2015/05/06 関の風景 今日の総歩数 20944歩
今日は、亀山市歴史博物館のポスターに誘われて、3日以来、再び亀岡へ
連続の 「
今日は鈴鹿越 亀山まで パート④」
は 次回にします。
亀山西町に道標が2基あることと、亀山で武家屋敷を通ったので
「西町問屋場」を行っていません。まずは、亀山市歴史博物館へ
バスの中で草津で同じ電車の人がいました。
この方も ポスターに誘われて、 高槻市から
博物館へ 私と同じような人がいました。
館内は写真は撮れませんので 鈴鹿峠の7曲りの絵図がありました。

このポスターです。

これは目的の道標ではありませんが、博物館前にありました。
何処の道標か説明文はありませんでした。

亀山城石坂門の石垣 が移築されています。
資料を見ていると 本「地蔵院」の中に「一休和尚」の話が載っていたので
隣の図書館で見せてもらい、3枚コピーしました。
それにしても、これから、地蔵院に行くのですが、本殿の中を見ていない。
寛政9年(1797)に発行された『東海道名所図会』には、このように書かれています。
修繕をした地蔵の開眼供養をしてほしいと考えていた村人たちが、関宿を通りかかった一休和尚に頼んだところ快く引き受けてくれました。しかし、一休和尚は「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ いでぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」と詠み、立小便をして立ち去ってしまいました。これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらいましたが、その晩、高熱を出したある村人の夢枕に地蔵が立ち、供養を元のようにせよと命じました。あわてて桑名の宿にいた一休和尚に助けを求めると、地蔵の首にかけるようにと古びた下帯を手渡され、言われたとおりにしたところ、高熱は下がったといいます。
この2基の道標 これを撮るために来ました。
左 停車場
とありますので、明治の物とおもわれる。
もう一つ 京口近くに
旧舘家住宅(枡屋)
裏には茶室が
展望台から亀山城を望む
右に見えるのが 東海道
次は ここから 桑名を目指します。
今日の目的の1つは終わりました。 これから 関に向かいます。
1時間で行けるのでは と言いましたが
ちょっと長かった。
京口橋
関の宿「玉屋」
関の地蔵院

国道からの入り口
ここから このページの最初に戻り 関駅での展望となります。
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