2014年1月18日土曜日
2014年1月16日木曜日
吹田郷土史研究会 総会
平成26年元旦
会員の皆さま
吹田郷土史研究会
会長 竹田 純立
総会・新年会の開催のご案内
記
日 時 1月17日(金) 午後1時30分~ 4時
会 場 メイシアター・レセプションホール
総 会 26年度事業計画ほか
清 興 『筝曲の宴』 『六段の調』 ほか
馬場貞子社中
参加費 1,000円 (お茶・ケーキ付)
連絡先 06-6876-1593 岩崎
年会費 郵便振替 00910-3-60294 吹田郷土史研究会
2014年1月15日水曜日
探索① 六観音・六地蔵 と 天津神社 。 六観音・六地蔵 見つからず。
吹田博物館だより NO.52 2012.12 記載そこに 六観音・六地蔵 面白いものを見つけ 探索へ
********************* 経過 結果報告
「六観音・六地蔵」 吹田市芝田町
3度目ですが、今日は念入りにと思い調べます、墓地がわからない。何度も行ったり来たり。
近所の人に聞いて「墓地が移転した。 行き先は分からない。」ということで。
結局この日は、六観音・六地蔵は見つけることができませんでしたので
あきらめて 次の目的地「天津神社」探索へ こちらの方はすぐに分かりました。 以前に探索したものですが、これが「天津神社」とは、わかりませんでした。
そのおかげで新しいことが 2基目の「石龕(がん)」
六観音・六地蔵がありませんでしたの 問い合わせは 地元の人に限る。
岸部のことは岸部の主(Yさん)へ問い合わせ すぐに返事です。
さて、お尋ねの六地蔵・六観音は、墓地移転のためJR貨物の敷地内に一時保管されています。
墓地が再開発地域にできれば、今までどうりに墓地の参道に設置される予定です。
ということです。
********************* 経過 結果報告
最初:探索① 六観音・六地蔵 と 天津神社 2014年1月15日水曜日
途中経過② 危ない!あぶない! 無縁仏に???2014年3月10日月曜日
完結編 珍しい「六観音・六地蔵」 免れる!! 2014年3月17日月曜日
よかったよかった 文化財が守られた。
2014年1月14日火曜日
その⑤ 五月山公園に道標??? 再調査 新しいことが
********************* 再再調査が必要 「五月山公園の道標」 2014/01/24
気になります。 その⑤ 五月山公園に道標があったとは ???
****** 再調査 2013/01/13
実地検証 五月山公園に於いて

城山町の道標 これが 巡礼道 家が取り壊されています。
(表面) 左 京 みのを山 かち尾寺
左面 左 中山
天保西巳
池田城山町の信号 その奥に見えるのが五月山 このように更地に。

大廣寺への参道、一度行ってみたいと思い上がっていきます。
墓地を見て、その上にある「大廣寺」の墓地は奥です。
40メートル先 左に折れる道 帰りに気付くのですが その角に案内が
梵鐘 池田市重要文化財
池田光重が「知正」と「三九朗」の菩提を弔うため寄進した物
慶長十四年(1609) 市内に残る梵鐘の中で最も古いものである。
さて池田探索 もう一つは 資料館の中庭にある石物です。
その① その③
左から 「絹延小橋」 祠は「村重の塚」 奥に五輪塔 右端に「さくらばし」
この石塔は???
ちょっと気になることがある。
ひとつ 料金所のそば??? もうひとつ スケッチによると 頭が四角錐でないこと
********************* 福西茂さんの資料から 気になります。 その⑤ 五月山公園に道標があったとは ???
右 みのを
(左側面)施主 平井村 十九郎兵衛
五月山ドライブウエイの料金所の近くに立っている。 もとは、五月山公園低区配水池の下に立っていたようである。
建立者は 大広寺の「表門七ツ時限」と刻まれた石標を建てた人と同じ人
建立者は 大広寺の「表門七ツ時限」と刻まれた石標を建てた人と同じ人
****** 再調査 2013/01/13
実地検証 五月山公園に於いて
探索しますが わかりません。 近所の老人に話を聞きますが分かりません。
その方は、「城南の道標」、巡礼道の話、なかなか詳しい方でした。 それでもわかりません。
城南の話では、写真を撮っていたので「この道標ですね!」「そうそう 今は更地になっている。」
「今日は寒いので出かけるのを止めた、昨日は 六甲山に行ってきた。」元気な方です。
最後に、「おやおや 池田の人 と思ったら、吹田の人か 遠いのに・・ ご苦労なことだ」
その方は、「城南の道標」、巡礼道の話、なかなか詳しい方でした。 それでもわかりません。
城南の話では、写真を撮っていたので「この道標ですね!」「そうそう 今は更地になっている。」
「今日は寒いので出かけるのを止めた、昨日は 六甲山に行ってきた。」元気な方です。
最後に、「おやおや 池田の人 と思ったら、吹田の人か 遠いのに・・ ご苦労なことだ」
五月山公園 遊戯風景 ここにはありませんでした。
横には動物園があり、多くの子ども連れがいました。 駐車場は長蛇の列
結局 ここには道標はありませんでした。 あーあー わざわざ来たのに
明日、池田市に問い合わせを考えていました。
帰りに 「大広寺」門前の道標の確認を
一度は通りすぎます、戻って
(裏面) 施主 平井村 十九郎兵衛
資料と頭の形状が違うように思える、再度調査が必要か???
写真を撮っている側に 五月山公園低区配水池がある。
裏面から 「五月山公園の道標は」この道標であると思う。
右の道は駐車場への道、 左側の道は私が唱えている巡礼道
これは、以前調べた、「大廣寺前の道標」です。記載を確認すると ・・・・
なーだそうか この道標を五月山公園・・・となっているのか!
五月山公園の記載に「大廣寺」があれば、思い出したかもしれない。
裏面の(施主 平井村 十九郎兵衛)は薄くで分からなかったと思います。
それでもよかったよかった ありましたありました。
正面
裏面
結局 ここには道標はありませんでした。 あーあー わざわざ来たのに
明日、池田市に問い合わせを考えていました。
帰りに 「大広寺」門前の道標の確認を
一度は通りすぎます、戻って
、「大廣寺前の道標」 ありました。 ありました。 横の案内板がいいですね!
(右面) 右 みのお道
(正面) 大廣寺(裏面) 施主 平井村 十九郎兵衛
資料と頭の形状が違うように思える、再度調査が必要か???
写真を撮っている側に 五月山公園低区配水池がある。
裏面から 「五月山公園の道標は」この道標であると思う。
ちょっと気になることがある。
ひとつ 料金所のそば???
もうひとつ スケッチによると 頭が四角錐でないこと
もう一つは 右面 を正面とすると 右面には記載はない
別の物でしょうか? 再度調査
もう一つは 右面 を正面とすると 右面には記載はない
別の物でしょうか? 再度調査
右の道は駐車場への道、 左側の道は私が唱えている巡礼道
これは、以前調べた、「大廣寺前の道標」です。記載を確認すると ・・・・
なーだそうか この道標を五月山公園・・・となっているのか!
五月山公園の記載に「大廣寺」があれば、思い出したかもしれない。
裏面の(施主 平井村 十九郎兵衛)は薄くで分からなかったと思います。
それでもよかったよかった ありましたありました。
彫が浅く、石が柔らかい。
「五月山公園の道標」とは、これのことか
これは、中山さんからの巡礼道を上がってきて、そのまま進むと「大廣寺」
間違う者が多いので、ここに「右 みのお」という道標をたてたものと報告していました。
「五月山公園の道標」とは、これのことか
これは、中山さんからの巡礼道を上がってきて、そのまま進むと「大廣寺」
間違う者が多いので、ここに「右 みのお」という道標をたてたものと報告していました。
城山町の道標 これが 巡礼道 家が取り壊されています。
(表面) 左 京 みのを山 かち尾寺
池田城山町の信号 その奥に見えるのが五月山 このように更地に。
大廣寺への参道、一度行ってみたいと思い上がっていきます。
墓地を見て、その上にある「大廣寺」の墓地は奥です。
40メートル先 左に折れる道 帰りに気付くのですが その角に案内が
右側のタイヤの後ろにある石物
「表門七ツ時限」と刻まれています。
塩増山大廣寺 梵鐘 池田市重要文化財
池田光重が「知正」と「三九朗」の菩提を弔うため寄進した物
慶長十四年(1609) 市内に残る梵鐘の中で最も古いものである。
******* 帰って再度資料を点検
大廣寺参道の石塔 B50で掲載
表門七ツ時限の標石 B51で掲載
参道横にある 「大廣寺前の道標」は記載がなかった。
*********************************
さて池田探索 もう一つは 資料館の中庭にある石物です。
その① その③
左から 「絹延小橋」 祠は「村重の塚」 奥に五輪塔 右端に「さくらばし」
これを撮りに 「さくらばし」 以前 来たときは、カメラ紛失で写真がありませんでした。
この親柱 何処のか?と資料館の人に聞きましたが分からず。
福西さんの資料で分かりました。
この親柱 何処のか?と資料館の人に聞きましたが分からず。
福西さんの資料で分かりました。
今日の探索は これで終わり
五月山公園に道標は 「大廣寺前の道標」でした。
大廣寺参道 「表門七ツ時限」の写真をアップ
大廣寺参道 「表門七ツ時限」の写真をアップ
資料館中庭にある「さくらばし」石柱アップ 「新町」にあった桜橋です。
絹延小橋 以前の調査 工事中の絹延小橋を川のたもとで見ているのでここに来たかという思いで見ていました。工事中の絹延橋の写真があるはずですが 見つけることができません。
その後、資料館前で見たので写真を
絹延小橋???? 荒木塔 資料館
絹延小橋 以前の調査 工事中の絹延小橋を川のたもとで見ているのでここに来たかという思いで見ていました。工事中の絹延橋の写真があるはずですが 見つけることができません。
その後、資料館前で見たので写真を
絹延小橋???? 荒木塔 資料館
福西茂氏 池田の遺稿入手 気になる石仏が増える
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