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2023年1月26日木曜日

謎解き もう一つの探し物  江坂 道標は 何処にあったか! 謎解き 道標街道

         もう一つの探し物 

      豊中市 浅井善之助頌徳碑 後ろに歩道橋がある。現在撤去

探しています。
探し求めました。  2023年2月2日木曜日
 

明治44年の地図

榎木・神崎川
その上・北への道が「横関街道」・高川で三国街道と合流
小曽根村の右側 三国街道・高川

赤色 三国街道・高川 緑色 横関街道  青色 吹田街道
現在の道は 横関街道と三国街道・高川間に新道が作られている。

江坂で見つかった旧在所のわからない道標について 考察
その① 江坂西西道標

旧在所を特定されていない。
この面だけ刻まれていて、他の面に記載はない。
三叉路に立っていたものと考えられる。 上の古い地図をご覧ください。
このあたりの三叉路とは 高川の右岸を走る「三国街道」 そこに合流する「横関街道」点が
三叉路になります。上の地図で確認 


豊中で「上の立石」となるものがあり、それと大きさ 文字が似ている。

下写真2枚は 「上の立石」
 

左 本「野の仏」大阪読売新聞   右 豊中教育センター所蔵
          昭和42年発行
同じものを 撮影時期が異なります。
もう一つ 
上新田の道標・・ 中の立石!
この2つ 似ていませんか!
それに江坂の西西道標も同じ人が作ったものと思われる。
これが立っていた場所は!???
高川堤防 の三国街道との交差点

その② 次に 江坂でもう一つ 油かけ地蔵の横の石仏群の中で見つけた道標
先ずは、豊中市の文化財 道標編 30番 p37に記載されている。
下部欠損しているが、30番の物と同一視できる。
次に、 上記のように 左右の行先がない。
三叉路か 勝尾寺街道筋に建てられたものと考えられる。

この2基は何処にあったものでしょうか!
それで、最初に 明治の地図を上げましたので お考え下さい。
投稿をお待ちしています。


豊中市 この碑は何処へ   
  豊中市立第二中学校を下り 箕面豊中線 に出たところに 歩道橋があり、その下に
  2基の碑 があったのだが、現在 歩道橋は撤去されている。
  2基の碑の行方を捜しています。  写真はありません。
  調査報告「その① 消えた石碑調査」2023年2月2日木曜日
 
  東中島の道標 を探しています。

2023/02/22 他のブログで 道標を探されています。

【茨木】あの古い道標はどこへ⁉︎
上のサイトから 写真を複写

  • 茨木市本町6-5付近  寿屋餅店近くです
2021年8月末には、道標は無くなっていました!
『右、京、八幡、三嶋江唐崎?、富田、高槻?』

2017年10月22日日曜日

砂洲列 尼崎市 猪名川の氾濫

2017年西国街道リレートーク 9月9日
今城塚古代歴史館於いて

尼崎市の講演
尼崎市の展示資料から  「砂洲列」の存在を
吹田にもあるぞ!
第一列 紀元前後
第二列 三,四世紀
第三列 10世紀前後
第四列 12世紀以前
海抜に換算

2013年1月1日火曜日

賛同をお願いします。 「元の場所へ」Ⅱ

みなさま
 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。
 皆様にとって本年もよい年でありますように

2013年 元旦     
       
     「世の為 人の為」いきいき人生 奥井正光氏
        
 吹田市桃山台1-1-2-406
     上村 和功

高僧像 右 みやづ 七り  なりあいへ 九り
宮津街道    

距離からこの道標を元あった場所・福知山市上天津 の三叉路です。
もう一つの道標は 同じ江坂にある「江坂西西道標」である。

今までの経過は  ということです。
元の移置 下新田村現春日町にあったものと推定される。が

疑問が生じます。  見事な道標で三叉路に立っていたが
1.千里山から下新田に降りてくる道は 幹線ではない。
2.幹線の道は ここらでは 三国街道と横関街道です。 
3.立派な道標です。最重要視されるのは、大きな道 
 横関街道が三国街道と合流する地点 が有力だ。
4.但し 資料としては「下の立石」下新田にあったという言い伝えである。
    しかしながら 下新田の郷土史 及び下新田の人たちには記憶がない。・・・・・
    そんなことがあるのだろうか!









2011年10月23日日曜日

江坂西西道標 「博物館だより」に掲載

江坂周辺の文化財

これは 「博物館便り」の江坂周辺ガイドの中に
江坂西西道標が写真で紹介されています。
6. 江坂西道標の 左側の赤丸印 


この道標は
「吹田郷土史論文コンクール」に投稿したものです。 



2010年11月2日火曜日

久し振りの探索

お世話になった人々に報告を!
春日町から江坂へ
そうそう上新田西口の道標は地域の人にはわかりやすくするには、
「旧新田小学校北東角」道標と言った方が理解が早い
 昭和28年まで春日町の子供は「新田小学校」に通っていましたので、

右くまのだ  左おおさか
と言ったらわかりやすい


2010年7月15日木曜日

吹田の道標調査

大雨・暴風雨警報が発令になり、今日の予定は中止
レポートを作成し、今日は車で出かける予定を立てました。
午前中にレポートを完成の予定が2時に、 それから出かけます。

調査2件
① 藤ヶ丘町の有るお宅にある道標
同じ人が建てた道標が箕面市と吹田市にあります。
願主 筑前国博多  六十六部善五郎

吹田の資料と箕面市の資料を印刷して訪問しました。
正確な住所は分かりませんので、お宅を探すことからです。

上手いこと道を選びましたので、10分ほどで見つけることが出来ました。
ところが 住人は不在でした。
連絡先と資料をポストに入れ帰宅。

② 春日町(旧下新田村)に有った道標 と
「表彰記念」(昭和十一年二月  青年会建立)

いつもお世話になります。山口酒店です。
いつものようにたばこ・飴を買って、
久しぶりの春日町です。
「何か情報がありませんか。」「・・・・・」 
収穫無し
キド ヘヤーサロンにより話を聞きます。こちらも同じでした。

今の状況を江坂の奥さんに連絡しなければなりません。

2010年6月15日火曜日

今日も下新田にあったとされる道標の調査

今日は上の立石と比較  江坂西西道標

同じような角度で撮りました。どうでしょうか
上部左側の割れ方が似ていますので検証を
違うようです。 上の立石には三リは有りませんでした。
その他、
馬頭観音像では、上の立石が広い
「右」の字は 上の立石が右側がよりすぎている
「か」の寺は 上の立石の点が長い・・・・

表記が似ているが、やはり、これは「上の立石」と同一物ではない。
ただ、同じ様な時代である、同じ人が立てたのではないだろうか!

今日も探索 春日町 Ⅱ

土・日を利用して 春日町探索 「ビラ配り」
捜し物のビラを作成しました。

wanted
   
困っています・探し物・情報をお寄せください。
          依頼者 点と点 
          豊中市立第十三中学校 06-6843-7061      
          自   宅 ファックス 06-6876-5859
          メールアドレス fkyws889☆ybb.ne.jp
                ☆を@に変えて送信してください


下新田村(現春日町)にあった道標について
 道標に書かれた文字、立ってた位置、また、
上新田・豊中に通じる道・街道について些細なことでも結構です。 また
調べる方法についてでも結構です。  情報を待っています。




ビラを作り、
春日地区で旧家を見つけては、配布しました。



その成果
西照寺の住職さんから電話がありました。
村のことは、何でも知っていらしゃるご様子。
千里山から春日には、旧JAの横に出てくる道があった。
豊中へは、少し上がって、床屋の前を左に登っていき、熊野田に出るが
今は廃道なっている。
「そこに道標があったとは知らない。」ということでした。
今後、そのような話があったら、知らせてほしいと、約30分話して、電話を終えました。
一つ収穫です。

第2弾の対策を考えないといけません。

2010年6月12日土曜日

今日も探索 春日町

6月11日 春日町の道標について調査
 お願いのビラを持って、理髪店へ 「道標を探している!」
「それかどうか知らないが、ここに 折れた碑がある。」と紹介されたのがこれです。
表彰記念  昭和十一年二月  青年会建立
何の表彰なのでしょうか?
春日町の理髪店の御主人から教えていただきました。
10年ほど前からここで店を開いている。
折れた元の位置
あの、大きなマンションには「樋口家」という大きな家があった。
その写真はないのでしょうかね!
いろいろお話を頂きました。
 
***********************

2010年6月10日木曜日

調査 吹田市春日町

6月6日(日)ちょっとの時間ですが下新田の探索へ
阪急千里山駅から歩きます。  右角がポリボックス、通りを真っすく上がります。
ロータリーがあります。 きれいですね!
最初は花壇だけだったらしい。 
千里山の歴史、ちさとの歴史
千里がよくわかる  千里山のサイト
坂をさらに登り、頂上から下ると春日町・服部緑地になります。
新御堂筋の手前の左側には、ゴルフ練習場がありました。今はマンションです。
千里山竹園町の変わった建築物で「賞」を貰った「千里山ロイヤルマンション」の前の道を右に上がります。この道が旧道とのこと、
豊中高校に行く学生はこの道を使い、春日町で三国街道と合流し、少し上新田の方に進み左に折れ
熊野田を通って行ったそうです。熊野田への道は、通られないのではという話です。
尾根を下ると、左に新御堂筋が見えます。右手に後谷新池
春日町の風景
    
地の人から聞いた春日町「唯一の地蔵」さん
色が落ちている額がありました。 
時間になりましたので、今日はこれまで、
今日出会った人、おばあちゃん2人が立ち話、自治会長さん、
以前、町内歴史を紹介された編集局長さん、地蔵さんのところに案内して下さった人
そして何時も顔を出す「たばこ屋さん」

新事実です、「千里山から来た道の向かいに道標があった。」
一歩前進  次回はビラを配ろうと思います。

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追加 2012/04/24

2010年5月27日木曜日

江坂西西道標 距離測定 小野原街道ルート

小野原西は宅地造成が行われ、箕面市内の斜めの道が描かれないが
この区間は吹田との境から北西の方向斜めに進み、小野原宮崎自治会館で西国街道に到達するが、
一応の目安として、新家から2里=7.84キロの距離を測ってみる。
公園に設置されました。
小野原から「山田 ・ 上新田」の道標


大きな地図で見る

Googleマップで測定
 山田地区は旧山田村の中を歩く。 亀岡街道との分岐、市場まで7.2キロ
 2里としてはちょっと短い。
 一本道沿いにある道標と考えられるので
 市場を通り越してしまうので、ここらの道標ではない。
 
 1里は約3.92キロ
 2里は約7.84キロ
  新家から勝尾寺までは 36町は1里です。

三里の距離
 1.熊野田道ルート
 2.三国街道ルート
 3.小野原街道ルート


徒歩ルートの表示は Beta 版です。
注意 – このルートには歩道のない道が含まれている可能性があります。

府道1号線への徒歩ルート
7.2 km – 約 1時間26分
経由地点: 府道120号線 - 経由地を削除
その他のルート

西国街道
1. 西国街道 を東に進む 850 m
2. 府道120号線 を右折する 3.0 km
3. 万博公園西(交差点)で府道119号線へ進む 650 m
4. 府道2号線を進む 89 m
5. 斜め左に折れる 1.2 km
6. 左折する 34 m
7. 斜め右に折れて 府道1号線 に向かう 500 m
8. 左折して 府道1号線 に向かう 61 m
9. 府道1号線 を右折する 950 m

府道1号線

2010年5月24日月曜日

江坂西西道標 Ⅳ 三里距離

新家より二里を三国街道・下新田でとってみました。


新家からの距離二里

ルートは下新田方向  7.8キロ

指定の地点への徒歩ルート
7.8 km – 約 1時間34分
経由地点: 西国街道 - 経由地を削除
その他のルート

新家から 西国街道

1. 西国街道 を西に進む 950 m
2. 左折する 120 m
3. 右折する 130 m
4. 左折する 83 m
5. 右折して 府道121号線 に向かう 300 m
6. 左折して 府道121号線 に向かう 20 m
7. 右折して 府道121号線 に向かう 260 m
8. 府道121号線 を右折する 160 m
9. 左折してそのまま 府道121号線 を進む 2.2 km
10. 右側の出口を出る 180 m
11. 左折する 500 m
12. 右折する 290 m

5.2 km – 約 1時間3分
指定の地点

13. 南西に進む 400 m

400 m – 約 5分
指定の地点

14. 南東に進む 230 m
15. 右折する 95 m
16. 左折する 450 m
17. 桃山台駅東(交差点) を右折する 42 m
18. 桃山台駅西(交差点) を左折する 600 m
19. 右折する 19 m
20. 左折する 500 m

1.9 km – 約 23分
大阪府吹田市春日

21. 南東に進む 170 m

170 m – 約 2分
指定の地点

22. 南西に進む 79 m

79 m – 約 54秒
指定の地点


地図データ ©2010 ZENRIN

2010年5月23日日曜日

江坂西西道標  すごい発見になりました。

捜し求めていたものです。
江坂西西道標は
「下新田の立石」です。 ➡ 場所は 横関街道が高川で合流する点



(馬頭観音像)
「右 かちをじ  3り」  
年号不明  
2009年6月6日再撮影

江坂西西道標 Ⅱ

持ち主に聞くことができました。
お話を伺うことが出来ました。
「先代が拾ってきて、庭に祭ってあった。 観音様があるので、地蔵だと思っていたらしい。何処から持ってきたのかは詳しくは聞いていない。折れていたので家に持ち帰えったようだ。」
祀ってある写真があればいいのだか!
「息子と話していて、これは観音様でも下に文字が書いてあるので、馬頭観音で、みちしるべだ。」
家を建て替えた後は庭が狭くなったので、チャント着飾ってここに置いてあって、参っていたとのことでした。
「江坂西の道標の所に置いて欲しいと」頼まれたが断られたそうです。
奥さんは
「元のあったところに安置したい。私が生きている間は祀ることが出来るが、その後、どのような運命を辿るのか! 心配である。あの道標が安心していれる場所を探している。」 今回表に出されたのは
「道標だから、みんなに見てもらいたく表に出した。」(自費・自分の敷地内)市教委に相談され、博物館で預かってくると頼まれたそうですが、「(出所が不明の為)引き取れない。」だそうです。なお「倒れないようにコンクリートで立てて下さい。」といわれたそうです。
 さて、この道標の実際の大きさは
 19.2 X 17.0 X 64センチ 
 話を聞くのと途中で折れているようで下部欠損となっているようだ。
 本当の大きさは 高さ90~100センチで大きい物になる。すなわち「立石」と考えられる。 
奥さんは時々このように道標を参っておられます。
南向きに立ち、表示はこの面だけで、他の3面には文字らしい物は記載されていない。
彫が深く、立派な物だ

(馬頭観音像)右 かつをじ
                                        三り
 どこか 「上の立石」に似ていませんか!

 この道標は、下新田(現春日町)にあった、
 「下新田道標」=「下の立石」であるとかんがえられる。



2010年5月21日金曜日

熊野田ルートの計測  江坂西西の道標の考察

江坂西西道標の考察
勝尾寺口より 上新田経由熊野田  八坂橋まで 7.9km
江坂西西の道標の考察
熊野田の道標であれば八坂橋あたりになります。
GOOGLEで調べました。
今回発表は江坂から勝尾寺まで三里 が疑問に思われる方がいらっしゃると思います。
江坂からは3里半です。 3/20聞き取り調査から端を発しています。その後、吹田市教育委員会、文化財保護担当の吹田市立博物館に問い合わせていましたが、なかなか連絡がありませんでした。私が持っている資料以外に新しいことはわかっていないということです。 隠れ道標マニアは多くいると思いますが、ネットなどで公開している人は少ないようです。
この道標が下新田にあった「下の立石」ではないかということです。その予想を元に「下の立石」の収集に奔走していましたが、資料がありません。ということが判り、現時点での結論を出させていただきます。  御意見下さい。

逆に熊野田の八坂橋にあったとするならば、ここも資料はありませんが、私が思っている「疑問の道標」天竺川街道の
存在が脚光を浴びることになりますのでそれはそれでいいです。ですが交通量の多い大阪からの直線ルートを考えるのが一般的ではないでしょうか!

大きな地図で見る
熊野田八坂橋 徒歩ルート
7.9 km – 約 1時間35分

経由地点: 西国街道, 府道2号線 - すべての経由地を削除
その他のルート

西国街道

1. 西国街道 を西に進む 950 m
2. 左折する 120 m
3. 右折する 130 m
4. 左折する 83 m
5. 右折して 府道121号線 に向かう 300 m
6. 左折して 府道121号線 に向かう 20 m
7. 右折して 府道121号線 に向かう 260 m
8. 府道121号線 を右折する 160 m
9. 左折してそのまま 府道121号線 を進む 2.2 km
10. 右側の出口を出る 180 m
11. 左折する 500 m
12. 右折する 290 m

5.2 km – 約 1時間3分
指定の地点

13. 南西に進む 400 m

400 m – 約 5分
指定の地点

14. 府道2号線 に向かって北に進む 25 m
15. 府道2号線 で大きく左方向に曲がる 900 m
16. 斜め右に折れる 8 m

950 m – 約 11分
指定の地点

17. 府道2号線 に向かって東に進む 8 m
18. 府道2号線 で大きく右方向に曲がる 400 m
19. 斜め右に折れる 24 m

400 m – 約 4分
指定の地点

20. 南西に進む 500 m

500 m – 約 5分
指定の地点

21. 北西に進む 15 m
22. 左折する
目的地は前方左側です 450 m

500 m – 約 5分

2010年4月26日月曜日

下新田の道標の行方は?  曇り空ですが  探索に出かけます。

午後は「町案内人」とよなか・歴史と文化の会に参加のため出かけます。
高川の源流 吹田市「牛ガ首池」
春日町の北の端 左上新田 右南千里
左は 山口さんのタバコ屋さん ここで、話を聞きました。 右は唯一の寺「西照寺」
「千里山からの道は」「道標はなかった」
話によると
「道はもう少し上、上新田方向らしい、
道標は上新田と南千里のところにあった。
下には信号の所にあった。」どうなったかわからない。
郷土史家を訪ねました。不在で奥さんに対応してもらいました。
「わからない! お爺ちゃんが村長をしていた。」それでは資料があるのでは!
「豊中には熊野田を通って行った。」山口のおじいちゃんが云われたことを確認できます。
「下新田村郷土史」資料があるはずだ、図書館に問いただしてください。」 これ以上はむりです。
お礼を述べ、連絡先を伝えて帰りました。 
「下新田の道標」=「下の立石」について話を聞くことは出来ませんでした。

2010/4/25 吹田市立図書館で調べました。 資料「下新田村郷土史」吹田市春日町青年部 この本では、生活の様子、尿について、千里山への道の改修などが書かれていましたが、私が知りたい道・街道については確認できませんでした。
調べていたら、他の道標のことを別な資料で確認できました。
現存しない道標・一度は現れるがその後姿を消す。 
加賀真砂子先生の拓本あります。
樫切山の道標  博物館にありました。
東面  すぐ 山田・小川村
 左山田下村
西面 すぐ 茨木 富田
施主 高槻河内屋平兵ア家内
現在の樫切山交差点より40メートル東になる。

2010年4月7日水曜日

下新田の道標の行方は ????

道標「下の立石」 は、吹田市では現存しない道標として挙げられています。
わかっているのは、上新田村に「上の立石」があり、それに対応した道標として「下新田村」(吹田市春日町)にあったとされ、正確な位置、記載事項は吹田市の資料にはこれ以上のことは記載されていない。
昭和39年にはすでに存在しなかった道標です。()

この「下の立石」 チョット気がかりで 再調査しました。
私が見つけた道標ではないでしょうか!
それで 問い合わせ
吹田市立博物館館員は説明されました、 文化財愛護推進委員・郷土史家、その他何人かの人たちに問いました。
が 上記以上の情報はありませんでした。 また「下の立石」について情報をいただくようにお願いしました。

 情報をお持ちの方 御一報ください。

 

2010年4月5日月曜日

(下の立石)見つかる。 大発見です! 江坂西西道標

 「下の立石」 です。
道標のある 「勝尾寺 3リ」  は江坂ではありません。
勝尾寺から江坂までは 14キロ 約3.5里になります。
そこで、測量しました。 この道標 「下の立石」だと考えられます。

「右 かちをじ  3り」 を測量計算します。

箕面新家の道標に36町の町石あり、
新家から2里を測量しますと。
上新田から熊野田村と下新田村のルートに分かれます。
熊野田ルートでは 阪急バス停「二の切」では短いです。
熊野田の街中にあったとも考えられますが、
道標があったいい場所、重要な場所は、
村出入り口で村の端か、道の交差点が有力です。
下新田村で考えると、高川を上ってきた三国街道沿いにあり、
千里山からの道と合流うする場所
西照寺の西方に道標があったと考えられます。
そのあたりが調度「右 かちをじ  3り」に当てはまります。
それで、江坂西西道標は「下の立石」と推測できます。

吹田市の資料を見ていましたが、下の立石について
銘記されている事柄、写真などは見たことありません。
昭和39年に「上の立石」を扱った「野の仏」大阪読売新聞では、
「下の立石」はこの時、存在しなかったとあります。
それら資料があったら、一発だと思いますが。
しかたありません。

似ている道標があります。  下の写真は「上の立石」です。

2010年3月20日土曜日

勝尾寺道  江坂西西道標の調査 ①

見つかった道標 「15 江坂西西」 の由来について

    下部欠損

 この道標の横の「内田」さん宅に尋ねました。
残念ながらお留守でした。
その後、40分ほど、近所の家を見て回りましたが、留守のようで、
以前に聞いた、江坂で歴史の詳しい方の家をおぼろげな記憶を頼りに「うろうろ」
ちょうど その前のお宅の方が洗濯物を干しておられ、
「江坂西西の道標」について聞きました、その返事が「そんな歴史のことはお向かいさんが良く知ってはる」ということで、思い切って、インターホンを押し、

この家の方です。
「道標について、教えてください。」
快く了解され、玄関に出てこられました。
この玄関 由緒ある玄関です。 
先ずは道標の話から・・・・・・・・ 続きました。

肝心な点 「江坂西西の道標」について
あれは、「言ってもいいのかどうか」と悩まれましたが、「内田さん宅の庭にあった物である。」
「詳しいことは判らないが、ある道に転がっていたのを何代か前が自宅に持ち帰ったということ。??」と
「庭の飾りにと求められた物」とも云われました。 どちらか定かでない。
4~5年ほど前、内田さんが周りの人に相談され、自分の敷地内にみんなの前に置く事になったらしい。
そのときに相談された相手がこの方でした。

次に 下の常夜灯の件


次に 上の常夜灯について
吹田の資料集には 「勝尾寺への常夜灯」となっていますが。」
油谷さん 「いやいや あれは 妙見山の常夜灯   講の人が立てた物」

「やはり、そうでしたか!  それから、古い地図によると 能勢への道はこの道を使っていたらしいです。」
「いや、それは違うだろう! 熊野田を通り、箕面へ行くのでは?」
吹田の資料にもそのように書かれています。 これは違うのでは!。

街道にない道標 = 昔の街道 で判ってほしいです。
「大坂から妙見さんは山越えもありますが、池田から行くのが一般的です。 ですので、箕面に出て、妙見でなく、岡町、新免を能勢街道を通るルートがあります。のではないでしょうか! また、そのルートになる道標が2基あるのです。」
「そうかそうか 箕面から妙見は考えにくいな!」 古い道がなんとなくわかってもらえたようです。

長いことはなしました。 吹田の郷土史家の名前も飛び出しました。
吹田の歴史に深い方でした。   有難うございました。
次回 良い報告が出来ますように!


続きは こちら
 江坂西西道標の調査 ②