検索キーワード「馬頭観音」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「馬頭観音」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2010年4月8日木曜日

馬頭観音像  写真をアップしました。12/04/11

馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)   ウィキペディアより抜粋
仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。
衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。

転輪聖王の宝馬が四方に馳駆して、これを威伏するが如く、生死の大海を跋渉して四魔を催伏する大威勢力・大精進力を表す観音であり、無明の重き障りをまさに大食の馬の如く食らい尽くすという。師子無畏観音ともいう。
 
民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。さらに、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされ、六観音としては畜生道を化益する観音とされる。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
勝尾寺への道には 「馬頭観音」が多い
  主に座像である。 他の地域では立像となっている。
     
江坂西西道標      今宮墓地の道標     高川堤防道標
    
上新田の道標       川口村の道標     東中島の道標


 ウツギ谷の道標

 他の場所の 馬頭観音
      
宮崎県国富町        JR今宮駅近く    宮崎県高岡町(2006年宮崎市と合併)

2014年6月2日月曜日

六地蔵 六観音

コメの消費量 120キロ 昭和38頃
       現在は 61.0キロ

コメ 1900年 一世帯 62、554円126キロ    2011年 27、780円 82キロ  
   コメの価格は 30%以上下がっている。  
  
パン 1990年      26,122円    2011年 28,368円

良質のパン用小麦 「ハルユタカ」北海道
ラーメン専用の小麦 「ラー麦」

加工用米  2008年 566トン  2011年 70倍 4万トン



六地蔵
 地蔵菩薩は悪世において救済活動を行う菩薩です。菩薩とは大乗仏教では仏陀となるための修行中のもののことをいい、地蔵菩薩は仏陀となることを延期して菩薩状態にとどまり、衆生の苦悩の救済を本願としました。

六地蔵とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のそれぞれにあって、衆生の苦悩を救済する地蔵菩薩のことです。その名称・形像は典籍によって異なりますが、一般には、地獄道を化す金剛願、餓鬼道を化す金剛宝、畜生道を化す金剛悲、修羅道を化す金剛幢、人間道を化す放光、天上を化す預天賀地蔵の総称とされます。日本では平安中期以来、六地蔵の信仰が盛んになり、六地蔵には、寺院・路傍・墓地などに祀(まつ)られた六体の地蔵や、あるいは地蔵堂に祀られたもの、六か所の寺院や堂に安置されるもの、また各所の地蔵尊のうちから六か所を選んだものなどがあります。


「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」の六道を行脚される地蔵菩薩の御姿を、それぞれ六体の尊像に表 したものがこの「六地蔵尊」です。お地蔵様は身近でよくお見かけする仏様ですが、実はお釈迦様が亡くなられ て(涅槃)、次の仏陀として弥勒菩薩様がこの世に降りてこられるまでの間(56億7千万年後)、六道すべてを救 う任を命ぜられたのがお地蔵様、つまり地蔵菩薩なのです。
すべての人が、悟りを開いて仏になったり、極楽浄土や天国に行けるわけではありません。生きている間の行い、 良いことや悪いことの報い、つまり「業(ごう)」に依って次の世に生まれ変わると言われています。  それが仏教の説く「六道輪廻(ろくどうりんね)」です。
 気の遠くなる程長い時間苦しみを受け続ける「地獄道」。
 常に飢え、渇き、他人を蹴落とし決して満たされない「餓鬼道」。
 弱肉強食、或いは人に使われ続ける「畜生道」。
 出会う者同士殺し続ける「修羅道」。
 そして我々の居る「人間道」。
 人間よりも優れ、寿命も非常に長いし空も飛べるが、煩悩が無いわけではない「天道」。
人が亡くなってから四十九日の間に七度裁判にかけられ、閻魔様や仏様達によって裁かれ、生前の行い、罪の 軽重、積徳の多少、遺族による法要の模様等々吟味されて行き場所を与えられるのです。
ちなみに、「地獄」と「天」とでは、救うために使う力も違うので、最も威力のある「地獄道」に対応される尊 像を上座(右側)に奉安し、後は順次左側へ向かって並んでおられます。
人は徳を重ねて生きるものですが、知らず知らずのうちに罪も重ねているかも知れません。どこへ行っても救っ ていただけるよう、手を合わせましょう。        合掌



 六観音

六道それぞれの衆生を救う6体の観音密教では、地獄道(しょう)観音餓鬼道千手観音畜生道馬頭観音修羅道十一面観音人間道准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音天道如意輪観音を配する。ろっかんのん。

2010年9月6日月曜日

馬頭観音

宮崎県での馬頭観音
国富町

大きな木と横には水神さんが

2010年7月14日水曜日

地蔵  いや 馬頭観音さま   

いつものように、祀ってある地蔵を覗くと
私は初めてです。珍しいです。馬頭観音
腕の組み方を確認していません。
JR今宮駅近くで見つけました。

2010年5月23日日曜日

江坂西西道標 Ⅱ

持ち主に聞くことができました。
お話を伺うことが出来ました。
「先代が拾ってきて、庭に祭ってあった。 観音様があるので、地蔵だと思っていたらしい。何処から持ってきたのかは詳しくは聞いていない。折れていたので家に持ち帰えったようだ。」
祀ってある写真があればいいのだか!
「息子と話していて、これは観音様でも下に文字が書いてあるので、馬頭観音で、みちしるべだ。」
家を建て替えた後は庭が狭くなったので、チャント着飾ってここに置いてあって、参っていたとのことでした。
「江坂西の道標の所に置いて欲しいと」頼まれたが断られたそうです。
奥さんは
「元のあったところに安置したい。私が生きている間は祀ることが出来るが、その後、どのような運命を辿るのか! 心配である。あの道標が安心していれる場所を探している。」 今回表に出されたのは
「道標だから、みんなに見てもらいたく表に出した。」(自費・自分の敷地内)市教委に相談され、博物館で預かってくると頼まれたそうですが、「(出所が不明の為)引き取れない。」だそうです。なお「倒れないようにコンクリートで立てて下さい。」といわれたそうです。
 さて、この道標の実際の大きさは
 19.2 X 17.0 X 64センチ 
 話を聞くのと途中で折れているようで下部欠損となっているようだ。
 本当の大きさは 高さ90~100センチで大きい物になる。すなわち「立石」と考えられる。 
奥さんは時々このように道標を参っておられます。
南向きに立ち、表示はこの面だけで、他の3面には文字らしい物は記載されていない。
彫が深く、立派な物だ

(馬頭観音像)右 かつをじ
                                        三り
 どこか 「上の立石」に似ていませんか!

 この道標は、下新田(現春日町)にあった、
 「下新田道標」=「下の立石」であるとかんがえられる。



2024年12月28日土曜日

冊子「吹田の道標」まち組 を一部修正   

冊子「吹田の道標」まち組  補足

p5.p6.江坂西西道標(ハ)

  この道標は (幅19.2cm  奥行17cmお 高さ64cm)馬頭観音像 大きな道標でがあります。表に馬頭観音像「右 かちおじ」の表示から 街道のT字路の向かいに立っていて、近くの街道に 高川の三国街道があり、横関街道が堤防で合流し、北上して下新田・上新田から勝尾寺があり、勝尾寺への出発点に立っていたものと考えられる。

 形が同じような道標が他に2つある。

  「野の仏」「上新田」「江坂西西道標」 3基 です。

  形状、馬頭観音像、を拝していることが 同じ人・人たちが建てたものと思われる。  

① 本「野の仏」の上の立石

② 豊中市立教育研究所所有 「上の立石」      

➂ 上新田 北口道標・中の立石? 

④ 江坂西西道標・下の立石  三リ

これが 立石・・「上の立石」、「中の立石」、「下の立石」

変更 p29. 14.宇野辺北道標 所在地変更
    旧住所:茨木市宇野辺1-3  
    新在所:吹田市青葉丘南1


新 江坂で見つかった道標2基  江坂神社:油かけ地蔵尊 = 万人講④
  
この道標は 吹田市では掲載を見なかった!
表記から「万人講」道標である。4例目


「豊中市の文化財 道標編」NO.30は「万人講」道標で 間違って記載
豊中市では 「上の立石」として紹介されている。
豊中市の調査上挙がっていたが、間違って場所に転記、記載されている。
立石:大きい石で 大きさが違う、
表記が 「為万人講」と評される講の方々が建てたもので
大阪の講の方々が勝尾寺への道に建てたものである。
特に箕面市では 勝尾寺からの帰りの道筋に立っているので「大阪道」と言われている。
但し、④番目に見つかった 「万人講道標」だけは
大阪への案内でなく この④道標だけが「勝尾寺」への案内になっている。


 

  江坂で見つかった道標 2基 見つけたのは 江坂神社:油かけ地蔵尊
      福知山の道標
 右 みや津 七リ なりやいへ 九リ

当村願主 松原庄右衛門
文政十二年とは1929年 天保の前 

      
一時紛失した
    線路内にあり、見つけることができず。友人に探索を頼みました。
       墓地移転のためJR貨物の敷地内に一時保管されています。のことでした
       整地された後 見に行きますが、六観音・六地蔵はなく、探索を再度頼みました。
       この観音・地蔵は無縁仏と同一に扱われていました。  

喪失を免れた 「六観音・六地蔵」 2014年3月17日月曜日gお世話になります。



街道・道標 変更がありましたらご一報ください。
ブログに掲載中  「北摂の街道・道標」 で検索  


 https://www.google.co.jp/maps/dir/%E3%80%92634-0138+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B8%82%E9%83%A1%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99%E6%9D%91%E8%B6%8A+%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E9%A7%85/%E7%89%BD%E7%89%9B%E5%AD%90%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%81%E3%80%92634-0138+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B8%82%E9%83%A1%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99%E6%9D%91%E8%B6%8A%EF%BC%91%EF%BC%93%EF%BC%91/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99%E6%9D%91%E5%B9%B3%E7%94%B0%EF%BC%95%EF%BC%93%EF%BC%98+%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%AC%E5%9C%92%E9%A4%A8/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%81%E3%80%92634-0144+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B8%82%E9%83%A1%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99%E6%9D%91%E5%B9%B3%E7%94%B0%EF%BC%94%EF%BC%94%EF%BC%94/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%A1%9A%E5%A3%81%E7%94%BB%E9%A4%A8%E3%80%81%E3%80%92634-0144+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B8%82%E9%83%A1%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99%E6%9D%91%E5%B9%B3%E7%94%B0%EF%BC%94%EF%BC%93%EF%BC%99/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E9%A7%85%E3%80%81%E3%80%92634-0138+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B8%82%E9%83%A1%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99%E6%9D%91%E8%B6%8A/@34.4646035,135.7890843,15z/data=!3m1!4b1!4m38!4m37!1m5!1m1!1s0x6006ccf8487f7529:0x7d412c0efdb3b1b8!2m2!1d135.7982639!2d34.4648966!1m5!1m1!1s0x6006ccfc4c9a770f:0xc4acff7ab16a4bf0!2m2!1d135.7924084!2d34.4664866!1m5!1m1!1s0x6006cc58a879bea3:0xe59597a2021fd6b5!2m2!1d135.8035855!2d34.4654099!1m5!1m1!1s0x6006cc5c2bab6679:0x1f4c8d95d0ed77df!2m2!1d135.806201!2d34.4623142!1m5!1m1!1s0x6006cc5e8e362c59:0x4063df3cd0db0ac3!2m2!1d135.8055848!2d34.4624455!1m5!1m1!1s0x6006ccf8487f7529:0x7d412c0efdb3b1b8!2m2!1d135.7982639!2d34.4648966!3e2?hl=ja&entry=ttu&g_ep=EgoyMDI0MTAyMy4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

上のアドレスは 


2009年6月12日金曜日

宮崎県高岡町郷土史家 首藤光幸と会見 「高岡の碑(いしぶみ)」著者

表紙は 先祖:横山勘兵衛が寄進した「金剛力士像

「高岡の碑(いしぶみ)」の著者

 
高岡町石代(こくだい)の碑の前

首藤さんとお会いするのは初めてですが、横山勘兵衛のことで高岡町支所に問い合わせたところ首藤さんを紹介され、その後、2・3回電話でお話したことがあります。
ここには4基あり、「石代の秋葉さま」
左から2番目が「秋葉さま」 現在も秋葉講があり、年二回の開催されている。
左の碑が秋葉さま
首藤光幸氏と今回お世話になった従兄弟の御主人小野多米蔵氏
右のは庚申塔です。 これは右足に虫が出ている珍しい碑です。
私が気になったのは最後に右端碑です。 珍しい3面の馬頭観音

馬の神様で馬の安全と旅の安全を願った物ですが、道標でしか見ていない観音さまです。
それとは別に、疑問に思ったことは
「年代は江戸時代ですが石が新しいように見えるのは!」 でした。
「高岡には石切り場があり、特徴として加工しやすいが石が硬くなる」といわれました。 「平和記念公園の八紘一宇にも利用されたそうです。」
「なるほど」   もう一度近くで写真を撮り確認しました。新しい!!!
一番左は「二十三夜さま」で嘉永五年の銘が入っています。
写真をクリックし、拡大してご覧ください。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
帰りに著書「高岡の碑(いしぶみ)」を頂きました。
送信者
私は差し上げる物はありません、たまたま持参していた
「高槻の道標」をお見せしましたところ、非常に感心されていました。
首藤さんは高齢ですが、現在も自転車でまわられています。
いつまでも元気でいてください。
とにかく 高岡は石碑が多い、大変な数になります。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

高岡町の先祖:横山勘兵衛
  「山の神」山之口町仲田  未収録 2012/03/13
   金剛力士像・・・・龍福寺跡
   高浜神社 ・ 宝暦七年(1757)12月 再建 平成2年母「ヨシ」常夜灯・由緒書きを寄進
   法華岳薬師寺時計を寄進)  瓜生野八幡屋根銅板の寄進 
   もさるの水神様建立   面早流の水神建立、別サイト 
   本永寺の地蔵尊 ・  カンベイが逮捕した、馬泥棒 笹原弥右衛門
            逮捕後、薩摩で処刑された笹原弥右衛門の霊の供養のため建立
   勘兵衛新田・・・飯田山口 聞き忘れていたのでしょうか?
   
   勘兵衛墓 「観音菩薩像」、「父、母の墓」 先祖の供養


2023年12月30日土曜日

80万人 豊中市の文化財 道標編 豊中市の道標 ????

感染割合 
累計 67,856人 約6人に一人    約5.58人に一人  計算しました。
24日感染者数 910人 感染率 0.24%一日当たり

大阪府下の累計1,730,754人  約5.07人

感染者の多い大阪市は 累計592,384人  約4.6人

東大阪市は累計92,925人 5.17人に一人 

将来を担う子供 出生率低下 年間80万人 

  ① 小学校卒

  最終学歴「小卒」80万人 文科省、夜間中の設置促進 

  最終学歴「小卒」が80万人余 NHK


  ② シュツセイ 出産少子化

「2022年にも出生数80万人割れ」の衝撃――政府予測より20年前倒しの少子化をくい止めるには「異次元子育て支援」が必要だ


出生数“80万人割れ”目前…!「止まらない少子化」で危機に ...

  中国の一人っ子政策による現状は

 




    その日本人たちは

鳥居信平~南台湾を今も支える地下ダムの建設者  

「飲水思源」???

  地下ダム・二峰シュウ(土へんに川)は南台湾の宝
   原住民は シカ肉やタケノコを肴に栗から作ったどぶろくを飲んでいた。
   新農場は萬隆農場
   鳥居信平 銅像  静岡県袋井市上山梨の月見の里学遊館
     


   
   東洋一の烏山頭ダム建設し、嘉南平野の100万人の農民を豊かにした




 明治天皇後藤新平新渡戸稲造八田與一磯 永吉
    12人の名前が挙がっている。




豊中市の文化財 道標編 

25. 馬頭観音像を刻出したもの 上新田1-7-11 大岡正芳氏宅前

道標で「立石」とは大きな道標のことを言っている。 さて、この項で 

25 の項の後半に 「上の立石」のことが次のように書かれている。

その1 これとほとんど同じ道標33)(疑問 その2)(但し、33の項はなく30に書かれているが全く違った別の道標です。続き)が上新田小字安場(新千里東町)(疑問 その3)にあった。土地の人たちは「上の立石」と呼んでいた。ニュータウン造成前は「1メートル四方を整地して花を供えて祭っていたが、造成工事中に盗み去られた.これは読売新聞社刊『野の仏』(疑問 その4)に写真入りで掲載されている。それによると、角柱の上部に馬頭観音座像を陽刻し、下に「右 かちおし」と見える。右面には刻文は見えない。・・・」以上

その① (33) の表記は

まるっきり違う道標 旧住所 新千里北町2樫ノ木池北東 (上の立石があった場所だが)

 道標の表記が違う  「野の仏」の画像を掲載しましたので確認

その② 写真 本「野の仏」上の立石 樫ノ木池北東 で安場池ではない。

もうひとつ写真
その② 豊中市立教育センター所蔵 「上の立石」の説明にも 樫ノ木池北東と 在所指定されていてここ22番だけが上の立石の在所を安場池となっている。    

その2. 「33 ➡ 30 はほとんど同じ」・・・ ではない!

 道標30は 万人講道標で まるっきり別の道標編には旧在所は同じだが表記が違う

旧在所は「上の立石」住所だが新千里北町

 表記は「為万人講」は大きさ 14-15cm角柱で「立石」には当てはまらない。

 この表記から30番の道標は「万人講」道標 上新田の西口道標(万人講)と同じ

 上記の道標は 江坂の須佐能神社、油かけ地蔵の石仏群にあった「万人講」道標

別項 江坂の万人講 

 

28.打越池北西三叉路

  右 大 坂 道   世話人

  左 下新田 道   大峰講中 

   消失


29.勝尾寺と佐井寺の分岐 方向が示されていない。(赤字

 (西面)  さいてじ

       かちをじ

 (東面)  大坂 

 (左面) 天明元辛丑/南の濱尼講中  天満にある 南濱か!

 さらに 豊中市最古の道標として挙げられているが、年号刻印 「天明元年」 他の面の刻印と違い 加筆されたのではないか! 

 上新田の東口道標は年号が入っていないが 1面に記載されていますので古い道標です。

30.樫木池北東、勝尾寺と野道との三又路 新千里2丁目 


 これは 「万人講」道標で 箕面市に2基あり、上新田の西口道標も同じ表記で、四角柱で大きさが14~15㎝で 本「野の仏」、教育センターの所有する写真「上の立石」は 角柱17~20cmで大きい 全く違うものである。

 30番道標は江坂「素盞嗚尊神社」境内、油かけ地蔵の石造群にあった物  

「またもや発見 ここよ!ここよ!と呼んでいる。」2011年8月17日水曜日

 「箕面の道しるべ」 万人講 2020年2月2日日曜日


別件 古い道標は 別サイト

 道標は初期?古いのは 一面だけに記載されているものが古いとされている。

 上新田では「上新田東口道標」山田道分岐点道標と

 「名号板碑道標」 長興寺2-1-16 が古いのではないでしょうか!

 石造の道標ですが 初期には木造もあったと思いますが、現存していません。

 木造は ペンキであれば 約50年持ちます。上新田の古い木柱は 上新田五一会 が建てたもの 

「写真でみる 上新田」  五一会 昭和53年1978 

 道標の案内の杭は 1976年といわれています。






30番 樫の木池北東、勝尾寺街道と野道との三叉路  新千里北町2丁目
   住所から「上の立石」の紹介がされています。 写真はありません。

写真で見る上新田には 
次の項目
 現 新千里東町、旧 新田字安場に「上の立石」があった。
 文化年間(1804~17年)造立された・・・
 周囲1m四方整地して土盛りされ、常に花などが供えられていた。と伝わっている。
 中野博太郎氏が再建されたといわれる。  

   
記述としての表記は
(南) かちをうし
(西) 南無阿弥陀仏
(北) 
(東) 為万人講衆中法界   となっています

   この30番の道標は 馬頭観音像もないので「上の立石」ではない。
  その他の表記から「万人講」の道標です。

「上の立石」は 本「野の仏」「上の立石」は下記の通り
  
馬頭観音像 右 かちをじ
右面には 記載がない様だ!
以下「上の立石」項は
「樫の木池南東」にあったもの 上新田からここに来て
 今宮を経て新家より勝尾寺を目指す、
 献花が絶えない道しるべであったといわれていた。
 別名 「上の立石」
   馬頭観音像「右 かちをじ」 

 豊中市教育センター所蔵の写真より


福西茂氏 画集 より
A.13 上新田のこの道標
「上の立石」として紹介されている。

豊中市の道標編では
25 馬頭観音像を刻出したもの
「馬頭観音像 右 か 〇〇〇」
裏面 「   上 ○○〇」 と記載されている。



万人講 について
箕面市に2基 
「箕面の道しるべ」箕面市教育委員会 平成三年十二月二十日
 を参照 番号は記載番号 
 万人講道標は勝尾寺街道に4基あるうちの2基は箕面市
要点は 勝尾寺から大阪に帰る案内でその道を箕面市では「大阪道」と呼んでいる。   街道分岐の要所要所に設置されている。

万人講 ①(勝尾寺からの出口道標)
NO48. 表参道の2町石と3町石との間にある。 
    大阪道の入り口        
道に左右に敷石がひかれています、この道が新家からの表参道 
    写真の手前が勝尾寺 真っ直ぐが表参道・新家へ
    表参道から右側に道があります、これが「大坂道」
    この道標は道から右へ5mほど下ると左手に立っています。
    この後、シラミ地蔵を通って 中山の巡礼道を辿り、巡礼道と別れ
    ウツギ谷下池を通り 外院を目指します。 その先は 表参道の新家の鳥居へ


万人講 ②
NO.46, 在所 西小路三町目十    現在 箕面市立歴史資料館
  大坂へは勝尾寺表参道・新家から西国街道新家から西へ 今宮村から大阪への入り口(勝尾寺街道)に建つ  上新田を目指す。
 


 
万人講 ③  豊中市の万人講
  上新田西口道標 勝尾寺街道の分岐 大坂・三国街道へ
   現在 吹田市江坂素戔嗚尊神社の油掛け地蔵石仏群
   旧在 三国街道と横関街道が交わる 高川右岸堤防 

下部欠損  高さ 23cm × 角柱 14cm

万人講の道標は 勝尾寺から大坂への案内の道標であったが
この道標だけ「勝尾寺」への案内。
大阪への案内が・・勝尾寺 入口か! 面白いと思いませんか! 
この道標は何処に建っていたのでしょうか!   その答えは
このページの先頭の「万人講」道標がこの道標の旧在を示しています。