2015年2月13日金曜日

デジカメの能力 約906m







お誘い 千里丘陵の緑地帯を歩く 低山三角点と千里の展望台

お誘い 「千里丘陵の緑地帯を歩く」 低山三角点と千里の展望台

 先日、待兼山の三等三角点を見学しました。その時に思ったのが
 草木が枯れている今の時期がいいのではないか企画しました。

期日未定 1月最終の週で都合の良い日をお知らせください。
コース   豊中で一番高い島熊山(4等三角点)

2015年2月12日木曜日

大発見です「麻田道」の道標 探索 ① 旧家で見つかった石物 池田・豊中の人は一読


2/24 大阪市の親柱「筋違橋」 追加

2/19 瀧先生からメールを頂きました。
 大発見おめでとうございます。石橋の踏切(西国街道,能勢街道の交差点)か?麻田陣屋付近か?轟木村の分岐点か?

   激励のメール、ありがとうございます。


   「麻田」 初めての行先道標

今年のまち歩きは「麻田道」が人気に!!
2/19 再度 「石橋苑」へ   正面「右 麻田道」  探索
                 左面 「左 大坂道」    
                     右面 「安永三甲年三月(1774) 



大阪市立中央図書館 調査相談担当   着信 2015/02/17 19:46
【質問内容】
1.大阪市内に「たかつ橋」という橋があったか
2.大阪市内に「やきやま」とつく橋があったか 

掲載 ① 「やきやま」?親柱 の項
「やきやまはし」は見当たらなかった。

ありがとうございます。
着信19:46 でした。

999999999999999999999999999999999999 池田市
2/17 続いて、池田市から出張の為、連絡が遅れたとの話。 では、その内容は

調査、お疲れ様でした。

写真⑥  「呉服橋」の欄干は角柱であることで、「くくれはゝし」であったということでこれは「呉服橋」の物とは違う。

写真⑨ 道標 「さいの本」ではないか! 道祖本でしょう。

写真① 親柱「やきやまはし」そのような橋は話に聞いたことが無い。

 箕面市か豊中市か
一つ忘れていました。「麻田道」の道標、豊中市が喜んでいました。と

************************************ 豊中市

2/16 今回の「旧中井梅太郎邸」の調査の結果は、情報を貰った、池田市に報告しました。
永年、道標・道標とまち歩きをしていますが、久しぶりのヒットです。池田・豊中では、初めての「麻田・麻田道」の道標ですので、豊中市に直接報告をしました。 大阪市にも、大阪市内にあったと思われる親柱「すぢかひはし」についても、大阪市に報告しています。

豊中市に報告すると、2/16 夕方、豊中市広報から電話です。
 「報告、賜りました。 貴重な情報、ありがとうございます。この件につきましては、文化財保護課の方にも連絡を取ってあります。」 「そうですか!良かったです。」このように、地域に貢献する!ことで、御礼の報告を貰うと大変うれしいですね。 
 豊中市でも、「旧中井邸」に一度視察に行かれたらどうでしょうか!

 このように、市役所の職員だけでは、得られる情報には、かぎりがあります。 40万人の市民の80万の目で見た、地域の変化は、個人で知ることも大事ですが、知り得た情報は、みんなにしらせることです。最低、市役所に知らせることだと思います。

 今回、旧家の売渡の場合は売買される前に、保護課での調査が必要だと思われます。 三国の渡辺邸もそうですが! 旧中井梅太郎邸の場合も、池田市の以前の資料に載っている物が見当たりませんでした。
残念です。 

風邪で寝込んで 家でごろごろ、 調査がのびのびになっていました。
一面で文字が見えない石橋の道標が気になります、
2/5 には、資料を貰いました。 そのことを確認する必要があり、 今日は探索へ
がんこ「池田石橋苑」 食事の予約なしで、30分の待ち時間。写真撮影の了解をもらい。撮影

道標が2基 石橋近辺の地図を掲載します。  街道を色分けしました。さて西国街道は
西国街道は 黄色
能勢街道は 赤色
麻田道は 水色 
能勢街道は西国街道と交叉した後、大坂方面で、能勢街道と麻田道に分岐しているのが分かる。
「麻田道」10数年前調査していますが、初めての登場です。道標から分かります。
麻田道は能勢街道の迂回路として 新免まで続いています。

もう一つ、池田への道も、すぐに分岐しています。
別途 枝道ですが 白色

さて、今回このページの写真の内、写真⑩の道標は何処に立っていたのでしょうか!

また、下記の道標は何処に立っていたのでしょうか!
旧 中井邸にあったとされる道標に次のような記載がある。

右 畑邑箕面近道
左 池田 
この道標は、庭では見つけることが出来ませんでした。

色色出てきますが、失った物もあります。
親柱「筋違橋」大阪市内
裏 面 
  55×54   上傘の部分は、 67×67  見事な親柱


「すぢかひはし」



大阪市内の「筋違橋」 中央区高麗橋4-7-3
レプリカがあります。 大阪市のhp
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000030552.html

筋違橋と撞木橋の位置関係 - Google


掲載の「筋違橋」レプリカ 形は同じように作ってある。

2/24 行って来ました。  今回見つかった池田石橋の方が絶対良い

この親柱は 昭和3年の物

 駐車場の中に親柱 これがレプリカの元になった物ですね!
 「すぢかひはし」になっています。

2014/2/13 大阪市に問い合わせ
 この橋は大阪市にあった親柱でしょうか!
 大阪市のhpで紹介されている「筋違橋」 の親柱を見つけました。
  http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000030552.html
  レプリカで表現されているようです。
私は、実物の1対を見つけました。
 見つけた物が、「筋違橋」の物であるか、教えてください。 
 旧家で見つかった石物 http://katuozi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_12.html
 
 橋 に関して以前にも報告しましたが、返事がありません。

 別件「たかつはし」 http://katuozi.blogspot.jp/2014/10/blog-post_94.html

 「さのやばし」 http://katuozi.blogspot.jp/2014/02/212.html

 一度 ご検討をお願いします。


その他
① 「やきやま」?親柱  

お問い合わせいただきました件につきまして回答いたします。

【質問内容】
1.大阪市内に「たかつ橋」という橋があったか
2.大阪市内に「やきやま」とつく橋があったか

【回答】
1. 下記資料に、高津入堀川に「高津橋」が架かっていたことが確認できました。

『大阪の橋』松村 博/著 松籟社,1987<当館書誌ID:0000164468>
p.275-280に「高津入堀川(こうずいりぼりがわ)の橋」の項目があり、
その内、p.278 「入堀の橋数」の項に「高津入堀川には開削とほぼ同時期に
六つの橋がかけられたと思われる。道頓堀に近いところから南へ清津橋(きよつ
ばし)、吉田橋(よしだばし)、末広橋(すえひろばし)があり、川が東折して
南北方向に高津橋(たかつばし)が架かり、さらに南折して福知橋(福智橋:ふくちばし)、沖田橋(おきたばし)が架けられていた。」との記述があります。
また、p.277には、『摂州大阪地図』(文化3年)の高津入堀川附近の地図が
挿図として掲載されています。

『大阪の町名 : 大阪三郷から東西南北四区へ』
大阪町名研究会/編 清文堂,1977.9<当館書誌ID:0070049341>
p.387-p.390「高津町一~十番丁」の項の内、p.390の6-9行目に、「高津橋七番丁、今は埋め立てられ道路になっている高津入堀川にかかっていた高津橋南詰に、(後略)」との記述があります。

2.あいにくですが、上述の『大阪の橋』をはじめ当館所蔵の橋や碑に関する資料には、大阪市内に「やきやま」とつく橋があったことは確認できませんでした。

以上、回答とさせていただきます。
上記でご紹介しました資料は、ご来館予定の当日に、
下記調査相談担当までお電話いただきましたら、
お取り置きができる場合もありますので、お気軽にお問い合わせください。
大阪市立中央図書館 調査相談担当
着信 2015/02/17 19:46 でした。

すごいですね、ありがとうございます。
大阪市内には「やきやまはし」は確認できなかった。ことです。
もう一つ「筋違橋」は、レプリカと同じですのでこれが、親柱だと思います。
資料 橋
 『大阪の橋』松村 博/著 松籟社,1987
 『摂州大阪地図』(文化3年)の高津入堀川附近の地図
 『大阪の町名 : 大阪三郷から東西南北四区へ』
   大阪町名研究会/編 清文堂,1977

 その他の橋
 ☆ 「忘れられた橋」
**************************
② ???? 
「春風■和」

③ 中井梅太郎夫婦の銅像
郷土の人物 「中井梅太郎の遺した物」 

五月山「日の丸展望台

④ 天満宮の水盤 

⑤ 燈籠   
   弘化4年1847

⑥ ????? 
   これが 「呉服橋」の欄干か?

⑦ 大きな水盤 

⑧ 大きな庭石  これは「橋」

⑨ 道標  
「左 中  山」

「右 さいの本」

ある資料によると「みの本」?修正 「右 さいの本」(道祖本)




⑩ 「麻田道」の道標  
これは、これは、大発見です。  初めて見る「麻田道」 
旧在所は????   一番上の地図でお考えください。
左面「左 大坂道」 

正面  「右 麻田道」

右面 安永三甲年三月(1774 

裏面 「従作事建之」 


がんこ亭「池田石橋苑」

⑪ 布袋さん
 


街道の地図はこちら

きっかけ 「1/14 まち歩き」 まちを歩くと新しいことが

   池田で見つかった道標  2015年1月14日水曜日 「チョット覗いて見ようよ!」ということで

  初詣④ 豊中稲荷神社     2015年1月5日月曜日

   自然観察の待兼山 そこにある物は・・・・下見

探索 
  探索① 「麻田道」道標を確認            2015年2月12日木曜日  
  探索② 「麻田道」   「右 麻田道」 探索   2015年2月20日・23日
    資料   近隣の地図

その他「見つかった道標」
その他「忘れられた橋」
 
こちらの方が面白いか! 以前の調査 
   蛍池探索  麻田を探して              2011年7月8日金曜日
  円満寺探索 石物                  2011年10月17日月曜寺
   洋館 土蔵 蛍池もおもしろい      2011年10月19日水曜日  
 地名「池田市石橋」の橋を求めて    2011年10月20日木曜日
  北摂(豊中)麻田藩の財政再建       2013年11月5日火曜日
          お殿様の「御勝手」事情

 踏切探索 蛍池駅周辺   2012年4月23日月曜日




資料 街道の名称 ・ 起点・終点   28 麻田街道
    街道名は江戸時代は行先の地名で呼ばれていた。 
    街道名は明治になって付けられた。 「明治24年大阪府:地方税支弁・補助道路一覧」より抜粋

2. 国道<第三号東京より神戸港に達す路線>
    島上郡島本村大字山崎管轄界より豊島郡北豊島村大字今在家管轄界迄
6. 能勢街道 
    西成郡中津村大字下三番国道第二十六号路線より能勢郡歌垣村大字吉野管轄界迄
7.高槻街道




東区京橋三丁目国道第二号路線より島上郡盤手村大字安満国道第三号路線迄
28. 麻田街道 
    豊島郡豊中村大字新免能勢街道より同郡北豊島村大字石橋能勢街道迄
40. 亀岡街道




豊島郡細河村大字木部能勢街道より能勢郡東能勢村大字余野余野街道迄

垂水街道
豊島郡中豊島村大字長興寺より島下郡吹田村大字吹田高槻街道迄
横関街道
    西成郡北中島村大字十八条より同郡川崎村大字川崎迄
蒲田街道
 西成郡西中島村大字薬師堂高槻街道より同郡北中島村大字蒲田能勢街道迄
本庄街道




西成郡北野村大字小野国道第二十六号路線より同郡西中島村大字南方横関街道迄

????? 起点・終点を吟味してください。??? ありませんか!

2015年2月11日水曜日

続いて、亀岡街道 長柄の人柱 北摂街道を行く 39


産経新聞 2015年2月11日 北摂版

まだ、長柄 歴史ある土地柄大阪市 北摂街道を行く 38

産経新聞 2015年1月28日 北摂版
久しぶりの連載の続きです。

連絡があったので、出かけたのですが! 見つけることが出来ず、
先週も確認しましたが、見当たらず、
その間に、検索で「北摂の街道を行く」、「産経新聞」があったので、確認に行ったのですが、見つけることが出来ず。   やっと、続編を見つけました。 
蕪村の碑(毛馬)
 

これ、正面の状態と真横の表現が大きく違います。
わかるかな!

後藤又兵衛

太閤秀吉

大阪夏の陣  道明寺合戦









小松山の戦い  道明寺の戦い

案内板 道明寺 高井田遺跡 業平道 高尾山 柏原



 


 珍しい洞窟壁画・古墳 高井田遺跡
  

 
業平道 立派な案内板です。
 


   
一人探索に有効な、親切な案内板
上の案内板の内 左から2番目の案内板は、道路より少し内側に入った案内板なので
見落とす場合があるので、注意
  
高尾山 いくつもルートがあるだけ、案内板も辻辻に立っている。
高尾山頂上 三等三角点

近鉄堅下・JR柏原