2022年2月6日日曜日

万人講 ④の整理 同じ表記の道標が豊中市で失われた道標として紹介されている。 見つけました。

資料 「豊中市の文化財 道標編」 

  そのなかに「その他の道標」の記載があり、 27~32、

  27、こもゑ、すどふしへの道  

  28、打越池北西三又路    一度見つけたが、その後 行方不明に

  29、勝尾寺と佐井寺道との分岐  これは見つかり旧所に設置されている。

  30、樫ノ木池北東、勝尾寺と野道との三叉路。新千里北町二丁目 「上の立石」

  31、報恩寺前十字路 箕面街道と里道の十字路に存在したことが書き入られている。

            写真で見たことがあるが!? これではないの!

  32、旧在所不明断片 純正寺境内 一度写真を撮りに行きました。

    それが見当たらない。 正面「妙見」  左横「かつ」  裏 「暦七」 


今回は 30,樫ノ木池北東、勝尾寺と野道との三叉路。新千里北町二丁目

  について

 その前に 「豊中市道標 30」は江坂で見つかった「万人講④」がそれにあたる。

「上の立石」の住所は「樫の木池北東の道標」ですが、本「野の仏」に掲載されている「上の立石」ではない。 

豊中の資料には下記のように記されている。   

 この道標は 裏には記載がないが造立の趣旨をしるしている 「為万人講衆中法界
 勝尾寺街道はこの辺りでは南北にあり、「かちをうじ」が南面???   
旅人には安全祈願の「南無阿弥陀仏」の西面は見えない。 私だったら、方向の「かちうじ」を東側に設置する。勝尾寺へ参拝する人は最初に「南無阿弥陀仏」が見えて、道標がわかる。 他の資料の立石は東面を「右 かちをうじ」となっている。
 この道標 「万人講」ではないですか! ただし、所在地は「上の立石」です。
 
 この道標は大きさは記載されていないが旧住所からすると 「上の立石」となるが
上の立石の2編他の資料とは大きさが全く違った道標である。 
 「上の立石」の資料1.本「野の仏」 資料2. 
 
豊中市資料 30は記述が「万人講」であり 江坂の「万人講④」である。 
1. 「為万人講講中」だから、万人講の道標
2. 上新田の万人講道標で上新田と同じ形状である。
3. 上の立石は大きい道標であり、この道標は大きくない、立石ではない。 
4.「上の立石」には「馬頭観音像」が彫られているので、この道標にはない。
   衣装のことによりこれは「上の立石」違う! 万人講道標④ 


 表記の、文字「為万人講衆中法界」と刻んであるので他の3基の「万人講道標」と同じで
 「万人講道標・造立の趣意」であることがわかる。
 下部が破損している榎坂で見つかった万人講道標表記がこのNO。30それにあたるのではないか

上の立石の資料
 他の資料 ① 「野の仏」

次の道標を見てください。 万人講の道標が 吹田市江坂でみつかりました。
「豊中市の文化財 道標編」NO.30の道標は 
下部欠損ながら刻印からするとこの道標ではないでしょうか! 

万人講 その④ 吹田市江坂 三国街道と横関街道が交わる 高川堤防

           2011年8月17日 素戔嗚尊神社の油掛け地蔵で見つける


下部欠損  高さ 23cm × 角柱 14cm

他の3基は、大阪への道案内。この道標だけ「勝尾寺」への案内。
箕面市では 大阪に帰る道「大阪道」と言われ、万人講道標はこの「大阪道」の入り口に立っている。
この「万人講」④ は 「勝尾寺道」の入り口に立っていた。

 

「万人講道標」はこちら  ご意見をいただきたい。


https://www.google.co.jp/maps/dir/34.7683543,135.4892018/34.7985806,135.4962306/34.8326437,135.497058/34.8628532,135.4936355/@34.8093297,135.4343908,12z/data=!4m2!4m1!3e2?hl=ja

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