曜日

佐井寺の道Ⅵ 信仰道 山田ルート

佐井寺の道Ⅵ 信仰道 山田ルート
 佐井寺はむかしの面影を残すところが数多くありますが、
離れると、千里ニュータウンです。ですから
 このルートは、町中を歩くので街道の趣が少ない。
何度も通っているのですが、山田に向かいますのでこのルートを取りました。

 佐井寺の途中まで行きます。
派出所からのこの坂を下り、交差点は5差路になっています。
まっすぐは、千里山道
右が見える斜めの道が佐井寺道、それと反対側が山田道

山田道に入る  佐井寺を抜けるまでにはこのような家があります。
旧道ですので商店が有ったようです。

これは、「佐井寺くりぬき水路」を見つけました。
江戸時代 126メートルの水路です。行き先は「釈迦ケ池」

説明板です。 水路の横まで行かないと分かりません。

佐井寺の端に来ました。この辺りは開発されています。
この道は、右は紫金山公園(吹田市立博物館)左は佐井寺小学校
これで、街道は途切れます。

  佐井寺小学校方面

コンビニの西側に途切れた道があります。
向こうに見える信号の向こうは千里ニュータウン佐井寺4丁目

信号を右に取ると 山田への道
命名が「こぼれびの道」途中 交差点山田下(七尾への道)を越え
を越えると、紅葉のきれいな坂道です。
堺布施豊中線を横切りる(交差点宮ノ前西)山田の式内神社伊射奈岐神社
になる。
 堺布施豊中線は旧大阪府道2号大阪中央環状線(通称 中環)です。

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信仰道 片山ルート         2010年5月10日月曜日
信仰道 片山ルート地図       2010年5月9日日曜日  
佐井寺の道Ⅵ 信仰道 山田ルート  2010年3月17日水曜日
佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート  追加12/01/29
佐井寺の道Ⅳ 信仰道 千里山ルート  2010年1月24日日曜日
佐井寺の道Ⅲ 信仰道 片山ルート  2010年2月19日金曜日
佐井寺の道Ⅱ 信仰道 天道ルート   2010年2月1日月曜日
佐井寺の道Ⅰ 信仰道 小路ルート    2009年12月14日月曜日
岸部の地図 


 

2010年3月16日火曜日

佐井寺の道Ⅲ 信仰道 片山ルート  ?????

今日は阪急吹田駅から片山からの佐井寺を目指しました。
その結果は・・・・
片山3丁目の交差点を北上します。

摂津水都信金の横の道を北上します。

 角は浄念寺  右手の道が 西宮からの「津戸の中道」
左は「吹田の渡」

古い家並みがあります。 この道を右に取るのが「津戸の中道」で天道を目指す。

 照儀坊の北側を右に取る・・・これが間違い 2回目

街道らしい道ですが  どんどん右に右に

で一度西を向くと、古い家が見えました。行ってみました。
この道も、東への道になり、愛宕さんになります。

またもや 愛宕さんです。 前回より東寄りにきて、頂上まで行き 別な道を下り、再度北上しました。 結局 このルートはあったのか?
 片山から登ってきて、途中からもっと西側、現在の片山道を上るのがルートではないでしょうか。
 
今日も引き返さず、その間違ったルートを辿ります。

左からの道が愛宕さんからここまで戻りました。右の道を上がります。
この道は下方千一地区公民館を上がってきた道を北上する。
上がると
 
頂上に 吹田市の給水所があります。 ここを下る。

下った所をさらに右に取ると

日本医学臨床研究所の前の道を北東へ すでに間違っているが
 
頂上を過ぎて、左手に名神高速 その向こうに見える片山中学校の南東にでます。

立派な吹田市総合運動場の西側を行くとT字路 佐井寺の案内は有りません。
五月が丘・ニュータウン方面を目指します。

大塚という小さい丘があり、そこからの佐井寺の眺め


佐井寺派出所まえの道標
この道標 右 吹田 左 きしべ  享和三年(1803)
ここにもう1基道標が どれだか判りません。  右すいた 左 きしべ

今日は 新しいボーシ・傘をもらっていました。

少し天道の道を戻って写真 ここには天童、小路からの二つのルートが一つになる所です。
向こうに見えるのが佐井寺の派出所です。

一度は小路の道を引き返しました。 
向こうに見える大きな建物が協和会病院です。
途中に名神高速がが走っています。 派出所まで引き換えします。

左にとり、坂を下ると。 右側に佐井寺への道、まっすぐは、千里山からの道
今度こそはと思い出かけました、今日も失敗に終わりました。

 この後、面白くないですが 山田への道を少し探ります。 その後山田の駅に向かいます。