2014年12月27日土曜日

法隆寺村道路元標 京都・気になる石物再度訪問 本年最後の仕事かな

大正8年 1919年  各市町村に設置
現存するのは 少ない。
大阪府内で確認されているのは わずかに4基
奈良県 「法隆寺村道路元標」
京都に行った折にでもいいのですが、
分からないと気になるのと、ある人から12月末で切れる回数券使わないから、と言って 220円の回数券を貰いました。有効利用のため 再度京都へ出かけました。 
そうなると、ありがたかったですね! 背中を押してもらったようです。

以前の探索

この一枚の写真を取るため 京都へ
24.3×24.8×48 下部欠損
何処にあるかというと 京都というのがおもしろい。
奈良から京都へ なぜ!

見つけた時の様子は 見つけた前回のページを




後は、法隆寺村 現生駒郡斑鳩町への報告


奈良県で遭遇した「道路元標」

法隆寺村道路元標 現生駒郡斑鳩町

吉野村道路元標

織田村道路元標(桜井市)





の他の道路元標   まち歩きで見つけた元標

リンク 国道901号 

2014年12月26日金曜日

今年の最後を飾るか 横関村 投稿 

横関村の地図追加  2014/1/22
 神戸市立中央図書館が所蔵  貴重資料デジタルアーカイブズ
 摂津国名所旧跡細見大絵図 に横関の地名が上がっている。
      天保7年 1836年
 

方角改正五畿内掌覽 天保12年



メール
 豊中での展示会、盛況でしたね。お疲れ様でした。
さて、その後新たな資料を入手しました。

2014/12/26 着信
 慶応2年(1866) 角倉与一と木村宗右衛門が大坂奉行へ
過書船の現状を報告した文書のうち船持の名簿の中に

 青物小船組...    2艘 西成郡横関村 徳兵衛

吹田村は別グループに記載されています。
           (大阪市立大図書館所蔵文書
         「近世淀川水運史料集」 日野照正編


別項  2014/12/19着信
 大阪市史編纂所で「宝暦10年(1760)摂津国西成郡濱村明細帳」を閲覧しました。
原本なので完全には解読できませんが、次のことがわかりました。
また追加請求していた「大字南方字別見取図」も届きました。 

1)横関渡について
・ 浜村にある渡場を「横関と申す所にある」「横関渡」として記述している。
・ 渡船用 2艘 ほかに百姓尿手船 1艘
     村で渡し守に給米を払っている。
     渡場に2軒住居があった。
     年貢米を伏見まで船で運んでいた。
     北長柄村の渡し守の給米の一部も村で負担していた。
     横関渡は南方村立会いの下、設けたようです。?
  (古文書が読めない-理解できないところがあるので
     字文のふ(文納)がでてきますので、明治の字名と江戸時代の字名は同じとみられます。しかし、明治の字別見取図には字横関はない。通称なのか?
  大字南方にも横関はない。
・ 人口292人の村に他村から来た人が、75人住んでいます。

2)この村明細帳の26年後にあの横関村記載の古文書がでてきます。
 横関村の存在については、神崎川の三国渡と同様かと考えていましたが、2軒では
 村を名乗るのは無理かなと思っています。
 それとも急激に利用者が増えたのかな?

 三国渡:渡場から800m離れた豊嶋郡三屋村から菰江村に出在家(分村)し、
元々三国という地名はなかったが「三くに村」を名乗る。村明細帳にも記載。
    11軒 36人          
新編豊中市史資料集 村明細帳(下)P130


横関の名の起こりは、上村様の提起のように、「堰の横」から来ていると思います。
その堰は中津川を横断する塩害除けの堰ではなく(この堰ができたのは明治になってからだと思います)、まさに「大阪市中地區甼名改正繪圖」に描かれている、大坂市中
に中津川の水を引き込む水門のことだと思います。
 濱村側の横関の名は本庄村側の横関(渡)からそう呼ばれたのでしょう?

ありがとうございます。 吹田市を通る「横関街道」その謂れと横関村が存在した。

追加 2022/01/5
 1.摂津国名所旧跡細見大絵図 が言われていますが、同じ名前の絵図が他に2本ありますが そこには 横関村の名前は登場しなかった。 慶長10年摂津絵図
  川口村、濱村、南側の本条あるが 横関はない。カラー版も
 2.明治の地図で 中津川の北側には本条街道、横関街道の道があるので
  天満の運河は明治以降の物でなく江戸時代からあった。
 3.そのことから

  
以前のコメントはこちら 
 

2014年12月24日水曜日

 見つからない市町村   見つかった原画 福西茂氏の原画の行方

まだ見つかっていない市町村

箕面市 456点  調査記録 
展示会をS60年6月20日 開催 市民ギャラリー 
市報S60.年6月号P13より


川西市 386点    調査記録

能勢・豊能町 425点 これが豊中と同時期に開始されたと考えられている。
製作は S57.9から
寄贈予定は 新聞情報から 平成元年 11月
 

平野区 307点  平成元年から2年にかけて
展示会 平成2年 12月

  平野区からメール  

東住吉区 147点  資料から 作成は平成3年2月から

http://katuozi.blogspot.jp/search?q=%E6%9D%B1%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%8C%BA

上記の市民の皆さん 郷土をスケッチした絵を探してください。


見つかった原画
猪名川町 タキ先生から写真を送ってもらいました。
ありがとうございました。  (写真入手 1/10)
A27 帝釈院の燈籠  S62.07.10




A25 S62.07.10、  A11、61.11.12  A-3 S61.11.05 

A1 大野山山頂  柏原 S61.11.08
製作は S61ごろからS62にかけて

猪名川町 422点


解説がついているのでガイドブックになる。

以前から あった原画 豊中市
S57.7月から S58.6  297点
その後 少しずつ増やし 平成元年11月市に寄贈
 
豊中市  367点

見つかった原画
E-16 平塚邸内の道標 中州1-12 平成元年3月16日
E-17 平塚邸の燈籠 中州1-12 平成元年3月16日
E-18 平塚邸の道標 平成 中州 元年3月16日
E-19 「實 梅 園」の標石 野上1-1 平成元年7月4日
宝塚市 664点

C-1  池田城跡 S59.5.15
製作は S59年頃
展示会を S59.9.1 開催
寄贈後 平成2年10月に開催

池田市 356点  
池田市これを見つけるのに4年掛りましたね。

猪名川町 2015.1.10入手
猪名川町 422点


有名な画家が描いた絵ではありませんが
豊中では郷土史のバイブル
そのおかげで ガイドブックが作られました。

同じような史跡などをスケッチした絵ですが、
寄贈先の自治体によって、取り扱いが違うのが分かります。

まだ見つかっていない市町村

箕面市 456点  2016/4/3見つかる

川西市 386点

能勢・豊能町 425点

平野区 307点

東住吉区 147点

上記の市民の皆さん 郷土をスケッチした絵を探してください。




豊中では展示会展を開催。