感染割合
累計 67,856人 約6人に一人 約5.58人に一人 計算しました。
24日感染者数 910人 感染率 0.24%一日当たり
大阪府下の累計1,730,754人 約5.07人
感染者の多い大阪市は 累計592,384人 約4.6人
東大阪市は累計92,925人 5.17人に一人
将来を担う子供 出生率低下 年間80万人
① 小学校卒
最終学歴「小卒」80万人 文科省、夜間中の設置促進
最終学歴「小卒」が80万人余 NHK
② シュツセイ 出産少子化
出生数“80万人割れ”目前…!「止まらない少子化」で危機に ...
中国の一人っ子政策による現状は
「飲水思源」???
地下ダム・二峰シュウ(土へんに川)は南台湾の宝
原住民は シカ肉やタケノコを肴に、栗から作ったどぶろくを飲んでいた。
新農場は「萬隆農場」
東洋一の烏山頭ダムを建設し、嘉南平野の100万人の農民を豊かにした
豊中市の文化財 道標編
25. 馬頭観音像を刻出したもの 上新田1-7-11 大岡正芳氏宅前
道標で「立石」とは大きな道標のことを言っている。 さて、この項で
25 の項の後半に 「上の立石」のことが次のように書かれている。
その1 これとほとんど同じ道標(33)(疑問 その2)(但し、33の項はなく30に書かれているが全く違った別の道標です。続き)が上新田小字安場(新千里東町)(疑問 その3)にあった。土地の人たちは「上の立石」と呼んでいた。ニュータウン造成前は「1メートル四方を整地して花を供えて祭っていたが、造成工事中に盗み去られた.これは読売新聞社刊『野の仏』(疑問 その4)に写真入りで掲載されている。それによると、角柱の上部に馬頭観音座像を陽刻し、下に「右 かちおし」と見える。右面には刻文は見えない。・・・」以上
その① (33) の表記は

まるっきり違う道標 旧住所 新千里北町2樫ノ木池北東 (上の立石があった場所だが)
道標の表記が違う 「野の仏」の画像を掲載しましたので確認
その② 写真 本「野の仏」上の立石 樫ノ木池北東 で安場池ではない。
もうひとつ写真
その② 豊中市立教育センター所蔵 「上の立石」の説明にも 樫ノ木池北東と 在所指定されていてここ22番だけが上の立石の在所を安場池となっている。
その2. 「33 ➡ 30 はほとんど同じ」・・・ ではない!
道標30は 万人講道標で まるっきり別の道標編には旧在所は同じだが表記が違う
旧在所は「上の立石」住所だが新千里北町
表記は「為万人講」は大きさ 14-15cm角柱で「立石」には当てはまらない。
この表記から30番の道標は「万人講」道標 上新田の西口道標(万人講)と同じ
上記の道標は 江坂の須佐能神社、油かけ地蔵の石仏群にあった「万人講」道標
別項
江坂の万人講
28.打越池北西三叉路
右 大 坂 道 世話人
左 下新田 道 大峰講中
消失
29.勝尾寺と佐井寺の分岐 方向が示されていない。(赤字)
(西面) 右 さいてじ
左 かちをじ
(東面) 右 大坂
(左面) 天明元辛丑年/南の濱尼講中 天満にある 南濱か!
さらに 豊中市最古の道標として挙げられているが、年号刻印 「天明元年」 他の面の刻印と違い 加筆されたのではないか!
上新田の東口道標は年号が入っていないが 1面に記載されていますので古い道標です。
30.樫木池北東、勝尾寺と野道との三又路 新千里2丁目
これは 「万人講」道標で 箕面市に2基あり、上新田の西口道標も同じ表記で、四角柱で大きさが14~15㎝で 本「野の仏」、教育センターの所有する写真「上の立石」は 角柱17~20cmで大きい 全く違うものである。
30番道標は江坂「素盞嗚尊神社」境内、油かけ地蔵の石造群にあった物
「箕面の道しるべ」 万人講 2020年2月2日日曜日
別件 古い道標は 別サイト
道標は初期?古いのは 一面だけに記載されているものが古いとされている。
上新田では「上新田東口道標」山田道分岐点道標と
「名号板碑道標」 長興寺2-1-16 が古いのではないでしょうか!
石造の道標ですが 初期には木造もあったと思いますが、現存していません。
木造は ペンキであれば 約50年持ちます。上新田の古い木柱は 上新田五一会 が建てたもの
道標の案内の杭は 1976年といわれています。
30番 樫の木池北東、勝尾寺街道と野道との三叉路 新千里北町2丁目
住所から「上の立石」の紹介がされています。 写真はありません。
写真で見る上新田には
次の項目
現 新千里東町、旧 新田字安場に「上の立石」があった。
文化年間(1804~17年)造立された・・・
周囲1m四方整地して土盛りされ、常に花などが供えられていた。と伝わっている。
中野博太郎氏が再建されたといわれる。

記述としての表記は
(南) かちをうし
(西) 南無阿弥陀仏
(北)
(東) 為万人講衆中法界 となっています
この30番の道標は 馬頭観音像もないので「上の立石」ではない。
その他の表記から「万人講」の道標です。
「上の立石」は 本「野の仏」「上の立石」は下記の通り
馬頭観音像 右 かちをじ
右面には 記載がない様だ!
以下「上の立石」項は
「樫の木池南東」にあったもの 上新田からここに来て
今宮を経て新家より勝尾寺を目指す、
献花が絶えない道しるべであったといわれていた。
別名 「上の立石」
馬頭観音像「右 かちをじ」
豊中市教育センター所蔵の写真より
福西茂氏 画集 より
A.13 上新田のこの道標
「上の立石」として紹介されている。
豊中市の道標編では
25 馬頭観音像を刻出したもの
「馬頭観音像 右 か 〇〇〇」
裏面 「 上 ○○〇」 と記載されている。
万人講 について
箕面市に2基
を参照 番号は記載番号
万人講道標は勝尾寺街道に4基あるうちの2基は箕面市
要点は 勝尾寺から大阪に帰る案内でその道を箕面市では「大阪道」と呼んでいる。 街道分岐の要所要所に設置されている。
万人講 ①(勝尾寺からの出口道標)
NO48. 表参道の2町石と3町石との間にある。
大阪道の入り口
道に左右に敷石がひかれています、この道が新家からの表参道
写真の手前が勝尾寺 真っ直ぐが表参道・新家へ
表参道から右側に道があります、これが「大坂道」
この道標は道から右へ5mほど下ると左手に立っています。
この後、シラミ地蔵を通って 中山の巡礼道を辿り、巡礼道と別れ
ウツギ谷下池を通り 外院を目指します。 その先は 表参道の新家の鳥居へ
万人講 ②
NO.46, 在所 西小路三町目十 現在 箕面市立歴史資料館
大坂へは勝尾寺表参道・新家から西国街道新家から西へ 今宮村から大阪への入り口(勝尾寺街道)に建つ 上新田を目指す。
万人講 ③ 豊中市の万人講
上新田西口道標 勝尾寺街道の分岐 大坂・三国街道へ
現在 吹田市江坂素戔嗚尊神社の油掛け地蔵石仏群
旧在 三国街道と横関街道が交わる 高川右岸堤防
下部欠損 高さ 23cm × 角柱 14cm
万人講の道標は 勝尾寺から大坂への案内の道標であったが
この道標だけ「勝尾寺」への案内。
大阪への案内が・・勝尾寺 入口か! 面白いと思いませんか!
この道標は何処に建っていたのでしょうか! その答えは
このページの先頭の「万人講」道標がこの道標の旧在を示しています。