私のサイトに来ていただき有難うございます。
変化を知り、継承する・守るのは 私たち今生きる、私たちの役目です。
見つかった上新田西口道標が他のサイトで紹介されていました。
その ④
2012/9 掲載
みのお市民まちなみ会議
http://minohmachinami.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/13-4385.html
(6)上新田西口道標(上新田墓地内)最近、上新田墓地内で半分に折れた道標が発見された。「右くま」、「左 大坂」の文字は「右は熊野田(勝尾寺街道)」、「左は大坂・三国街道(小曽根の渡しへ)」と考えられる。従ってこの道標は、元は勝尾寺街道と三国街道が交差する旧新田小学校側の「落合橋」付近に在ったものと考えられる。
サイトより 転載
変化を知り、継承する・守るのは 私たち今生きる、私たちの役目です。
見つかった上新田西口道標が他のサイトで紹介されていました。
その ④
見つけた道標です。 新しい道標 上新田3
この道標は豊中市報で紹介されているのでしょうか!
また、どこかの講演で紹介されているのでしょうか!
初めて見る側からしては???? きちんと紹介する必要がある。
この道標は豊中市報で紹介されているのでしょうか!
また、どこかの講演で紹介されているのでしょうか!
初めて見る側からしては???? きちんと紹介する必要がある。
2009/3/26
今までにない道標、 見つかった道標として紹介すべきだ。
掲載は3番目ですが 最初に紹介された 下記の展示会
2014/9/5 以前に紹介されているのを思い出しました。
NO45 上新田西口道標
(旧新田小学校の道標)
この道標の所在につきましては、豊中市立第十三中学校教諭の上村 和功 氏から
当館にご教示がありました。 展示にあたりましてお礼申しあげます。
見つけられた「道標17基」
上新田の道標
六地蔵の後ろに道標がある。
「右 くま」
「左 大坂」
「くま」とは熊野田村のことでしょう。
元はどこにあったかというと最初の地図の【D】の場所。
旧新田小学校の角の辺りにあったようです。
(参考ブログ)
『「見本のまち」上新田 勝尾寺街道』
地図と重ねるとこの場所です。
管理者のコメント
この位置は 大きな間違いがあります。
昭和23年のことを資料として取り上げられています。参考にするには明治の地図ではないこと
旧新田小学校は明治33年 場所も規模も現在の大きさで建てられ、以後運動場・校舎も増築され廃
校になる昭和48年まで使われていました。増築された状態の写真では明治江戸時代の街道。道とは大
きく違います。
よって、昭和の写真を元に道標の元位置を特定するのでなく、明治の地図で特定すると
私が云っている、旧新田小学校北東の角にあった物と推測されます。
同じ写真を使用して説明していますのでそちらをご覧ください。
******************* その③ ありがとうございます。今までにない道標、 見つかった道標として紹介すべきだ。
****************** その ① / ④
掲載は3番目ですが 最初に紹介された 下記の展示会
2014/9/5 以前に紹介されているのを思い出しました。
2009年9月24日木曜日
『箕面から大坂への道しるべ展』
箕面から大坂への道標展開催にあたって
当館では、平成18年度に西宮から京都までの西国街道沿いの道標を紹介する西国街道の道標展を、平成20年度には総持寺から勝尾寺、勝尾寺から中山寺と続く西国巡礼道の道標をテーマに巡礼街道の道標展を秋のこの時期に開催してきました。
西国街道も巡礼街道も本市を東西に横切っている古道ですが、本年度は、本市を南北に横切り、大阪へ向かう道に建てられている道しるべを拓本を駆使して展示いたしました。明治43年、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開通して来年で100年になりますが、それまで、箕面の先人たちは大都市大阪を目指して歩きました。また、昔から紅葉と滝の景勝地として、多くの観光客が箕面を目指して歩いてきました。今回展示しています道標は、箕面街道、能勢街道、亀岡街道、勝尾寺街道のもので、箕面市域だけではなく、池田、豊中市域のものも含めて45基を展示しています。
展示にあたり拓本のご協力を賜りましたアンコール・ワット拓本保存会及び箕面市文化財愛好会の皆様、並びに道標の所在につきましてご教示を賜りました、上村和功氏には心から厚くお礼申しあげます。
小展ですが、ご見学賜りますようお願い申しあげます。
平成21年(2009年)秋
当館では、平成18年度に西宮から京都までの西国街道沿いの道標を紹介する西国街道の道標展を、平成20年度には総持寺から勝尾寺、勝尾寺から中山寺と続く西国巡礼道の道標をテーマに巡礼街道の道標展を秋のこの時期に開催してきました。
西国街道も巡礼街道も本市を東西に横切っている古道ですが、本年度は、本市を南北に横切り、大阪へ向かう道に建てられている道しるべを拓本を駆使して展示いたしました。明治43年、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開通して来年で100年になりますが、それまで、箕面の先人たちは大都市大阪を目指して歩きました。また、昔から紅葉と滝の景勝地として、多くの観光客が箕面を目指して歩いてきました。今回展示しています道標は、箕面街道、能勢街道、亀岡街道、勝尾寺街道のもので、箕面市域だけではなく、池田、豊中市域のものも含めて45基を展示しています。
展示にあたり拓本のご協力を賜りましたアンコール・ワット拓本保存会及び箕面市文化財愛好会の皆様、並びに道標の所在につきましてご教示を賜りました、上村和功氏には心から厚くお礼申しあげます。
小展ですが、ご見学賜りますようお願い申しあげます。
平成21年(2009年)秋
2009年9月29日火曜日
『箕面から大坂への道しるべ展』 Ⅱ
NO45 上新田西口道標
(旧新田小学校の道標)
この道標の所在につきましては、豊中市立第十三中学校教諭の上村 和功 氏から
当館にご教示がありました。 展示にあたりましてお礼申しあげます。
見つけられた「道標17基」
******************** その② ありがとうございます。
もう一つのサイト 転載 2012/9/13 掲載
十三のいま昔を歩こう
千里丘陵を歩く(8)上新田の道標
六地蔵の後ろに道標がある。
「右 くま」
「左 大坂」
「くま」とは熊野田村のことでしょう。
元はどこにあったかというと最初の地図の【D】の場所。
旧新田小学校の角の辺りにあったようです。
(参考ブログ)
『「見本のまち」上新田 勝尾寺街道』
地図と重ねるとこの場所です。
管理者のコメント
この位置は 大きな間違いがあります。
昭和23年のことを資料として取り上げられています。参考にするには明治の地図ではないこと
旧新田小学校は明治33年 場所も規模も現在の大きさで建てられ、以後運動場・校舎も増築され廃
校になる昭和48年まで使われていました。増築された状態の写真では明治江戸時代の街道。道とは大
きく違います。
よって、昭和の写真を元に道標の元位置を特定するのでなく、明治の地図で特定すると
私が云っている、旧新田小学校北東の角にあった物と推測されます。
同じ写真を使用して説明していますのでそちらをご覧ください。
南に 上新田村 があります。 水色は ため池
一番北にある池が「樫の木池」
赤色の道は 上新田から今宮に抜ける 古道:勝尾寺街道
2012/9 掲載
みのお市民まちなみ会議
http://minohmachinami.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/13-4385.html
(6)上新田西口道標(上新田墓地内)最近、上新田墓地内で半分に折れた道標が発見された。「右くま」、「左 大坂」の文字は「右は熊野田(勝尾寺街道)」、「左は大坂・三国街道(小曽根の渡しへ)」と考えられる。従ってこの道標は、元は勝尾寺街道と三国街道が交差する旧新田小学校側の「落合橋」付近に在ったものと考えられる。
サイトより 転載
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