上新田村の村の中央に立つ立石は
「豊中の史跡たずね描き」には
この道標を「上の立石」として紹介してあり、
説明文の最後には下の立石のことがこのように書かれていて
昭和58.1.26スケッチ
その紹介には、「(馬頭観音像)右 かちをうし」だけで
他の面には記載がない、すなわち 道標30の後の2行の表記はされていない。
大きさは 17から20cm
(東) 左大坂
(南) 南無阿(弥陀仏)(西) 為万人(講衆中法界)
(北) 右くま(のだ)
「上新田西口道標」の 2行が同じです。
「立石」大きな道しるべとして紹介されているが、万人講大きな道標ではない。
失われた道標 30(「上の立石」)樫の木池の北東
混同して表記は
「かちをうし」、
「南無阿弥陀仏」、
「為万人講衆中法界」 と掲載されていますが、
万人講の道標は大きな道標ではないのでこれは「立石」ではない。
箕面市では 2基「万人講」と呼ばれている。
別な資料によると 表記が違う
4基の万人講道標はこちら
それから 道標がなくなりました。
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