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2012年8月28日火曜日

早い 福知山市役所 それを気付かない人がいる 迷惑メール

先日 下記のメールを福知山市に送りました。 
送付当日は ドッコイセ福知山花火大会」の日で 市の職員全員が総がかりであったはずですが
そんな中 2日後には メールを頂きました。  私 メールをチェックしていますが
「おそいな  おそいな 」と思っていました。  迷惑メールに入っていました。
大変失礼をいたしました。
 

以下 依頼のメール  15日
***************************************************************
 私、「北摂の道標」を調べています。もう一年前になりますが、吹田市江坂で
見つけた道標の旧所在について福知山市役所に問い合わせた者です。市の対応により、
福知山城郷土資料館よりご指導を頂き、調べた結果 この道標の旧在所は福知山市上天
津の175号線(旧宮津街道)と府道527号線の交わる三叉路にあったものと推
測されました。その節はいろいろお世話になりました。
 その内容は 下記のブログにて紹介させてもらいました。
http://katuozi.blogspot.jp/search/label/%E6%B0%97%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%9F%B3%E7%89%A9

 その道標に関しましてもう少し、確証を得たいので 次のようなことをお頼み
申し上げます。
なぜ 上天津の道標が約100キロ離れた大阪府吹田にあるのか疑問ですが
1.建立者 「当村願主 松原庄右衛門」者を探してもらえないか。
2.上天津あたりの江戸時代の旧村名が分かりました教えてください。
3.上天津のその他の道標 福知山市史道標編 に記載の道標以外の物
4.上天津の郷土史家を紹介していただきたい。

(右面) 文政十二年
(正面) (僧像) 右 みや津 七リ  なりあいへ  九り
(左面) 当村願主 松原庄右衛門 

よろしくお願いします。
返信メール  17日受信
**************************************************************
1 「松原庄右衛門」は不明です。
2 「上天津」の江戸時代の村名は、正保郷帳(正保4年-1647)では「天津
村」(1280石、上天津村・下天津村をあわせた村名)。慶安2年(1649)「福知
領御朱印高・浮之高・家数人之員数帳」では「下天津村」(241.635石)と記載
されていますので、江戸時代の村名は「下天津村」です。
3、4 その他の道標、郷土史家
  天津の赤井信吾先生を御紹介します。事前に照会についてはお伝えしてあり
ます。

以上、よろしくお願いいたします。

福知山市  □□□□□ より
#####################################################
9/02  延々36分間の電話  
 紹介された 赤井さんに電話  赤井さんは上天津の自治会長をなされていて、
郷土史には詳しい方でした。 私の資料が欲しいということですが
インターネットをやられるのであれば 「北摂の道標」で検索してください。
要件について概略
 上天津には道標はない。
 上天津には松原という姓はないとのこと。
 

 資料をお送りすることで電話を置きますが  その前に
「一度 福知山においで下さい。」  この言葉、前にも聞いたことがある。???

そうだ福知山城郷土資料館のカワモトサン
「一度 福知山においでください。」と
  2011/8/29 宮津へ調査に    2012/8/2 福知山訪問
 自分の郷土を愛していることでしょう  えらいな
私たちは 「一度 吹田においでくさい。」と云わねばなりません。

もう一つは 元興寺研究所の狭川真一さん
「一度は 奈良においでください」と  いわれ、奈良正倉院展へ


 
 
*************************************************************
8/28 
 もう10日も経っていて 私が返事しないのが 遅いと思っておられるでしょう
あす、担当者には 電話でお詫びをします。

 今年の夏 福知山に行きました。
 明智光秀の福知山城へ
 
 歩くとなにかが 福知山探索
 
 残り少ない 夏休みですが これを確認の為福知山に行かなければなりませんか




 

2023年8月17日木曜日

吹田の道標 街道は! 消滅した道標・・ 横関街道道標


 
昨日08/18)までの訪問者数のべ 548,627ビュー 122回 

08/17)までの訪問者数のべ 548,505ビュー 93回 

08/16)までの訪問者数のべ 548,412ビュー 21回 

消滅した道標



見つけた道標

   2. 江坂西西道標

   3. 江坂油かけ地蔵 1. 福知山の道標 
   4. 江坂油かけ地蔵 2.  万人講 4.=豊中市の道標30
   5. 六観音・六地蔵  消 滅 ➡ 無 縁 仏に

          6. 横関街道・横関記名の道標 見つかる ➡ 消失    
              ウオンティド 道標 賞金を出しましょうか!

1. 江坂の道標(イ、ロ、ハ、)  追加 万人講1基と福知山の道標

2. 江坂東の道標

3. 南町道標、 4.六地蔵道標

 A.市場池の道標 C.茨木市 宇野辺南道標

   摂津市  A.市場池の道標、 B.千里丘の道標 移築

4.六地蔵道標

5. 天童道標 現在:吹田博物館で保管

6. 山の谷愛宕社内道標

7.8. 佐井寺交番前の公園 もう一つ    佐井寺交番前の公園

9. 喜志部小路道標

10.喜志部神社鳥居前道標 

11. 山田市場道標

12. 樫切山道標

13. 山田三ツ辻道標

14. 宇野辺北道標

15. 糸田橋石柱

16.蓮光寺地蔵道標


 吹田の道標

「吹田の道標」2020年3月
吹田環境学習協会 まち組
吹田市の図書館に寄贈  



   
見つけた道標
   江坂西西道標

   江坂油かけ地蔵 1. 福知山の道標 
   江坂油かけ地蔵 2.  万人講 4.
   六観音・六地蔵  消 滅 ➡ 無 縁 仏に

        横関街道・横関記名の道標 見つかる ➡ 消失
   
         
     

2012年9月19日水曜日

コメントあり 2017/07/19 道標B 探索 福知山 上天津 赤井さん 案内板のない道標


江坂素盞雄神社 油かけ地蔵:無縁物
当村願主 松原庄右衛門
文政十二年 
(僧像)右 みや津 七リ なりやいへ 九リ 

上天津:福知山市
        現在地:吹田市江坂町 油かけ地蔵道標

 
以前の地図 赤い道はこれは昔の「丹後鉄道の路線跡」とのことでした。

さて、江坂の「なりあい」と「宮津」を同じ方向で示しているので
三叉路に立っていた物か その道中に立っていた物となる。
計測すると上の地図の国道175号線と赤い道が交わる三叉路をこの江坂の道標があったと想定した。但し、ここまでは39kmもう10里になってしまう。
 宮津の対岸にある「成相寺」から9里約36km
下天津の国道175号線と176号線の合流点が約35km
この地点付近だと考える。ただし、ここに立っていたというのは疑問視される。
個々の表示は「右 宮津  左 なりあい」となるので合流点ではない。 
下記に記載している 道標A 間にあったのかと
この道標Aの「なりあい」の案内はないし、行けるが遠回りになる。
以上2点を考え、175号線から丹後鉄道下天津駅へ曲がる道2か所あるが
どちらにしても 北側に立っていて、その一つと考えられる。

舞鶴の郷土史家安田重晴さんから頂いた地図「福知山市の道標」
今回の調査 ②、④、⑤ 元外宮まで
西は牧から 北は元外宮、南は厄除神社まで 駅が近いので
ここで降ります。「いやいや もう一度家に来てもらい、渡したいものがある。」
それが赤井さんが調査研究された
「牧」六人衆」の足跡 「牧村」誕生の謎を解く  でした。

① 左 ふくち道   右 なりあい道          下天津  見つからず

② 右 ぬかた たじま  左 ふくち山 京 大坂 上天津(正確には勅使)弘化二年
地蔵道標  右 ぬかた たじま  左 ふくち山 京 大坂 台座に弘化二年
元の場所は 旧527号線と宮津街道の合流地点にあったのが移動されているとのことでした。
なりあい、宮津からの帰り道に立っていた模様。それは 是社神社当たり
 
「是社神社」
岡井・村上氏 「顕彰碑」 是社神社の土地を寄進  寛保三年
手前の道が宮津街道、信号の下にまっすぐ伸びているのが旧国道527号線で
由良川左の堤防沿いです。
ここにあった考えられる。

「高僧像 右 みや津へ 七り  なりあいへ 九り」

現在 吹田市素盞嗚神社境内あるこの道標はここにあったものと考える。

③ 丹後 なりあい  南無阿弥陀佛  但馬ゆしま道   荒河  見つからず

④ 右 なりあいみち  南無阿弥陀佛           石本
 

ご一緒頂いた 赤井信吾氏


⑤ 右 丹後なりあい 但馬 ゆしま  右京 大坂 道   鋳物師町 文化五年九月
これは福知山でも有名な道標  以前の宮津探索で撮っていました。
この道標 正面には 右 京 大坂道
向かって右面には 右 丹後なりあい 但馬 ゆしま でした。
裏面は 確認できませんでした。
⑥ 右 たじま      左 □ゆしま                見つからず
⑦ 右 丹後 みやづ道  左 但馬 いくの道        荒河    見つからず
⑧ 左 京 大坂 ふくち山 右たんご たりま       そが井橋跡 見つからず
⑨ 右 ふくち山 道   左みやづみち □左エ門     岩井橋   
⑩ 右 京 大坂道  左丹後なりあい但馬 ゆしま  元呉服ケ角、現 惇明小学校      文化二年
 以前の写真 2011年8月28日日曜日撮影

福知山市「京口道標」 
  左 京  大阪道
  右 丹後なりあい、但馬ゆしま 道   
現在 市立惇明小学校
⑪ 左 京 大坂道                        今回は除外
⑫ (仏)右 丹後なれあい道 左 さい志う道       森垣   今回は除外

 
①~⑫ 以外の道標A

下天津に行く途中  地蔵台座に 享保十九年七月
 
読み切れません。 右がうゆりミち  真ん中の字は、これはわかりません  左 がやミち
コメント 享保十九年の台座の文字ですが、右→加うもりミち→大江町河守(こうもり)
左→加やミち→与謝野町加悦ではないでしょうか。  
地の人に聞かないとわかりません。 
道標B
 
橋にかかりました。ここは上荒河 向こうに見えるのが由良川の堤防そのよこに公園が  
それに地蔵が
 
これはしめしめ と思い近づいてみましたが 世話人の名前のみ 残念
それで 周りを見ると これこれです。
 
 
上荒河公会堂 その横に いくつかの石仏がありました。
 
碑「相寿寺跡」 
これは字が読めません。 
道標C ?  上天津から牧に行く途中 
 
右 大師堂
大師堂は前の地蔵群
 
 
水準点 牧の手前

   荒井橋北側 これが⑨なのか
地蔵道標 右ふくちや山道 左みやづみち   
 記載事項からこれが⑨のようだ。  続いて 
その他の道標 
 
 「牧六人衆」の地名「牧」の道標
これは珍しい 見事な三角の道標です。それも「石」でした。
 右が宮津街道
 
 右 京 大坂
左 丹 ご     
もう一面には 左 たじま道
 
今の国道
 
荒巻にある 右には祠が 左には地蔵群 
 
 
祠の中の様子

 さて、今回の調査は、旧在所の確認ですが、地形的に確認したものです。
「当村願主 松原庄右衛門」の確認はできませんでした。
後は地元 福知山の人にまかせるしかないな という思いです。

****************************************
「牧六人衆」 福知山市郷土史家 赤井信吾著
福知山探索
江坂の「気になる道標」

2011年8月30日火曜日

気になる道標 江坂  遠方より来たり  訂正!

2011年8月22日

これは 移築されたものですが! その距離がすごい!  
えらい物ですぞ! 「えー ー ・・・・ 」です。
今日、手紙を頂きました。 先週、高市光男先生にお尋ねした件でした。
その確認の為に 4枚の辞書のコピーが同封されていました。
早速、先生へ電話をし、お礼を申しました。ありがとうございます。 
下の道標の行き先は・・・・
 えらいことです。      宮津を調査、「ここは何処」 調査の為、掲載を遅らせました。



   気になる石物

19.5 × 11.4 × 41 センチ


みや津はあの宮津です。

「るりけいへ」 訂正 「なりあいへ」 


西国28番札所の「相成寺」です。
   現在所から考えにくい元場所です。
  えらいところの道標です。
「な」は奈良の「奈」から
 
「あ」は阿波の「阿」から

  計測してみます。
  宮津から 7里 ≒ 27.489キロメートルを測定

宮津街道を使う
 次に  9里 ≒ 35.343キロメートル  は

大きな地図で見る
このルートは 宮津街道でなく国道176号線だ!
   35.8 キロメートル たぶん合っている。
 宮津街道を使うと、 天橋立を通るルートとになり、
  成相寺まで 35.4キロメートル となり、ぴったりだ。距離的にはB地点太字だと思われる。
このB地点は 
  宮津街道(国道175号線) と 国道176号線の分岐 「下天津」(しもあまづ) (福知山市)
  これも、道標の記載からわかったことでした。「物言わぬ・・・」道標ですが、自分のあった場所を特定できます。


 国道175号線は 明石から舞鶴
 宮津街道は福知山市の「牧」で山陰道と別れて舞鶴方面へ 175号線

追伸
 資料請求 福知山城郷土資料館 0773-23-9564 資料はないが、
 その時の話で、うれしいことを言ってもらいました。 「すごいのを見つけましたね!」と。
   うれしいですね! 遠方の他市の者が見つけたのでそう言ってもらいました。
 上記のことを報告すると、個人的に道標を調べている人がいるので、後日連絡するとのこと。

問題指摘
 1.この道標 一面で、「右」 との案内なので 三叉路に立っていたのではないか!
 2.大坂からでなく、丹後街道を利用したのではないか!
 今のところ 三叉路は探しにくい。  
 資料待ちの状態だ。
  

発見 
 気になる石物 Ⅰ その②  2011年6月20日月曜日
 気になる石物  Ⅱ    2011年6月27日月曜日


調査経過

 気になる道標 江坂   2011年8月16日火曜日

 気になる道標 江坂   距離測定 調査  2011年8月19日金曜日

 福知山市郷土資料館     2011年8月26日金曜日


 ここは何所  なりあい? 調査①   2011年8月29日月曜日

 気になる道標 江坂  遠方より来たり  2011年8月30日火曜日

 丹後街道を測量  追伸 早い舞鶴市   2011年8月31日水曜日

  4回目の調査 江坂 素盞嗚尊神社           2011年9月3日土曜日

  気になる石物  旧在所確定か!               2011年9月7日水曜日

  早い 舞鶴市役所教育委員会 旧在所確定   2011年9月9日金曜日

  上天津(福知山)までの距離                         2011年9月13日火曜日


  作品募集 「なぜ ここにあるの!」               2011年9月24日土曜日

  お世話になった人に御礼を  福知山市郷土資料館 2012年8月1日水曜日

  「戻そう 福知山へ」 「元の場所へ」             2012年8月23日木曜日


  早い 福知山市役所                                        2012年8月28日火曜日

  舞鶴からの手紙                                        2012年9月6日木曜日

  福知山に戻そう 上天津 追加 福知山探索 2012年9月7日金曜日

   探索 福知山 上天津 赤井さん       2012年9月19日水曜日

      




  

2012年4月15日日曜日

新高公園の道標 旧在所詳細 考察Ⅱ 追加4/29

もう少しわかりやすく説明を 「今津っ子さんの標本」を参考に考えます。 
この表示の修正追加1点、表示で気になることが2点
修正追加は福泉山の後は 「福泉山福泉寺」であると考える。
次に 東西南北の方位表示について2点
1.東西南北の表示で 北の表示がない点
2.東面の裏側は「西」になっていない点
方位「東西南北」の表示は北摂では珍しい道標でそんないない。
その表示で有名なのは 十三大橋の南詰に立っている常夜灯型の道標 です。
これを例に 「東西南北」の表示を解説すると
この道標の立っている方向を指し、「東」は東の方向を向いて立っているこのになる。
東面と南面は「同じ方向なのに違う行き先が表示」されていることは
以前に解説済みである。

そこで、「北面がなく」、東西で 西面が東面の裏側にあるはずであるが、「西」は北面に書かれていることです。

道標は道標の正面に立って みぎ、ひだり、すぐ と行先を示す。これが基本です。
また、この道標が立っていた道路の状況は 三叉路、十字路などに立っていた状況は表示から見て考えにくい。 この道標は 「東西の道に立っていた。」ことはお分かりできると思います。
以上の考えから 「新高公園道標が立っていた場所」を下の図のABCD地点のどれになるでしょうか!
まず、 みなさんの考えを右のアンケートに答えてください。
コメントもよかったらください。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
2012/04//28 考察  面白い道標
立っていた位置の特定の考察
道標は遠くから存在がわかるように立っていて、近づいて行先を確認できるようになっていた。
大阪から来た人を例に考えると
大きな点は 能勢街道を主と考えられた道標である。
C点 では 南面が最初に見える、 東面の「すぐ」は近づかないとわからない。ということで
D点同様 この2点ではない。
A点では南面を見るため回り込まなけれがならないので これも 立っていた位置ではない。
全ての問題を説明できるのは点Bが立っていた位置だと考える、
東から来た人は これからの行先が わかる
北から来た人は、遠くからこの道標の存在がわかり、西面に記載が必要なことを北面に書き入れ、旅人を安心させたものと考える。  
それにしても 面白い道標である。

道標は行先のあんないであるが、逆に表示から立っていた位置を特定することが出来る、
道標の立っていた位置の特定には 道路の分岐に立っていた。 移築された道標の旧在所の特定は道標自身がその存在を示すことが調査した道標の数が多くなり、特定することができるようになった。
この「新高公園の道標」のように距離の表示があるのが特定しやすい。
同様に 移築され100キロ近くも離れた吹田市で見つかった「福知山市上天津の道標も距離が記載されていたので立ってた場所を特定できた。

また、T字路に立っている道標は大事な一方向だけの表示になっている。  その例は
上記の「福知山市上天津の道標がある。
「江坂西西道標」もこれにあたる。

道標の一番の特徴は道の分かれ道に立っていたことです。
「旧新田小学校の道標」がそれに当たります。  

最後に 方向を示す「右左」の表示がない、油かけ地蔵よこの道標、「万人講④道標」については 
次のように考える。
 分岐に立っていたのではない。
 分岐にすでに道標があり、立てる必要がなかったものと思われる。  
 分岐から少し離れた場所に立っていたものと思われる。
 具体的な説明
 横関街道が高川で三国街道と合流し、三国街道として上新田に向う、
 すぐに左に折れる道があり「石蓮寺村」に向かう分岐がある。そこにはすでに道標が建っていたので そのまますこし北上したあたりにこの「万人講④道標」は立っていたと考えられる。

 

2012年9月7日金曜日

吹田の道標 福知山に戻そう 上天津 追加 福知山探索

資料をもらって再度挑戦
今度の日曜日(16日) 福知山市上天津へ探索に行きます。
地元の自治会長・郷土史家 赤井さんが案内してくださるといわれ、気が楽です。 
下の写真3枚はGOOGLEで調べたらこのようなことがわかりました。
赤井さんの話を総合すると この神社(是社神社
神社 天神社ではない。ここ神社
 宮津街道と527号線​の交差点
墓でしょうか!(神社の土地を寄付した2名の碑) 上天津 527号線  神社の右手 
旧巡礼道の交差点 宮津街道との交差点 電柱の下に石仏か 
コンクリートでした。反対側のT字路に移築された地蔵道標があります。


赤井さんに依頼 今回の調査の要点
1. 旧在所の確認、 移転先の確認
2. 移転可能か、手続き
3. 下天津の道標、下天津のお寺の道標
4. その他の調査  調査範囲は地図を参照してください。
石本の道標、 三柱神社、旧街道(天津小学校の東側)、旧街道と宮津街道との交差点、
国道527号線と宮津街道との交差点、ここ神社と横にある2基の墓石、
この近辺のお寺、墓地、行けたら行きたい。

当日の行程 福知山滞在時間 約4:00  高速バスが廃止になりましたので変更
千里ニュータウン→(阪急高速バス)→福知山駅 →(北近畿タンゴ鉄道)→ 牧駅
 10:10発   →  11:54着

  南千里→(阪急電車)→宝塚→(JR)→福知山→(北近畿タンゴ鉄道)→ 牧駅
  8:40発   →   9:34着
             9:46発  → 11:33着  

             12:27発    →   12:36着
             16:31着    ←  16:22発 16:16発(下)
             17:01着       16:44発 16:41発(下)
19:57着  阪急  ← JR 17:06発

上天津の三叉路
上天津 国道175号線 宮津海道と 国道527との合流地点と
国道175号線の「牧」寄りの三叉路があり、こちらのほうが旧道であるようだ。
 江坂の道標もここにあったのであろう。
確認のためGOOGLE写真を見ると国道527号線との合流地点の
175号線の西側2基の墓?が立っている。

この地域には 「松原」姓がないことだ!
この近くのお寺を探し、お寺に問い合わせるか!墓地を探索する
自分で探しに行くことになる。
 
① お寺 福知山念法寺  ・・・・・ 修行寺のようです。
 アクセス電車:牧(京都府)駅 徒歩4分
住所京都府福知山市字牧89−1
 電話番号0773-33-2830  
その他の施設
②  石本に  三柱神社
③ 勅使に  天満宮
④ 堀     市立天津保育園の横の堀は??
⑤  墓地はどこにある。    

もう一度 福知山市に問い合わせてみよう。


2023年5月23日火曜日

「茅の輪くぐり」案内 榎坂の道標について 問い合わせがあり ④ 移築された道標 2基 ③ 吹田の道標  ② 明治44の地図  ① 横関街道

昨日(5/22までの訪問者数のべ 496,898ビュー 33

(5/21までの訪問者数のべ 496,807ビュー 58

(5/20までの訪問者数のべ 496,807ビュー 73回

蔵人稲荷神社で 本日30日のPM3から
  茅野輪くぐり があります。


榎坂 蔵人稲荷神社 「茅の輪くぐり」

蔵人稲荷神社


榎坂の道標について 問い合わせがあり


④ 見つかった道標 2基 と 福知山の道標

  江坂西西道標 と   江坂の万人講道標4

  
 この2基は一方向を示している 右 かちおじ で三叉路に立っていた可能性が大である。
 そこで、下記の 明治44年の地図では 榎坂から勝尾寺へは 三国街道で合流し、勝尾寺への 案内で この2基は 横関街道でここ高川の右岸堤防・三国街道沿い 豊中市側に立っていたものと思われる。
この2基は いろいろと話題を提供しています。第一に 左側の道標「下の立石」と考えられています。「上の立石」、「中の立石」、「下の立石」。 また、右側の道標・万人講は「豊中市の文化財 道標編」1975年 p37に NO。30に記載されているものであり、調査した人達は 豊中市民 その後、橋の改修により、2基の道標の行方がわからなくなったと思われる。  

福知山の道標の調査   

江坂 素盞嗚尊神社の油かけ地蔵 
上の「万人講」と同じく 地蔵群の中で見つける。


吹田の道標


「すいた環境学習協会 まち組」

  道標本いろいろ

②  明治44の地図 

  今昔マップで点検中 このルートを表記しました。

  まだ新道ができていない状態です。

  

     赤い南北の道 「横関街道」

  青い南北の道 「三国街道」上新田迄   高川の堤防

  黒色東西の道 「吹田街道」

  中央上の丸印は 素盞嗚尊神社 榎坂の万人講道標を見つける。

                                                                 
                                       高川・三国街道          横関街道
明治44年の地図  今昔マップ


①. 横関街道 については このブログで理解されている方です。

  横関村は存在しない。  在ったとしても 明治以降だと思われる。

  資料として 絵図がある

  

  街道の名称は 行先を表示が一般的 勝尾寺、中山寺、地名としては 岡町、茨木、吹田など

  

地図 左右 地図1,地図2
地図左(地図1)
  右の縦の道 新御堂筋、右上から左中央緑の線 名神高速
   赤色の南北「横関街道」クランクになっているのが東西「吹田街道」
   吹田街道の下の道がバス道で 府道145号線
   横関街道の左 南北の新道:熊野大阪線:府道134号線 
   横関街道は 淀川の「横関の渡し」から 新大阪・宮原・榎木の渡しで吹田へ 
   北上し、江坂・東西の吹田街道をクランクして 高川で三国街道と合流し終わる!
   三国街道は 上新田で勝尾寺街道合流し終点となる。

地図右(地図2) 左の地図の赤丸の部分を拡大したもの
   一番下の東西の道が「  街道」です。

   道標イロハの説明
    道標イ、ロは江坂西道標と説明版が設置     
    道標ハは江坂西西道標 新しく見つかった道標 旧在所・・・・
        「下の立石」
    道標2.江坂東道標

     それ以外に 見つかった道標 2011年8月17日 素戔嗚尊神社の油掛け地蔵で見つける
   万人講4