2010年12月1日水曜日

古い地図   追加・追加


江戸時代後期 長興寺村絵図
長興寺煙硝蔵と街道
真ん中が天竺川 右に煙硝蔵5棟  街道は
能勢街道は  箕面街道は どれになりますか!

2012/02/04  追加
 堺市立泉北すえむら資料館 古地図「増脩改正摂州大阪地図」
 残念ながら 絵の下の方はみることができません、学芸員に聞きますと
 「西宮の郷土資料館」で地図を出していた。
 さっそく 郷土資料館に問い合わせますが 詳しいことはわかりませんが
「地図の資料はあるようですので 明日行って見ます。」
ネットで調べると 大阪教育大附属図書館に「デジタルコレクション」があります。

                 古地図 35    
 2.増脩改正摂州大阪地図
 3.大坂指掌図(淀河筋図)  同じような地図
 4.懐宝 大阪図   同じような地図が
 5.大阪指掌図 

 
                 

201201/22  追加
古い地図の名称?  新之介さん  
                                                  

いろいろある 「河絵図」 寛政9年 1797年?そんな時代の 江口 はというと   
      
もう一つの地図 江戸時代の「拾箇国絵図」   


修正追加
上の地図 その中の一番上の池(上池)の右側の三叉路に道標が書いてある。
その道標が 「名号板碑道標」で古い道標とされている。
そこから、江坂の「妙見宮常夜灯」とつなげることができ、
それで、この道が昔の街道であるといえる。
その昔、能勢街道は吹田を通っていた。
能勢街道  昔は天満橋から  
摂丹国境の儀宝永元(1704)申年裁許図面墨引印章の通弥相違無之事

2011/12/  斜体の部分追加 
堤防に向かう道は描かれていますが、堤防の上には道は書いてない!  この堤防には 多くの松の木があり、街道の風情を残している。

もう一つの地図

長興寺・曽根・岡山・福井四カ村池争論立会絵図
寛政11年12月(1799)
この2つを比べてください。 箕面街道は

2012/01/05 追加
1.摂津国豊嶋郡小曽根郷絵図 文化8年(1811)
2.疑問の道標 
3.地 図

2011/12  斜体の部分追加
上の左端は 右端「天竺川」
 中央左の大きな池は 今は市民会館になっている「芦田ケ池」
 
右寄りの3つの池が 上の絵図の左側の3つの池である。
その中の一番上の池(上池)の右側の三叉路に道標が書いてある。その道標が
 「名号板碑道標」で古い道標とされている。
それから、江坂の「妙見宮常夜灯」とつなげることができ、
それで、この道が昔の街道であるといえる。
その昔、能勢街道は吹田を通っていた。



2011年11月31日 追加 ありました
今津っ子さんより  説明されています 
 

  一度ご覧ください。

 

2010年11月24日水曜日

贈り物   受賞その後

うれしいことです。



友達からは「おめでとう」と云われるか

一番迷惑を掛けている人からは、一言もありませんでした。

それが 今日、贈り物です。表彰状を飾る額縁を頂きました。

早速飾りました。飾り物のない我が家には不似合いですが。

自分ひとりで「う・・・、 う・・・・」と満足している自分でした。

よかった! よかった!


ここまでの流れ
勝尾寺へのルート計測 小野原街道 三国街道 熊野田道
原稿(見つかった道標・地蔵の溝

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表彰式以降
番号付きリスト公開・承認吹田市主催「郷土史講話」にて(23年1月20日)

追加 24年3月20日
吹田市「博物館だより NO47」に掲載  23年9月1日発行
285回 吹田郷土史研究会例会      24年3月17日で発表

家に新しい贈り物が届きました。これは大ニュースです。

2010年11月23日火曜日

河内の古道

河内の古道  高野への道
 頂き物です。 有難うございます。
尾田年弘 文・写真・地図 p37
平成十八年八月 第二刷発行
またまた、調べ物が増えました。
有難うございます。

さて 筆者のことを別なサイトで調べて見ました。それによりますと

著者は全部で5冊の冊子を出されている。
1河内の古道 高野への道

2河内の古道 竹内への道

3河内の古道 千劔破への道

4大和の古道 二上・葛城 山裾の道

5大和の古道 金剛山裾の道

http://blogs.dion.ne.jp/553/archives/6571532.html 

またまた凄い人がいました。



2010年11月21日日曜日

近江高島町 Ⅱ まち歩き


琵琶湖には渡り鳥が
水路が張り巡らせている
西町
 織田信澄(信長の甥)に、天正六年(1578)
大溝城に入り、新しく城下町を整備しました、その
際古道(旧北国道)を西の通りとして町割りしたの
がこの町の初めといわれています。
大溝陣屋
「惣門」
元和五年(1619)八月、高島郡を中心に二万石の領主として、
伊勢の国上野(三重県阿芸町)から江州大溝(高島町)に入封した
分部光信(1591から1643)は,さきに織田信澄(織田信長の甥、明智光秀の女婿)が
築いた大溝城(水城)の西に、陣屋・武家屋敷を構築し、背戸川を堺として石垣・土塁を
巡らせてこの地に総門を設けた。
 宝暦五年(1755)秋、大修理して今にいたる。
 棟瓦には部部氏の定紋(丸の内に三引)が残り、両袖に部屋のあるこの長屋門は
大溝城関係建造物でただ一つ現存する貴重な遺構である、
 高島町観光協会

小野組総本家 三井財閥 近江商人
鮒寿司の総本家

2013年4月18日木曜日  「吹郷研」バスツアー 滋賀県高島市

2013年4月6日土曜日  これは??? 高島市で

2010年11月21日    近江路での道標  

2010年11月15日月曜日   近 江 高 島 シニア自然大学16期生
 秋  合  宿
 秋合宿パート2 芸術

近江路での道標

蓬莱さんの麓
 左 京 大津
 自然石に一部くりぬき平らにしている。
 その横には 六地蔵がある
 昔の街道です。
この周りには
祠があり その横には 墓標!
祠のnakaには 三猿と ・・・・
ここは村はずれの要所であったのでしょう
ここから北へ戻ると
 
地蔵があり、その北側には
文政二年のレプリカ???
道標にレプリカは必要ない 説明版のほうがよい、
琵琶湖がきれいに見えます。

2010年11月19日金曜日

ある家の石仏

敷地内に地蔵さんが
三体
宝篋印塔か墓標

灯篭2基 
名は入っていない。

2010年11月15日月曜日