もう少しわかりやすく説明を 「今津っ子さんの標本」を参考に考えます。
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2012/04//28 考察 面白い道標
立っていた位置の特定の考察
道標は遠くから存在がわかるように立っていて、近づいて行先を確認できるようになっていた。
大阪から来た人を例に考えると
大きな点は 能勢街道を主と考えられた道標である。
C点 では 南面が最初に見える、 東面の「すぐ」は近づかないとわからない。ということで
D点同様 この2点ではない。
A点では南面を見るため回り込まなけれがならないので これも 立っていた位置ではない。
全ての問題を説明できるのは点Bが立っていた位置だと考える、
東から来た人は これからの行先が わかる
北から来た人は、遠くからこの道標の存在がわかり、西面に記載が必要なことを北面に書き入れ、旅人を安心させたものと考える。
それにしても 面白い道標である。
道標は行先のあんないであるが、逆に表示から立っていた位置を特定することが出来る、
道標の立っていた位置の特定には 道路の分岐に立っていた。 移築された道標の旧在所の特定は道標自身がその存在を示すことが調査した道標の数が多くなり、特定することができるようになった。
この「新高公園の道標」のように距離の表示があるのが特定しやすい。
同様に 移築され100キロ近くも離れた吹田市で見つかった「福知山市上天津の道標」も距離が記載されていたので立ってた場所を特定できた。
また、T字路に立っている道標は大事な一方向だけの表示になっている。 その例は
上記の「福知山市上天津の道標」がある。
「江坂西西道標」もこれにあたる。
道標の一番の特徴は道の分かれ道に立っていたことです。
「旧新田小学校の道標」がそれに当たります。
最後に 方向を示す「右左」の表示がない、油かけ地蔵よこの道標、「万人講④道標」については
次のように考える。
分岐に立っていたのではない。
分岐にすでに道標があり、立てる必要がなかったものと思われる。
分岐から少し離れた場所に立っていたものと思われる。
具体的な説明
横関街道が高川で三国街道と合流し、三国街道として上新田に向う、
すぐに左に折れる道があり「石蓮寺村」に向かう分岐がある。そこにはすでに道標が建っていたので そのまますこし北上したあたりにこの「万人講④道標」は立っていたと考えられる。
この表示の修正追加1点、表示で気になることが2点
修正追加は福泉山の後は 「福泉山福泉寺」であると考える。
次に 東西南北の方位表示について2点
1.東西南北の表示で 北の表示がない点
2.東面の裏側は「西」になっていない点
方位「東西南北」の表示は北摂では珍しい道標でそんないない。
その表示で有名なのは 十三大橋の南詰に立っている常夜灯型の道標 です。
これを例に 「東西南北」の表示を解説すると
この道標の立っている方向を指し、「東」は東の方向を向いて立っているこのになる。
東面と南面は「同じ方向なのに違う行き先が表示」されていることは
以前に解説済みである。
そこで、「北面がなく」、東西で 西面が東面の裏側にあるはずであるが、「西」は北面に書かれていることです。
道標は道標の正面に立って みぎ、ひだり、すぐ と行先を示す。これが基本です。
また、この道標が立っていた道路の状況は 三叉路、十字路などに立っていた状況は表示から見て考えにくい。 この道標は 「東西の道に立っていた。」ことはお分かりできると思います。
以上の考えから 「新高公園道標が立っていた場所」を下の図のABCD地点のどれになるでしょうか!
まず、 みなさんの考えを右のアンケートに答えてください。
コメントもよかったらください。
以上の考えから 「新高公園道標が立っていた場所」を下の図のABCD地点のどれになるでしょうか!
まず、 みなさんの考えを右のアンケートに答えてください。
コメントもよかったらください。
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2012/04//28 考察 面白い道標
立っていた位置の特定の考察
道標は遠くから存在がわかるように立っていて、近づいて行先を確認できるようになっていた。
大阪から来た人を例に考えると
大きな点は 能勢街道を主と考えられた道標である。
C点 では 南面が最初に見える、 東面の「すぐ」は近づかないとわからない。ということで
D点同様 この2点ではない。
A点では南面を見るため回り込まなけれがならないので これも 立っていた位置ではない。
全ての問題を説明できるのは点Bが立っていた位置だと考える、
東から来た人は これからの行先が わかる
北から来た人は、遠くからこの道標の存在がわかり、西面に記載が必要なことを北面に書き入れ、旅人を安心させたものと考える。
それにしても 面白い道標である。
道標は行先のあんないであるが、逆に表示から立っていた位置を特定することが出来る、
道標の立っていた位置の特定には 道路の分岐に立っていた。 移築された道標の旧在所の特定は道標自身がその存在を示すことが調査した道標の数が多くなり、特定することができるようになった。
この「新高公園の道標」のように距離の表示があるのが特定しやすい。
同様に 移築され100キロ近くも離れた吹田市で見つかった「福知山市上天津の道標」も距離が記載されていたので立ってた場所を特定できた。
また、T字路に立っている道標は大事な一方向だけの表示になっている。 その例は
上記の「福知山市上天津の道標」がある。
「江坂西西道標」もこれにあたる。
道標の一番の特徴は道の分かれ道に立っていたことです。
「旧新田小学校の道標」がそれに当たります。
最後に 方向を示す「右左」の表示がない、油かけ地蔵よこの道標、「万人講④道標」については
次のように考える。
分岐に立っていたのではない。
分岐にすでに道標があり、立てる必要がなかったものと思われる。
分岐から少し離れた場所に立っていたものと思われる。
具体的な説明
横関街道が高川で三国街道と合流し、三国街道として上新田に向う、
すぐに左に折れる道があり「石蓮寺村」に向かう分岐がある。そこにはすでに道標が建っていたので そのまますこし北上したあたりにこの「万人講④道標」は立っていたと考えられる。
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