2011年3月19日土曜日

箕面市立郷土資料館  公開講座の案内 拓本 この道標は何処の道標

メールを頂ました。 講座の案内です。 
  拓本で有名な「アンコールワット拓本保存会」の話
アンコールワットの壁画拓本や
箕面市稲の教学寺の三島海雲顕彰碑の拓本も会場に展示いたします。

箕面市立郷土資料館  公開講座

日 時: 平成23年3月27日(日) 午後1時30分~
場 所: 箕面文化交流センター多目的室2(郷土資料館と同じフロア)
講座名: ~アンコール・ワット拓本で見えたもの~
講 師: アンコール・ワット拓本保存会会員 久藤 昭太郎 さん
受講料: 無料      2011/06/08 講演の様子
 
 

 箕面市立郷土資料館
 
 
以前の資料
行先の「道」について、標示方法いろいろ、 
問題です。 この道標の場所を当てて下さい。
すぐ 上新田 京
役行者像に「道」
みのを山 かつをう寺
崩した「道」  大坂・はっとり・天神
もっと崩した、「屋」ににた「道」もある。
  
「ミち」 カタカタ交じりの道が多い
この道標の立っていた場所は!

2011年3月7日月曜日

佐井寺の道 Ⅶ  豊津から  予定

道標を調べていると 「山谷」に道標があるとのこと

この項、予定としてあげておきます。

山の谷 愛宕神社境内にある道標
 上山手町10

表示
ーーーーーーーーーーー
 大正十四年二月建立
ーーーーーーーーーーー
 山の谷
 千里役場ニ至ル
ーーーーーーーーーーー
 山谷青年部
ーーーーーーーーーーー
 (不明)
ーーーーーーーーーーー

2011年2月24日木曜日

「上の立石」の銘  記載の間違い・・??? 追加


「豊中市の文化財 道標編」 p37に NO。30

(南) かちをうし
(西) 南無阿弥陀仏
(北) 
(東) 為万人講衆中法界
写真はない。
これら消失した道標4基については、
「昭和38年の豊中市史編纂当時、市内道標の一部を調査し、これを地図上にメモしたものが残っている。」で紹介されている。
 それによると
30.樫の木池北東、勝尾寺と野道との三又路
     新千里北町2丁目
   住所から「上の立石」のことが書かれている。

さて記載について別な資料 本「野の仏」大阪読売新聞には。
 この道標は江戸時代のものであろうと記されているが
上記の(西)、(東)面の記載はない。下の写真でご確認ください。

これが、「上の立石」を「野の仏」が紹介している写真です。
彫が深い、南面には「(馬頭観音像)右かちをじ」 東面には 文字らしくものはない。
大きいので立石と言われ、道標編30で記載されているのはまちがいと考えられる。


道標編30の項は一部間違って書かれている。
(西) 南無阿弥陀仏
(東) 為万人講衆中法界
これ項は面は違うが、私が見つけた「新田西口道標=旧新田小学校北東道標」に記載されているものとほぼ同じである。 行先の方向は 左・右の表示がなく、この道は 「かつおじへの道」を指している。 

新田西口道標 の記載 下部欠損
 (東) 左大坂
 (南) 南無阿(弥陀仏)
 (西) 為万人(講衆中法界)
 (北) 右くま(のだ)
とあるので、面が違うが、こちらの銘を間違って記載されたものと思われる。
箕面市に同じ人(万人講)が立てたものが2基あり
それらから補足すると
(南) 南無阿弥陀仏
(西) 為万人講衆中法界 願主岸◇ となる。 
 後の二面は 左・右の行先を表示 
 
箕面市の2基は 勝尾寺から大阪へ帰る道沿いに立っている。=大阪道
 万人講①は 勝尾寺表参道の 2町石と3町石の間に立っていたもので
   右側に分かれ道があり5歩ほど歩くと左側に立っている。
万人講②は、西国街道を西に取り、今宮で大阪と別れるところの立っている。
万人講③は、上新田「西口道標」 =「新田小学校北東道標」   
 西口道標で 右に取ると 熊野田から豊中へ
 左に取ると 高川から小曽根・横関街道にて、大阪へ
  
万人講④  吹田で見つかった 「万人講道標」
    江坂 素盞嗚神社  油掛け地蔵横の石物郡 
    旧在 三国街道と横関街道三叉路か 三国街道を少し行ったあたりに建てられた物  
      と考えられる。
 表記
 「かち(をうし)
 「為万人(講衆中法界)
 「南無阿(弥陀仏)」  下部欠損 これが本「豊中の文化財 道標編」30番の記載されている。
  万人講道標は 勝尾寺から大阪への帰路案内で 要所要所に建立
  ところが、この道標はだけは かつおじだけを標記し 出発点を表示している。
4基の「万人講」    その2
*******************************************

失った道標  豊中市 打越池南西

失った道標
以前あったとされる道標、旧在所を探しに
旧中環状線 上新田に向かう途中 熊野でこの道を右に入ります、
熊野町は花山法皇が、佛眼上人(ぶつげんしょうにん)というお坊さんに作られた、吉野熊野に似ているということで「熊野に代る地」として村名が「熊野代(くまんだい)」がなまって「くまんだ」→「熊野田」となった、由緒ある村ですが、現在はその名称は学校名「豊中市立熊野田小学校」と阪急バス停「熊野田小学校前」にその名を残すだけである。

熊野田村の名前がなくなった。今は熊野町
熊野田の村中から
住宅街を抜けると開けます、
右手に取ると、服部緑地公園になります。右側にいづみが丘小学校、
そのまま進むと豊中十七中、中学校の前に大阪市の服部墓地がある。
そのまま進むと大坂に向かい、高川を目指します。
三国街道、横関街道を使い大阪市内へ

左は「打越池」の横を通り、下新田に向かいます。
三叉路ですので、この地に建っていたものと思われます。
打越池北西三又路  西泉丘二丁目

北面に   右 大坂   世話人
左 下新田  大峰講中
池の横を通り、下新田(吹田市春日町)を目指す。
吹田の千里山からは、下新田を通り、ここ熊野田を通って
「豊中高校」へ通学していたようです。





大きな地図で見る
下の建物は 豊中市泉丘小学校  右が打越池

場所が分からない時は右のここをクリック マ ッ プ

もう一つの失った道標  「桜の町5丁目」福枝講
                               池田の人に渡したそうです。

     古い話ですが 失った道標「上の立石」


 豊中の文化財 道標編 
 昭和50年  38p
   


その他 豊中の道標
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

2012/04/04 追加
春日町から「旧熊野田へのルート 」

2011年2月23日水曜日

中之島の道標


今津っ子が見つけた「中之島の道標」

一度見たのですがページがわかりません。

「旧関電ビル前」(カンデンビル)

と聞いていたのですが、

植え込みにはあらずきょろきょろ

北側と思いき探すが見当たらず、

ひょいと振り向くと ありました。
結局、市立科学館から北側を淀屋橋まで歩き
結局、市立科学館のよこです。


淀屋橋方面  時間が悪く 文字が読めません。











送信者 2011-02-19





2011年2月22日火曜日

「野田藤」


大阪市顕彰文化財指定
春日神社 ここにも「野田の藤」の碑があります。
他のリンク

2011年2月21日月曜日

長柄橋南詰め 石仏  「沖向き地蔵」

以前にバスの上から見た仏像、一度撮りにと思い用事で大阪に出ましたので
JR天満駅から地下鉄天6まで、そして、長柄橋 約1.7K
昔、「長柄の渡し」のあった場所か!
それらしい碑はなかった。
地蔵の前には、戦時中の傷跡「旧長柄橋弾痕」のコンクリートがありました。
「長柄小橋」 向こうに見えるのが長柄橋
小橋の下は
確認後 天六へ
もう少し同じ道を戻ります。
地蔵を見つけました。さっき通った時には気づきませんでした。
由緒には 「沖向き地蔵」
ここが沖!時代は 難波長柄豊崎宮時代
戦時中にも焼けずにのこったと言われれる。