2015年10月20日火曜日

木下直三郎

木瓜紋 (もっこうもん)織田信長の木瓜紋が知られている。

元になった本?

「木下直三郎」 昭和7年発行(1968) 藤沢 章次郎 大阪府図書館禁持ち出
  1932年(昭和7年) 168p 図版37枚   出版者 岡本太郎
   東郷元帥閣下題
   元内務大臣水野錬太郎閣下

  序 大正13年10月 

     大阪府知事中川 望 (1923/9/29~1927/5/17)

  発行   勲三等 植  平
              高井 幸三
              西尾 興右衛門(府会議員)


 

木下直三郎翁追慕錄

          嘉永二年四月 吹田村に生まれる。
             大正三年一月十六日永眠(1914)

発起人総代 上野貞次郎 大正12年   吹田町長 昭和3年3月辞任


「孝敬忠誠」 公爵 徳川岡順書
   公爵 徳川 家達 16代 田安徳川家から養子   昭和15年没
              徳川 家正 17代 家達の長男     昭和38年没
      徳川宗家  徳川 恒孝  18代 会津松平家から養子  長男 家廣 

      村治四大綱の樹立   気比 新二郎
      木下直三郎翁逝去せられて■に二十有八年。今回頌徳碑しょうとく成るに際し、追慕の念禁じ難きものあり。世の父要喜知は多年村会議員及び学務委員の職にありて翁と親交あり、また囲碁の友として日々娯楽を偕にせり、翁村町就職の當時、村治の現状に鑑み、神明に誓ひて樹立せられたる四大綱あり。
   一 敬神崇祖の美風を助長■養すること
   二 財政を整理して基本財産を蓄積すること
   三 勤倹勤業を奨励し富力の増進を企画すること
   四 知能の啓発と教育及び衛生の普及改善に力むること
 之を熟読吟味するに、爾来時勢幾たびか■■し、文化頻に進展せりと■、翁が五十数年以前に於いて樹立せられたる村治の大網は■として現代に的中し、其遺志を継承して益々努力を加ふるの必用を認識する物なり。

四大綱目を樹立躬行し自ら早出晩退鋭意実行に移りて其の実現に苦心し村民を導けり

 
郷土史研究室  人物の巻 同文書院 昭和7年

大坂府の人物として4名が挙げられている。
 1、大橋 治水翁    大橋 房太郎のこと

 2、植塩  平翁

 3、秋岡 義一 翁 明治27年衆院議員に当選、以来8選される。広軌鉄道改築準備委員会委員を務めた。また、朝鮮綿業、京阪電気鉄道、京阪土地建物各(株)監査役、利別農場業務執行社員等となった。
没年月日

 4.木下直三郎 p231-239


大正14年3月30日


 


愛知県農会「全国篤農家列伝」 明治43.4

 大阪府の人物
 1.木下直三郎 氏は嘉永二年四月を以て、大阪府三島郡吹田村に生る。天質温厚人と争うことを好まず、少ふして勧業に志し、稍々長ずるに及び念々頭角を現し又常に凡介の人に非ず、一村の興望一身を被ふに至れり。
 氏の抱負は農村の開発にあり、理想村の実現にあり、村老は進るに仕官を以てし、人爵の貴きを以てスト難も毫(すこし)も意に介せず、却て自己の転職を説き長老をして舌を巻かしめし事一再 ならずとか、明治20年衆望により吹田村の戸長となり、村制を施かるるや挙げられて村長となり42年5月に至る二十余年間勤績して村治に盡す(つくす)。
 資性篤實一郷の嘱望する所となり嘗て(なめて)正副戸長となり町村制実施の際本村長に挙げられ能く地方制度の主旨を大認し専ら自治の発達を計り築堤興学勤農奨濟(すます)村債償却に盡力し多年公共事務に誠実に勤勉し其の労効顕著なりとす依って明治14年12月7日勅定の藍綬褒章を賜ひ其善行を表彰す之も即ち明治二十五年11月藍綬褒章賜ひて善行を表彰し給ひし全文の寫しなり、之を以て見るも往時の事業の如何に凡界を脱せしかを知るに足らん。 其の後東西水利に関する創立委員となり、吹田村村農会長となり、三島郡教育界副会長となり、陰に陽に斯界の為に盡すこと一方ならず世人常に語らいて曰く「あの様に働いてよくも健康を損なせんもんだ。」と以て精力家たるを知るに余あり。
 氏の吹田村村長となりし當時に於いては自治の基盤揺らぎ勝にて未だ堅確なりと謂ふ能はざりし、然るに同氏は日夜基身を忘れ村治に満身の活気を注ぎ、勧業方面に於いては競進会を催して賞し劣を励まし、教育にありては、子弟の就学を奨励し、特に吹田村の如きは治水堤防の関係至大しして加えるに悪水排除のこと亦急なり、之が急観破したる氏は拮ひらたく据すえる経営治水堤防のことを完ふし悪水排除の業を遂げ、のみならず二十九年の夏未曾有の水害に罹(かかる)るや身を挺して上京し、貴衆両委員議員を遊説しその結果として水害地地租特別處分法案を見るに至れり、之れ実に至誠の貫徹に因る者なり、當時吹田村民が流離の患を免がれしは、此人の力に拠るとて喜悦惜く所を知らざりしと云ふも宣なりと云うべし。
 明治42年5月其村長を辞するや村民感謝して措かず、其別れに臨み送りしと云う文を見るに


 2.三杉長兵衛 山阪神社(やまさかじんじゃ) 大阪市東住吉区山坂2-19-23  内
           三杉長兵衛紀功碑 明治43年6月田辺村民建
           「全国篤農家列伝」に名前が確認される。  
  3.中野遠平

 4.家村寛太郎  北河内郡招提村 現在枚方市、← 殿山町:牧野村



本「吹田町大観」 山内平三郎 その他の著書
                      「千里村誌」、「豊津村誌」平成10年
                                         「三宅村誌」昭和8年


本 「せい忠記念碑」 元帥伯爵 野津道貫


大阪府知事 従三位勲二等  三 邊 長治
吹田市長             川端 信治郎
大阪府議会議長         磯村 彌右衛門
大日本麦酒會社取締役社長 高橋 龍太郎


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