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2013年5月20日月曜日

ここは、東淀川区役所 中島大水道 本庄小橋、増島橋、三義人

調査 2012/02/24
今日は東淀川区役所へ 下の模型を見に 2012/02/25

「中島大水道」 淡路の増島村  赤いとことが現東淀川区役所
水が北西に延び、左に折れているところが「新太郎松樋」
 
増島から淡路への水路に架かる橋が「本庄小橋
和合橋(わがふ)  増島橋の親柱  




十三あたり、川口新家村、木寺村、小島村、堀村、野中村
明治18年の地図では 小島村の近くで、「中島大水道」を東西に横切るが
これで見ると 能勢街道が「中島大水道」を東西に横切ることはない。 
 
中島大水道は東は増島村(現淡路)、西は申新田(此花区伝法)9.5キロ
 延宝六年1678年

西成郡絵図   一柳太郎氏所蔵  
沢田 久左衛門、西村久右衛門、一柳太郎衛 の三義士
   

 
千里南公園 2012/02/24

2013年3月24日日曜日

最初の忘れられた橋 新庄小橋 中島大水道と能勢街道 

阪急淡路駅東にある「新庄小橋」
下は通路になっています。
大坂は水の都、また 八百八橋といわれ 東洋のベネチアか
生命の誕生は「水」と「酸素」と言われるが その時代は古代
現代の工業国となった日本では「水」は災害をもたらすものとなった。
だが 近世では農業の盛んな時代は重要視された水がある。
色んな伝承で「水」に関する事例もある。
さて、現在は生命維持の水はダム、河川工事、水道工事により川そのもの
池を含め 檻の中になっている。
この橋は 昔、水が流れていたが、現在はその形跡はない。
橋の建築は コンクリートであるのでそんなに古くない。
明治 18年の地図を見ると 「中島大水道」になります。

南東は淀川である。
右側の北上している道は 亀岡街道です。
南西方向に延びているのは 国鉄 現在の阪急京都線 
 その線路を挟んで 池が見える。
右側の池のそばに橋があった。
「和合橋」 欄干 昭和二年十二月架橋
「増島橋」 欄干    両方 こちら
それより 右は 淀川からの水の取り入れ口 
「三千樋」 これが「中島大水道」これが源流

中島大水道碑がある東淀川区淡路四丁目 は 左側の池のあたりで
この中島水道はこの後 現在の東海道新幹線となる。
この中島大水道にも幾つもの話が残っている。「さいの木神社」。

黄色が亀岡街道
赤色が旧国鉄 現 阪急千里線
水色が 「中島大水道」
地図で川・中島水道と鉄道が交差している地点が阪急淡路駅にある「新庄小橋」にあたる。
追加 上の地図右側の続きの地図はこちら

「中島大水道」にはもう一つ関係している道標がある。
「十三新高公園の道標」です。  表示は
東面 「東 すぐ 三国 ■■ み乃勝尾寺 乃セ」
 南面 「南 卍 ← かんざき 伊丹 中山 」 
西面 「 西すぐ 十三十六丁 本庄二十丁」
北面には記載はない。
と表示されている。  この道標の面白いのは 東西南の方位の表示があること。
さらに 十三、本庄の距離が記されている。
 

上の地図の上部左端  能勢街道 が 中島大水道を渡る橋がある。
能勢街道の唯一東西にある道で分岐するところである。

「中島大水道」 新太郎松樋  2013年8月20日火曜日


新高公園の道標  2012年4月15日日曜日
 
一挙に 三千橋個!  2011年12月12日月曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ  2012年1月5日木曜日
新高公園の道標    2011年7月19日火曜日
続きの地図 はこちら
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2012年4月15日日曜日

新高公園の道標 旧在所詳細 考察Ⅱ 追加4/29

もう少しわかりやすく説明を 「今津っ子さんの標本」を参考に考えます。 
この表示の修正追加1点、表示で気になることが2点
修正追加は福泉山の後は 「福泉山福泉寺」であると考える。
次に 東西南北の方位表示について2点
1.東西南北の表示で 北の表示がない点
2.東面の裏側は「西」になっていない点
方位「東西南北」の表示は北摂では珍しい道標でそんないない。
その表示で有名なのは 十三大橋の南詰に立っている常夜灯型の道標 です。
これを例に 「東西南北」の表示を解説すると
この道標の立っている方向を指し、「東」は東の方向を向いて立っているこのになる。
東面と南面は「同じ方向なのに違う行き先が表示」されていることは
以前に解説済みである。

そこで、「北面がなく」、東西で 西面が東面の裏側にあるはずであるが、「西」は北面に書かれていることです。

道標は道標の正面に立って みぎ、ひだり、すぐ と行先を示す。これが基本です。
また、この道標が立っていた道路の状況は 三叉路、十字路などに立っていた状況は表示から見て考えにくい。 この道標は 「東西の道に立っていた。」ことはお分かりできると思います。
以上の考えから 「新高公園道標が立っていた場所」を下の図のABCD地点のどれになるでしょうか!
まず、 みなさんの考えを右のアンケートに答えてください。
コメントもよかったらください。

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2012/04//28 考察  面白い道標
立っていた位置の特定の考察
道標は遠くから存在がわかるように立っていて、近づいて行先を確認できるようになっていた。
大阪から来た人を例に考えると
大きな点は 能勢街道を主と考えられた道標である。
C点 では 南面が最初に見える、 東面の「すぐ」は近づかないとわからない。ということで
D点同様 この2点ではない。
A点では南面を見るため回り込まなけれがならないので これも 立っていた位置ではない。
全ての問題を説明できるのは点Bが立っていた位置だと考える、
東から来た人は これからの行先が わかる
北から来た人は、遠くからこの道標の存在がわかり、西面に記載が必要なことを北面に書き入れ、旅人を安心させたものと考える。  
それにしても 面白い道標である。

道標は行先のあんないであるが、逆に表示から立っていた位置を特定することが出来る、
道標の立っていた位置の特定には 道路の分岐に立っていた。 移築された道標の旧在所の特定は道標自身がその存在を示すことが調査した道標の数が多くなり、特定することができるようになった。
この「新高公園の道標」のように距離の表示があるのが特定しやすい。
同様に 移築され100キロ近くも離れた吹田市で見つかった「福知山市上天津の道標も距離が記載されていたので立ってた場所を特定できた。

また、T字路に立っている道標は大事な一方向だけの表示になっている。  その例は
上記の「福知山市上天津の道標がある。
「江坂西西道標」もこれにあたる。

道標の一番の特徴は道の分かれ道に立っていたことです。
「旧新田小学校の道標」がそれに当たります。  

最後に 方向を示す「右左」の表示がない、油かけ地蔵よこの道標、「万人講④道標」については 
次のように考える。
 分岐に立っていたのではない。
 分岐にすでに道標があり、立てる必要がなかったものと思われる。  
 分岐から少し離れた場所に立っていたものと思われる。
 具体的な説明
 横関街道が高川で三国街道と合流し、三国街道として上新田に向う、
 すぐに左に折れる道があり「石蓮寺村」に向かう分岐がある。そこにはすでに道標が建っていたので そのまますこし北上したあたりにこの「万人講④道標」は立っていたと考えられる。

 

2012年2月18日土曜日

十三新高公園道標の経過・まとめ

初めに、 きっかけは 2011年3月31日の十三探索 で  
神津神社の3基目の道標が疑問

最初の 一番上の写真 神津神社に3基めの道標を見つけた時です。
みなさん、このページで三基目の道標に気付かなかったようです。
神津神社には 二基の道標がある。ことは知っていたので 「何故k3基」  
この道標はWEB上で「見たことある道標」でした。 十三の商店街に立っている。「場所が違う」とおもいましたから覚えています。それで、「十三の道標」で調べましたが 三基目の道標のことはわかりませんでした。、 
調べている最中に 問題提起になった サイト 道 標 十三を歩く  新之介さんです
上のサイトWEBで知り、そこの道標が載っています。「新高公園の道標」との出会いです。
2011年4月16日(土)のことでした。
三基目の道標は 見たことあるし、神津神社に聞けばわかるであろうと思い
新高公園の道標を先に調べまることにしました。

1. ブログで調査依頼 「この道標知りませんか!」   
      疑問2点  十三の公園????    ? 
  「調査に行かれた方」のうち 2名の方からご連絡をいただきました。
  その節はお世話になりました。ありがとうございました。

  私は 大阪市役所にメールで問い合わせ 
2. 連絡がありました。  十三の公園  早い 大阪市  4月18日
      内容は こちら
  早い 大阪市十三公園事務所  報告を忘れていました。

  4月20日 調べるうちにもう1基 道しるべ
3. . 十三の道標  2基              4月20日

現地調査 新たな発見が!
4. 見てきました。 十三の公園        4月21日   
5. 見てきました。   十三の公園 Ⅱ   4月22日
6. 十三の長安橋                4月23日

十三探索で初期の目的・発見(2011/03/29) 調べてからの発表です。
「新しい能勢街道  踏切から表示」で調査 写真は公表 するが気付かず! 
7. またもや発見 神津神社 3基目の道標  5月18日発表  
8. 最高記録  十三神津神社 道標      5月20日

考察
9. 十三新高公園の道標 考察 Ⅰ     7月19日火曜日 
10. 十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ   7月19日火曜日
11. 新しい事実  道標表示について   7月27日水曜日
12. 東西の道あり                月28日木曜日

7月30日土曜日 
13. 十三の新高公園道標の旧在所 確定  7月30日
14. 十三 神津神社の道標 地名に     8月8日月曜日
15. 新高公園の道標           10月26日水曜日

2011年12月14日水曜日
16. 「新高公園の道標」の報告書

最初のきっかけ 3月31日
調査は4月から7月30日4カ月で確定 12月、まとめまで九ケ月間でした。 
去年は 十三新高公園道標 と 「気になる石物」2基 いや3基か

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追加 2012/03/25
「本庄の街道・渡し」 道標  

勝尾寺への道12  旧川口村の道標(本庄の渡し

勝尾寺への道13  新高公園の道標

2011年12月28日水曜日

十三に高槻街道 いながきさん

いながきさんの地図から
ののみy
次回 十三で集会がありますので その折 確認してきます。
1.木川栄橋  バス停『木川栄橋』、十三病院近く とは違うのか!
十三中学校北側に橋がかかっていたのではないか! この辺りを「木川栄橋」というのでしょう。
2.忘れ物 さかえ橋の親柱の確認
3.野々宮神社 見てきました。

高槻街道  場所は

阪急十三駅 北側踏切   ホームから撮影
左側から 宝塚線、京都線  
「ここに 高槻街道があるのか!」さて この先は ???

京都線の電車が入ってきました。

2011年12月22日木曜日

いながきさんから  新高公園の道標

東淀川区探索 その報告しました。
その後、二通の手紙をもらいました。
その1     笛が入っていませんでした。

東淀川区の道標2基の所在
ネットで調べ  稲生神社  道標  東淀川区大桐3丁目14-55
そうか グランド裏 というのはここの道標か
大阪経済大学学生会館南側です。
稲垣さんからの報告と合致します。稲垣さんはもう一件あります。

下の道標 これは、この当たりに街道があったのか!



「三宝寺の由来」 三宝寺西公園にて

「せせらぎの散歩道」 そこには 
新しい道標が
 


稲垣さんから 別な注文「能勢街道」が違う!

地図がうまい!
さて、
1.能勢街道が今まで聞いたのとはえらい違いです。   ご感想をください。
2.野々宮神社、地蔵があるなど 面白いと思います。   他の資料と見比べなければならない。
資料の提示と考察がひつようです。   
3.木川栄橋の位置が違うのではにでしょうか! それは、明治の地図では能勢街道は「中島大水道を東西」に横切る道になっているので、JRを越した辺りを通ることになるはずである。
現在の私の考えでは  ????? です。

次は新しい情報
4.高槻街道がここにある。 ルートは 十三駅の北側の踏切、木川小学校の踏切にその印があるそうだ!  さて、このルートは何でしょうか!  ??? 次回調査します。

調査の項目が多い  東淀川区の東、次に 十三 これまた大変です。


追加 2011/12/26  上の地図の問題点
1.能勢街道が一般的でないのでは、明治19年の地図では 
中島大水道を東西に渡るのではないでしょうか!
2.大坂の商人は福泉寺に一泊して中山、妙見に向かう話があるらしいそれに合しているのでしょう。
基本的に街道は遠回りはしないものとあげられていますので、福泉寺に寄る人は寄るでしょうが、これを能勢街道というのにはちょっと無理があるようだが!
3.一泊する話では 池田の「猪買い」にはでなかったかな、服部、原田神社ではちょっと近いか、  
やはり、一日で池田まで行ったのではないでしょうか! 能勢街道

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2013/03/20
東淀川区東部 Ⅰ                    2011年12月9日金曜日         
東淀川東部の探索 2―1                               2012年1月3日火曜
東淀川区の探索 2―Ⅱ                              2012年1月4日水曜日
東淀川区の探索 2―Ⅲ 後半 淡路まで         2012年1月5日木曜日
東淀川区東部探検 Ⅲ     一津屋                     2011年12月12日月曜日
東淀川区探索 Ⅳ 江口の堂                           2011年12月13日火曜日
一挙に 三千橋個! 水の流れない川・橋      2011年12月12日月曜日

2011年12月14日水曜日

「新高公園の道標」の報告書

十三の「新高公園の道標」と「本庄の渡し道標」について 関係者に手紙をお送りしました。

送り先
十三神津神社の宮司さんへ 境内の道標を紹介してもらいました。また、旧在所が十三に近い意新しい道標「新高公園の道標」について  
稲垣さんは「本庄の道標」の道標のある場所を教えてもらいました。この方も 新淀川右岸を調査・案内を行われているかたですので、考察をお願いするとともに、案内できる資料になるとおもいます。 もう一つは、以前から教わっている道標の所在が分からないので再度、地図を描いてもらいたいとお願いしました。

さっそく 電話がありました。「新高公園の道標」については、
 
公園の左側奥が 「福泉山福泉寺」です。
この道標がすべてを教えてくれます。 一つは 道標は東西に立っていた。
旧在所は それぞれの「渡し」までの距離が書かれている。が
納得はしてもらえす、「もうしばらく 考える!」との返事でした。
というのも、 大阪の商人が中山へ行くには「福泉寺に一泊してから向かう」ということらしい!

その次は、高槻街道を知っているか! 一つは、王子製紙から毎日新聞社へ紙を高槻街道を使っていた。との話と 「高槻街道と書かれている踏切がある。」
一つは 阪急電車十三駅の北側の踏切
もう一つは 「阪急電車 木川小学校の踏切」
ちょっと調べましょう。 ですが、私は「北摂の道標」ですのであまり手を出したくはありません。
ただ、先日、東淀川区東部の調査では、旧道・街道が分からないと道標の調査が出来ませんでした。 北摂に関係のある亀岡街道、勝尾寺街道、能勢街道、および支線の調査が必要と考えますし、「中島大水道」のこともありますので、もうしばらく調査します。

2011年10月26日水曜日

新高公園の道標


最近 私のブログ「十三の新高公園道標の旧在所 確定」にアクセスが多くなっています。


そこに 質問が来ました。
 
” 新高公園の道標に関する考察を拝見しました。

今津っ子さんの考察をプリントして何度か読み返して、ほぼ正しそうに思いましたが

道標の位置から本庄の渡しまでの距離が3km以上にもなってしまいますので

その点にやや疑問が生じてくるようです。

そこでtenn-tenn は距離を基準に位置を特定しようと考えられたのでしょう。

そうなると、ここで1つ、道標と福泉寺との位置関係が問題になってくると思われます。

福泉山□□□ ← この文字を確認する方法はないのでしょうか?

道標に損傷を与えないように紙を当てた上から色の付いた平らなモノでこすってみるとか

できないのでしょうか。

未知の道標文字から重要なヒントが出てくることを期待しています。

そうですか!  まだまだ説明不足です。
結論を先に 道標と福泉寺の関係は、 次のように考えます。
 福泉寺と書かれていたから近くの公園に設置した。 放置された道標があり、その立ってた位置が不明であった可能性が高い。それを福泉山と見えるので、福泉寺に関係あるものとして、福泉寺に預けるのが普通ですが、福泉寺としても、何処に立っていたかが分からないので、境内に持ち込まれなかった。しかたなく関係のある寺の近くの公園に設置したものと思われます。 
 例えば この場所にある道標だから上の理論を当てはめることが可能ですが、同じ道標が全然違う場所に設置されていたとしたら、それは当てはまらくなります。 現在設置されている場所からの推測も必要ですが、基本になるのは表示のルールと街道です。今回は同じ方向での表示については「すぐ」が主で同じ面に「右」とあるのは途中で「右」へ行きなさいというルールです。そのことは十三神津神社にある、小嶋北口道標もそれで説明できますし、新高公園の道標も同じです。
 道標は一般の人が利用するには、「すぐ」はすぐであるのが当然で、ここではこうだ、そこではそうだ と一般的でなくなります。
 もう一つは、本来道標が伝いたいこと、石の、道標の記載文字から特定すべきだとおもいます。能勢街道に一部東西の道があるとは考えにくいですが、距離、東西の道を探して道標の立っていた位置を特定しました。まだまだミステリーがあるのではないですか!

福泉山■■■ は多分 方向が書いてないので行き先ではないと思い「福泉寺」だと思います。
 文字の確認方法は レーザーで浮かび出す方法もありますが、高価でしょう。
 一般的に 「拓本」に頼ります。
 拓本の現場では、 見えにくい文字も浮かび上がります。
 拓本は色々な方がやられていますが 「アンコールワット拓本協会」があります。

さて疑問が解決していません。  街道は遠回りはしません。最短距離を取るのが普通です。
また、道標は 一般の人が利用しますので、説明が必要な物は 道標になりにくいと思います。
ここの道標の場合はこうだ、ここではこうだ! などの説明が要るものではないものだと考えます。 
 ですから、道標の表示に対して、ルール・一般的・原理的なるものがあると考えます。

そのルールを提案します。
 さて、道標はそれが立っている場所と距離に関係します。
もし、高麗橋東詰めに道標があったとするならば 江戸後期 中国道では
  「すぐ あまがさき  のせ」 となるのでしょうが!

十三の渡しでは 「すぐ あまがさき  右 のせ」と同列・同じ高さの表示になります。

 もし、十三の渡しの手前では(分岐の無いところ)表示は同じですが、 
  「すぐ あまがさき  のせ」    

 親切に表示するとチョッと違って 右・指表示 になるのではないでしょうか。 
 「すぐ あまがさき  右(☞) のせ」
 (まっすぐ 進むと 尼崎  途中で 右に折れる能勢への分岐がある。 )
 
  それが、現時点での新高公園の道標表示についての私の結論で、道標の表示に関するルールだと思います。

     
今回のような表示方法  「違う方向の地名を同じ方向で表示」に関しての例として 
 「小島村北口道標」が揚げられます。
それは 

    「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)

   この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。

 この道標をどのように解釈するかです。 どちらを主と考える場合「すぐ」が先です。

    「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」

 私も、最初この道標を 4差路に経っていたのではないかと思っていました。
 
   この表示に関しても 他の資料で このような解釈をされていたと思います。

移動されたもので、旧在所が確定した事例は
1.新高公園の道標は   中島大水道をわたる、東西の橋の袂にあった
2.江坂の道標 は 旧在所 福知山市上天津の道標   
3.上新田墓地の道標は 上新田西口の道標
4.江坂西西道標 は 下新田の失われた「下の立石」?
5.ミステリーの解明「門戸岡田町の道標」

2011年9月22日木曜日

早い 大阪市十三公園事務所  報告を忘れていました。

2011年4月18日受信
大阪市総合コールセンターをご利用いただき、ありがとうございます。
担当。4月16日にお寄せいただきましたお問合せに関する回答を次のとおりお送りいたします。
 ≪問合せ内容≫ 問合せ内容:
私は十三の道標を調べています。あるサイトを見ると 
 http://celebjuso.exblog.jp/m2007-06-01/
ここに載っている公園は何処のなんと言う公園ですか教えてください。
私のサイトはこちら
 http://www.eonet.ne.jp/~pc007/framepage13.htm


≪回答文≫ 淀川区の公園管理をしております、十三公園事務所へ確認いたしましたところ、
画像の公園は「新高公園」ということです。
場所は、「淀川区新高4丁目6番街区」にあるということです。


公園に関してご不明な点や別途ご質問などがございましたら、下記窓口へお問い合わせいただきますようお願いいたします。
 ●大阪市十三公園事務所(担当区:西淀川区・淀川区・東淀川区)
 電話:06-6309-0008/FAX:06-6885-1591
 問合せ受付時間:平日の月曜日~金曜日、9時~17時30分 
メールでのお問合せは下記URLのメール送信フォームをご利用下さい。  http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/soshiki_list.html
 今後ともご理解ご協力をいただきますよう、よろしくお願いいたします



この内容は 下記 「連絡がありました。・・・」 2011/04/14
http://katuozi.blogspot.com/2011/04/blog-post_18.html


これから 新高公園の道標 が始まります。


なぜ 早い 地方団体をあげるかというと
 仕事をその日に済ませるのが普通ですが!
いままで、遅い自治体が多かったからです。
メールで問い合わせても 無しのつぶて で電話をかけた自治体もあります。
博物館では メールを受け付けていません、
 メールを送っても遅い博物館が多いです。
 箕面市郷土資料館はすぐに対応していただけます。

 

2011年7月30日土曜日

十三の新高公園道標の旧在所 確定


 この地図は旧中津川 から 小嶋村三国へ向かいます。
 赤丸 が 能勢街道が東西に走るところです、 ありました、
 ここが「新高公園道標」の在所です。 やりました! 確定します。
 今回の計測  前回の計測とそんなに離れていないと思います。
 ここが新高公園の道標があった場所です。
中津川の右手は明治になりかけられた橋「新橋」、そのまま東に進むと 本庄の渡しから横関の渡しへ
北に上がって 三国、池田へ  4つの赤い印は 道標をあらわしています。
 右から 木川村西口道標又は小嶋村東口道標、次は 小嶋村北口道標、小嶋村西口道標 十三の渡し  とします。
マル印 は橋のようだ、この川は 「中島大水道」である、この大水道は
 この後、西へそして南へ また 「西国橋」の西へ と続く
 
 よく調べてみると 神津神社の地図に 明らかに中島大水道をわたる、東西の橋がかけえられている。  


最初の地図にもどり この道標を過ぎてからの話は
 しばらく西に向かうが野中村の手前で北に向かう、
 野中村をすぎたところで左に折れると 
  野中村 → 堀上村 → 三津屋村の南側で、中国道に合流することができる。   
  新高公園の道標 「南☜ かんざき、中山、伊丹」 に合致する。

  これで、新高公園の道標の旧在所が確定しました。 この道標も自分の元立っていた場所が理解され、さぞかし喜んでいるのではないでしょうか! 次は 伝承と保存です。 大阪市の道標の資料はない状態で
特定できたのは  道標に記載されてことで、能勢街道が東西に走っている場所があることが大きな要点になった、それと、「渡し」までの距離が記載された居たので この2点 場所を特定できる、決め手になった。 これは 道標に記載されている情報かた得たものです。



 本庄の渡しは  「今津っ子」さんの地図をご覧ください。



  「大阪市内の道標」 を揚げてみます。
  それで、他の人から質問されると思いますが
 「何故、新高公園は遠いのになんでや!」 それは 分りません。だれか知っている人は居ませんか! 例えば 神津神社の小嶋村西口道標は 尼崎で見つかったらしいです。 
 現在所と旧在所は非常に離れています。1キロメートル もう一度道標の北面を見ると、年号と 「福泉山 ■ ■ ■ 」とあり、福泉山の関係者、「講」ではないでしょうか。 多分 道の拡張とかで廃棄されたものが、新高公園の北にある「福泉寺」に関係あるものとして 持ってこられたものと思います。 その点の伝承が残っているはずですが、十三の方に頼みたいです、
  豊中にもあります。
 「疑問の道標」 
  場所は、天竺川の左堤防・長嶋住吉神社横の堤防にあります。一説によるとある 「もう一つ東側にある川・高川から持ってこられたもの」とされます。 私は、疑問の道標が反対側の能勢街道が天竺川を降りるところに立っていたのではないかとかんがえていますが、いまだ、それを証明するような資料、道標は出ていません。
これにも、願主「長島村 ■ ■」
 になっていて、そのことが重要視されたのでしょう。 この点も、十三の新高公園の道標とおなじです。
 道標は元あった場所へ、また 神津神社のように由緒を残すべきだ。
 神崎川を渡った、豊中市三国から服部までは 分岐があるのですが、道標は出ていません。

 「新高公園道標」の在所 Ⅱ

2011年7月28日木曜日

東西の道あり  能勢街道  明治18年の地図番号   

新高公園の道標は 東西方向に立てられていたが、
十三-三国間  国土地理院で確認

能勢街道は全体的に 大坂を出て北へ 南北の街道です。
十三のJR貨物線の近くに 能勢街道の「東西の道」が存在したか!
明治18年の地図 「大阪」の北西 一番端にありました。
 「能勢街道 東西の道」 細くなり、そして、再度北上します。
 間違いないな! 
 写真は取れないので 地図が来てからになります。
 新高公園の道標の旧在所が分りました。

実を言うと 今日 国土地理院へ行く羽目になったのは
この調査の為にだけではありません。 
昨日朝メールで 「明治18年の地図」の件で問い合わせ!
またもや 「早い 国土地理院の対応」 

 家に帰ると 「国土地理院から電話!」
 「明日、国土地理院に来てください。」
いやはや ビックリ 「メールの問い合わせなのに」メールでの返事と思っていました。
今日は 午後、家の用事があり、 代休を取っていましたので、
午前中に出かけました。 

用件は地図を注文しようと「明治18年の地図番号」の確認です、
  下記の番号の訂正をお願いしました。  この表があれば、遠くの人も郵便で申し込めます。  
これです、
 「自分で確認してください。」ですが、
ところが、電話の主がすでに、調べられていました。「わーすごい!」
 自分が頼んでおきながら「ありがとうございます。」
一枚500円 7枚まで送料が同じ 「どれにしようか」 ということでした。
上記の表は 数箇所訂正があります。
 これがあれば 遠くの人は 注文できますね!

 下の写真から 国土地理院の資料 1/2万地形図(仮製)一覧図 読み取りました。
 大阪湾から 憶測してください。
 赤い線の内側の地図が 大阪で見れます。

2011年7月27日水曜日

新しい事実  道標表示について 再掲

 一番南にある道標
 新高公園の道標は「勝尾寺」の表示が能勢街道でです。
   表示が同方向を示し道標として、それに回り道をする道標として
   疑問 から始まった 新高公園の道標 
   この道標は 
その1. 一般的に能勢街道は南北の道 
それで、一番多きな問題点は 能勢街道が「東西」に通っている場所が問題である。
     この点では、まだ確証が得られていない。  2011/07/28確認
その2. 「東すぐ 三国 ■■ み乃勝尾寺 乃セ」
     「南 卍 ← かんざき 伊丹 中山」    とあるので、 
 三国、み乃、勝尾寺へは神崎川の堤防まで行って、堤防を引き返す。ということだか、
 道、街道については、近道をするのが原則には当てはまらない。  疑問の1

その3. 「西面 すぐ 十三十六丁 本庄二十丁」   移築された物
 1里など「距離の換算」は時代とともに変わるが、1丁≒109.09 m で計測した。同じ時期のでそれは、問題ない。
 今回、「十三の渡し」からと、移動されているが「本庄の渡し道標」から。それそぞれの距離を測定しました。「新高公園の道標」の旧在所を測定する。そこからわかった、この道標の旧在所は
 「JR貨物線・新幹線の北側」にあった。ことが分かった。
 
その4. 同じ方向を表す道標について
 東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
 同様な道標が神津神社の道標C寛永2年(小島北口道標) と同じ表示になります。
 
 それは
   「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
   この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
   次のように解釈する。
    「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
   というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
   「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
   大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
   そのまま進むと「野中村」があり、そこで左に折れる道がある。
   野中村で 左に折れると 
  野中村 → 堀上村 → 三津屋村の南側で、中国道に合流することができる。   
   ☜ かんざき、中山、伊丹 に合致する。
  資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
  

今回の考察 
 「道標で行き先の違う場所を同じ方向を示している場合は 「すぐ」を主に考え、まっすぐ進みなさい・同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
 また、左に曲がる場合は、南面に  右に曲がる場合は 北面に 記載すると どちらでも通用する。
 基本的には 辻辻にある道標が、この道を進むと分岐があるよと今後の案内を前もって知らせるというのも面白い。

 新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
 途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。 
   これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
 能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」になっている場所あったら、
 新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。

 また、新しいことを発見しました。 何所かにこのような資料があったかな!

2011年7月19日火曜日

十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見

またまた新発見、考えました。
同じ方向にを指す、道案内に対する考察
 十三 新高公園 の道標」
 
「今津っ子」さんの調査結果
 同じ方向に 十三 十六丁  本庄 二十丁とあるので
  「十三の渡し」から十六丁 を測定する。
  神津神社 道標A
  

大きな地図で見る

 これも、能勢街道でJR貨物線の踏切を越えたあたりなります。
 
 あった場所は距離的には ここにあたると思います。

 移築されても チョット遠過ぎるようです。
 ここいらに どこかから来た道があればよいのです。 (未確認)

 「十三新高公園の道標は疑問
 1.JR貨物線・新幹線の近くのあった。
 2.東面は「すぐ」と南面は ☜ (左を指し)で行き先は全然違うが 同じ方向を示している。
 3.同じ方向にを指す道標から考えられることは、 
   同様な道標が神津神社の左端の道標C寛永2年 と同じ表示になります。 それは
   「右ハ小島村宮稲荷社、すぐハ十三、左りハ本庄道」(寛政2)
   この道標は三叉路に立っていて、「右ハ」と「すぐ」は同じ方向にを指す。
   次のように解釈する。
    「まっすぐ進むと十三の渡し 途中で右に小島村宮稲荷社があるよ!」
   というのであれば、理解できる。同様に新高公園の道標に当てはめると
   「能勢街道をまっすぐ、西進しなさい、途中で左に曲がるとかんざき、中山、伊丹ですよ」
   大きな道が存在したと思う。地図で存在します。
   もう一つ、能勢街道は全体的には南北の道だが、
   ここでは、街道が東西でなければならない。
   そのような場所があるのか! それが次の問題だ。   
 4.道があるのは、ここでは 北上すると「野中村」で左に折れる道がある。
   野中村で 左に折れると   
   ☜ かんざき、中山、伊丹 は
     堀上村 → 三津屋村を出て、中国道に合流することができる。 
   資料はありませんが、道標から、また、明治の地図から憶測で 上記の結果となります。
  
 「道標で同じ方向を示している場合は 同じ方向に進んで途中でまがりなさいよ。」ということだ。
 新高公園の道標で 道標の現在南側に書かれているのを北側に移すと☞」かんざき、中山、伊丹にはならない。 矢印は「右」蒲田 であれば成立する。まっすぐ進んで
 途中で右に折れる道を進むと、「蒲田」に行くことになる。 
   これで、「新高公園の道標」も「神津神社の道標C」の表示が理解できる。
 能勢街道が十三から、三国までの間で一時「東西」の道になっている場所
  あったら、  新高公園の道標の旧在所を特定することが出来る。

***************************************** これまでの経過
十三の公園???   何処 2011年4月16日土曜日  きっかけになった。 
                        きっかけになったサイト 
連絡がありました。          2011年4月18日月曜日  市の早い対応
見てきました。 十三の公園     2011年4月21日木曜日
十三の道標  2基          2011年4月20日水曜日  中国道の道標

***************************************** 以後 考察
    
  
十三新高公園の道標 考察 Ⅰ         2011年7月19日火曜日
十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見   2011年7月19日火曜日
道標表示について                 2011年7月27日水曜日  
東西の道あり  能勢街道            2011年7月28日木曜日
十三の新高公園道標の旧在所         2011年7月30日土曜日 
十三 神津神社の道標 地名に         2011年8月8日月曜日
新高公園の道標???  見つけた道標

十三新高公園の道標 考察 Ⅰ

新高公園の道標にいたか には
  

  本庄(本庄の渡し)まで二十丁は約2181.8メートル
この道標本庄の渡し道標から測定


大きな地図で見る

  能勢街道の JR貨物線の踏切のすぐになる。

 次は十三までは 十六丁を測る。 こちら
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十三の公園???    何処         2011年4月16日土曜日  きっかけになった。 
                             きっかけになったサイト 
連絡がありました。                 2011年4月18日月曜日  市の早い対応
見てきました。 十三の公園           2011年4月21日木曜日
十三の道標  2基                 2011年4月20日水曜日  中国道の道標
十三新高公園の道標 考察 Ⅰ         2011年7月19日火曜日
十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見   2011年7月19日火曜日
道標表示について                 2011年7月27日水曜日  
東西の道あり  能勢街道            2011年7月28日木曜日
十三の新高公園道標の旧在所         2011年7月30日土曜日 
十三 神津神社の道標 地名に         2011年8月8日月曜日
新高公園の道標???     見つけた道標

2011年4月22日金曜日

十三 新高公園の道標

見てきました。   十三の公園  Ⅱ
大きさ 南面 18.4  X 17.5 X 138 頭部 10センチ

内容については
「今津っ子」さんが調べて詳しく書かれていますので
 そちらをご覧下さい

2011/09/18 その後 表示について疑問があり、調査しました。

その過程は「新高公園の道標」をご覧下さい。

調査の結果 移築されていた。旧在所は 淀川区野中北1丁目

わざわざ自転車で公園を探し回っていただいた方
このようにWeb上で紹介された方 
大阪市コールセンターの方・公園課の方
有難うございます。

今日は、この探索のため、阪急三国から歩き始め、
中国道の道標を確認して十三への道をあるきます。

****************************** これまでの経過
十三の公園???  何処  2011年4月16日土曜日  きっかけになった。 
                  ネットで見つけた、きっかけになったサイト 
連絡がありました。          2011年4月18日月曜日  市の早い対応
見てきました。 十三の公園     2011年4月21日木曜日
十三の道標  2基          2011年4月20日水曜日  中国道の道標
 

2011年4月21日木曜日

見てきました。 十三の公園

スタート 阪急三国駅 新高公園 

大きさ 南面 18.4  X 17.5 X 138 頭部 10センチ

内容については

「今津っ子」さんが調べて詳しく書かれていますので


                            

  2011/09/18 その後 表示について疑問があり、調査しました。
  その過程は新高公園の道標」をご覧下さい。
  
  調査の結果 移築されていた。旧在所は 淀川区野中北1丁目

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::   
 わざわざ自転車で公園を探し回っていただいた方

 このようにWeb上で紹介された方 

  有難うございます。



今日は、この探索のため、阪急三国から歩き始め、

中国道の道標を確認して十三への道をあるきます。



そして、珍しい出会いが2件


四角柱 18.5 X 16.5 
庭先に2つ折れた道標を紹介されました。
またもや 新発見です。これは寺への案内でした。
年代は分かりません。 
「大恩」は高さ 38.5    
もう一つには「寺」 埋め込みを除いて 33.5  
全体の地上部分は 72センチ 

「大恩」の裏を見ると、日付の部分で「八日」とあり
 まだ上が多く書かれていたと思います。
 そこで考えと全体としては 1メートル以上あったと考えると
 これは 立派な案内板でした。
 一般にこの庭には出入りが禁止されていました。
 それで、中に入るのも大変で
 忙しい中 説明をしてもらい、そんなことで
 設置された場所を聞き出すことができませんでした。
 帰りには、別な人が「今日は良かったですね!」
 「いつもは対応してくれない。」ということでした。
 ですから、ここ以上詳しくはおつたえできません。       


計測 



中国道の 大きな道標です。

もう一つは 十三の商店街の中のお寺で 長安寺

   


「長安橋」と欄干がありました。
家に帰り「長安橋」を検索しましたが、出ませんでした。

 

墓地には これだけは古い墓でした。


線香とろうそくがありましたので 私も拝み一服しました。
ろうそく立てに「貝殻」というのが珍しい。


長くなりました、このごろ日が長くなりました。

もうすぐ 5月だと言うのに今日は寒い一日でした。

 もう一つは 商店街の中で こんな出会いがありました。




 

皿の先にあるのは アスパラです。

これ全て 100円 安いので入りました。



この店を出るとビックリ 「すいたシニア環境大学」で一緒だった「Sさん」にばったり、

久しぶりなので、どうしている。「道標の探索や!  飲もうか!」、

もう6時になっていました。Sさん「これから行くところある。」

と云うことで すぐに分かれました。



今日は珍しいことばかりです。 外を歩くといろんなことがあります。

内の奥さん今日は「シニア自然」の会合で夜出かけました。



新高公園の道標
大恩寺への道標
長安橋の欄干  

これらは見つけた道標に登録






2011年4月20日水曜日

十三の道標  2基 むかしの写真追加 15/07/19

前回 「この公園」はどこにあるのですか!   2011年4月16日土曜日 疑問
とたずねました。 その結果 新高公園であることがわかりました。
あす 天気がよければ 十三探索に出かけます。

もう一度 ネットで調べていると
十三でもうひとつ道標がありました。
シンノスケさんの「裏 十三を歩く」でした。
    http://jusojin.blog79.fc2.com/blog-entry-32.html
記載がないので出かけねばなりません。
ですが、中国道沿いですので 詳しく知れべれば どこかに載っているでしょう。
ですが、十三ですので、行ってきます。

              大阪市内は道標の宝庫
それも大きな道標・立石だ


以前の写真追加 2015/07/19
 

もう一基の道標は

  

下三番道標でした        「一枚のスケッチ画から」

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きっかけになった道標2. 
十三の公園???    何処  2011年4月16日土曜日  きっかけになった。 
ット上で見つけた道標 きっかけになったサイト 
連絡がありました。           2011年4月18日月曜日  市の早い対応
見てきました。 十三の公園           2011年4月21日木曜日
十三の道標  2基            2011年4月20日水曜日  中国道の道標
十三新高公園の道標 考察 Ⅰ         2011年7月19日火曜日
十三 新高公園の道標 考察 Ⅱ またまた発見   2011年7月19日火曜日
道標表示について                 2011年7月27日水曜日  
東西の道あり  能勢街道            2011年7月28日木曜日
十三の新高公園道標の旧在所         2011年7月30日土曜日 
十三 神津神社の道標 地名に         2011年8月8日月曜日
新高公園の道標???     見つけた道標