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2024年4月18日木曜日

② 道路廃止  ① またもや地震 正月の能登半島地震以来 台湾地震 その後続けて地震

  • 4/19  500回ビュー  4/18   835l回ビュー

  • 4/17  685回ビュー  4/16  596回ビュー  4/15 月間3位 599回ビュー  

  • 4/14 月間 1位 1,162回 602,325回ビュー 4/13  月間5位 499回ビュー 

  •   「吹田の道標」 



  • ② 道路廃止  尾谷路線橋 廃止
  •      至る「上新田」
       下新田             阪急千里山駅            佐井寺
  • 赤い線は 上新田から佐井寺の道
  • 青は池 春日池、砂子谷池、離れて右の菩提池 
  • もう一つ 水色の線は 下新田から 佐井寺への道 水色と赤色が合流するところが
  •    キリスト大阪協会になる。

  •  多くの昔の地図では佐井寺へは 右端の上下の道 亀岡街道が描がかれておるのが多いが、佐井寺から上新田の道は描かれていないのが一般的で、 下の地図では、佐井寺ー(南千里)ー上新田のルートが描かれている。 地図の左端は 神崎川から北上している「高川」(水源は南千里の牛ケ首池) 佐井寺からの街道  南千里を通り 豊中市の上新田に通じる道が描かれている。      

  •  中央に佐井寺 その西に 春日町(旧下新田) 春日町から北上し佐井寺からの交点が豊中市の上新田である。 また、阪急北千里線 千里山駅では昔の道で 佐井寺へ また 下新田への道が描かれている。

  •      吹田市都市整備部都市計画課編 「吹田市都市景観形成基本計画」 1993 より

  •       


  •  上新田には佐井寺への道しるべがある。  下の写真は 福西茂氏のスケッチ画  上   新田南口道標

  •    




  •  令和6年5月14日より  変更されました。


  • 千里情報館 追加 千里万博・府知事 





  •   「新町鉄橋」  

    橋梁顕彰碑 - 大阪市 より


  • 別名「ひょうたん橋」ともいう。
  • これを見て、 かえりに 「四つ橋跡」見に行こうとおもいました。

  • 別の碑がありました。太閤路地(背割り下水) 南久宝寺町2丁目2  大阪市内は歴史がある。!





  • 夜の「四つ橋」跡 







  • 以前の「四つ橋」

  • 2012年1月17日

  •  

    「四つ橋」 2012年  
  •  

  • 大きく変化した「新町」も面白い 2016年3月10日

  • ニュー遊技台 にれのき公園



  • 滑り台が新しくなりました。 4/12

  •      ブランコも新しくなりました。

    ➂ にれのき公園 2/2



  • 福西茂  豊中市での展示会  

  • 名所旧跡のスケッチ118点 豊中の元教諭しのび作品展


  • ② 事件 男女2人焼死体?? 栃木県那須町の山林

  •     男性は東京都の事業家


  • ① またもや地震 震源地:長野県北部

     最大震度:3


    東日本大地震 2011年3月11日14:  までの地震




愛媛県南予 最大震度6弱  以前の地震 大分県・宮崎県

      


    


2015年10月24日土曜日

吹田の古道 New  佐井寺への道と「津門の中道」2024/08 もう一つの地図


追 加 2024/08/01 

   ① 佐井寺から上新田への道

   ② 「津門の中道」




上新田から佐井寺への道表示されている 地図②です。

他の本では 表示がありません。 地図①  


地図 ② 別の地図を見つけましたので捉える。 



吹田市都市整備部都市計画課編 「吹田市都市景観形成基本

計画」 1993 より

 「吹田市の歴史文化と西尾邸」 

 旧庄屋屋敷保存活用会 1996,1997,1999


以前の地図 地図①

「わがまち岸辺」より

  この地図は 川と池が描かれており、現在と比べるのに非常に有利で、小学生にも分かり

やすいのが特徴である。 利用させてもらっています。


観音信仰 佐井寺への道は 道標のある2点 小路道標、天道道標
 道標はないが他に上の地図で記載されている道が 千里山、片山、山田からの道がある

その① 前回の時 「片山からの参拝道はない。」という意見があったが、この地図からは信仰道として千里山からの道と共に書かれている。

秀吉の「中国からの大返し」? 吹田地域では記載はないが
 その② 「津門の中道」は、吹田を通っているという文言で 「津門の中道は一旦吹田に寄る」と主張し、何でも 片山へ抜ける道を知ってもらっていない。 この地図にはその片山を抜ける道が描かれている。 明治の地図でも 片山を通る道がえがかgれている。下の地図②にも描かれている 但し、津門の中道は当てはまらない。「津門の中道」

街道の原則は 
 「まっすぐな道」
 「障害物は避ける」  ことが前提ですので、その①、②については当てはまらない。
☆糸田川が神崎川に合流する手前で 糸田川を通る道・堤防・街道がある、その道は金田を通り吹田に至る。 それ以降 亀岡街道で茨木・春日で茨木と通り、富田で泊、翌日天王山へ


さて前項で挙げた 片山への信仰道 
その① これにも、千里山からの道と片山からの道が挙げてあり、信仰道の役割をはたしていたようです。 それ以外に 上新田からの信仰道が書いてあります。
 ズート昔になりますが、発表の時に 私も挙げさせてもらいました。上新田からの信仰道

佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート 2009年12月14日月曜日


上新田に佐井寺への道標があるので、新しい片山への信仰道と挙げました。
 この2枚目の地図では 上新田からの道が描かれていました。