2011年4月7日木曜日

天満へのルート探索 Ⅰ  十三から 淀川左岸

能勢街道のルート 江戸後期
中国道から分岐して中津川にかかっていた「新橋」まで
能勢街道・新橋ルートは明治19年の地図に表記されている。
十三から行って見ます。

今日は 大阪市内探索 十三から 天神橋を目指す
1.中国道と能勢街道の分岐
2.古い能勢街道・天神橋にある道標 の2点



淀川の堤防 川上
見えてる橋の上流、対岸を目指す。



十三の渡しから この地図を頼りに

黒い道は中国道
この日は 歩き どうしても確認しておきたいことがありました。

十三大橋袂  東西南北の道標
西面 大正九年
南面 右長柄二十丁 左 伝法壱里
東面 (指右) 池田 四里  伊丹 二里半 (指左) 高麗橋一里
水防碑
「災害はわすれたころにやってくる。」


川口から8キロ


ここから 新橋のあったところを目指す。

中津二之橋 大正14年  同じような橋が上手に

分岐になるような道があるか確認しながら上流を目指す。

この鉄橋ではないか!



この道のようだ

富島神社

御神木

JR東海道線をくぐる

大淀警察暑
ここです。能勢街道は江戸の後半中国道から分かれて新橋を目指す。
中津川に橋が架けられておりました。 

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追加 2012/03/28


2011年4月6日水曜日

これは何でしょうか!  の答え


蔵の入り口にあるこれは
板をはめる溝でした。
さて、なぜこんなことが必要なのでしょうか?
この建物はコメなどを貯蔵する蔵・倉庫です。
穀物をエサとするネズミの侵入を防ぎます。
最近 ネズミを見たことありませんね!

2011年4月4日月曜日

これは何でしょうか!




最近は蔵のある家が少なくなりました。

全体が分かりませんが
その蔵で「何???」
蔵の入り口の両脇におなじようにありました。
さて、これは何でしょうか!
どのような働き・効果があるのか!

道路 元標 大阪市


大阪市道路元標 梅新の交差点

大阪市役所前に設置されていた?
大正11年から昭和28年まで
(以上 浜屋敷「加賀真佐子文庫」資料より)
江戸後期 道路元標
江戸後期、公儀橋の一つ高麗橋東詰
「大阪市の旧街道と坂道」によると
豊臣時代は大阪城の「京橋口」が京都、西国への基準であった。
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