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2024年6月17日月曜日

④ 「津門の中道」と 佐井寺から上新田への道 ➂吉の中国大返し ② 二打席連続 大谷翔平 ① 訪問者数

   06/1 7   189回ビュー     621,766回ビュー 

06/15 193回ビュー  620,452回ビュー    06/16   125回ビュー  621,587回ビュー  

訪問者数グラフのこのページの下  05/31  239回ビュー  619,235回ビュウー

④ 「津門の中道」と 佐井寺から上新田への道 

➂ 秀吉の中国大返し   「少し歴史の話」

      どのルートをとったのでしょうか!

 

    ① 伊丹城を通過---  

  ② 大府教の 「小曽根」を通るルート

  ➂ 吹田の「出口」から「片山」を通るルート(曲説)地名「広芝」

 ①,② は 古から有名な地名 通った道 吹田街道の「垂水」の記載がない

  ①、②、➂ 共通で 「出口」を経由して「吹田」を通る

 「出口」からは「片山」を抜けるのが近道がある。

 但し、資料では「出口」、「片山」の地名はなく、また片山への道は狭く、軍隊の行軍には向いていない。

 記載の地名は

    「戸ノ内」「牛立」「小曽根」「広芝」「吹田」「富田」になっている。 

   さて 江戸以前 吹田は 出口からなる多くの町村からなっている 

  この時代江戸前期 この地区を 全てを吹田 と呼んでいたのは疑問

   「吹田市都市景観形成基本計画」 1993 より

  「津門の中道」が描かれている。

 
秀吉の中国の大返し・・・  津門中道について
 「曲江説」が最も良く検討されており、妥当と思われる。

   私見 まだ疑問が・・・


  
 二打席連続 大谷選手  
18号 19号



① 訪問者数

 20240519~ 0617まで 1っか月間の訪問者数  

     表の右側 9,372は 1カ月間の 訪問者数


  左の大きなピーク             最近のピークは     

     05/23    474回          06/14  95回

     05/24    902回          06/15  193回    

     05/25 1,290回                                 06/16     125回 

             05/26   1,318回

     05/27 1,051回

     05/28  294回

 合計 この期間 5,329回       5月の訪問者数 10,893回ビュー

 

2015年6月1日月曜日

東海道五三次 鳥居がない???関宿 20年に一度の「お木曳き」 関宿

今日は関宿の20年に一度の 「お木曳き」
ここは 関宿東の追分 
鳥居がない!!!! 今年 3回目の関宿訪問

撮影 5/30 鳥居がない  左右に穴が

今日は関宿のお木曳き



関駅 今日はJRのハイキング(関から亀山へ)人が多い

ハイキングは明日(31日)も 桑名で「七里の渡し」 

一週間前の予報では 日曜日雨 29日の予報では晴れ
今日は快晴です。  この日、桑名本年最高気温 34度とは参った参った。
腕は真っ赤・赤 宿では、大量の水を補給

登場 ① 街道歩き 今日は、水口まで すごい距離になります。
この方は、東京から  絶景のポイントを紹介します。
「関宿に来たらここで見ないと」 云って入ります。その後、女性2人、男性一人が
一緒に登りました。 ここからの風景がいいのです。
「いやこんなところを紹介してもらって、街道がよくわかる。」と納得してもらいました。
もう一人の男性(登場②)は「・・・・・・・・」何も言わずに 頷いておられました。 
今日、お木曳きがあることは御存じないようでしたが。
坂下に向かわれるので、お木曳きを見ながら行きますと 地蔵院でわかれます。
地蔵院の前の加治屋さん が開いていました。
中に入って、昔の鞴がありました。ここも 「まちかど博物館」か!
 
平仮名と漢字








四方の海原浪しづまりて
          さてもめでたき
       お木曳きを
          綱先そろえて曳いてやろ


木遣り唄 か!よかった。歌が良かった。

 
2階からも カメラマンも大変です。
  






地蔵院前で休憩 

関宿の「お木曳き」の情報が少ない。
いろいろ探していたら  ありましたありました。

関宿東追分一の鳥居お木曳 完全収録版

この方、私と同様 「桑名のお木曳」も見学されています。そちらもご覧ください。

関宿の鳥居一式の行列は 3台でした。 私が見たのは最初のお木曳きでした。

道幅が狭いので鳥居一式、3台に分けて 

20年前の情報がありませんので知りませんでしたね。
もし知っていたら、最後まで見ていたかも!
反省点ですが、もう一点の反省点、半被が欲しい。

いいですね!  お木曳きを見に来てよかった。よかった。
伊勢神宮の20年毎の遷宮が、関宿のお木曳きに繋がる。
初めて知りました。 よかったよかった。
後後での思いは、半被が欲しかった、ことです。

この後、関の地蔵院 地蔵尊を拝ましてもらいました。
この日は、イベントの日で案内付きの三〇〇円でした。
堺在住の品のいい人に案内してもらいました。
豊中では 長興寺にある染香(しむか)地蔵尊が
「関の地蔵によく似てござる。」
という話が伝えられている。

次の目的地 四日市から桑名へ

登場②の方に 関駅で会いました。 鈴鹿市の方で、麦酒を飲みながら雑談
関の街道を屋根上で「・・・・・・」頷かれた方です。
文章を書くのが好きだというので、私のブログアドレスをお渡ししました。
一緒に麦酒を飲んで おつまみは貰って。よかったよかった。

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2013年10月14日月曜日

関宿場 お伊勢参り 関地蔵院 と 一休和尚


東海道 47番目の宿場  風情のある宿場町
東の追分
鳥居から伊勢街道 60キロ
横の道が東海道  右京  左 亀山

案内図

街道筋



高札場
  
関地蔵院  と  一休和尚 の話
豊中のしむか地蔵には次のような話が伝わっている。
「しむか地蔵は 関の地蔵によくにてござる」と
豊中でもこのルートを使っていたようだ。
旅籠「玉屋」亀山市指定有形文化財 

伊藤本陣

関の宿場でした。   下の写真

土山サービスエリア上り下り共通のサービスエリア
      

2013年10月12日土曜日

関の地蔵にまつわる話


俗に「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
と唄われた美男の地蔵菩薩である。
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地蔵菩薩は釈迦が亡くなられたのち五十六億七千万年
の後に弥勒菩薩が出現する間。地獄、飢餓、畜生、阿修羅、人、天の六道に輪廻してさまよう私たちを救うという菩薩である。
髪がない剃髪、袈裟を身にした僧形(男)の立像、または坐像
か半伽像が特徴である。
俗謡に
 「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
 関のお地蔵様に振袖を着せれば女よりも美しい。そして奈良
の大仏を婿にとってみたいものだ。

 これが美男を賛美する唄の本来の意味である。
中には関の地蔵は男か女か?と真面目に議論する人もいるだ
ろうが、いちど関の地蔵のお顔とお姿をじっくり拝観してほしい。
まさしく男、それも日本一の美男のお地蔵様と納得されるであろう。




*****  一休和尚と関の地蔵の麻の布
むかし、京の都の名高い一休和尚(いっきゅうおしょう)が東海道を旅しとったんやそうや。
 そのころ、関(せき)の宿場(しゅくば)に地蔵(じぞう)さんが立っとったんやけど、往来のちりによごれて見苦しなってしもたもんで、里の者らが集まってきれいに洗(あら)い清(きよ)めたんやて。ついでに破れとったお堂も直して、お坊(ぼう)さんが通りかかったら、開眼供養(かいげんくよう)をしてもらおうと待ちかまえとったんやに。そこへたまたま通りかかったのが、一休和尚やったんさ。
 里の者はさっそく、
「旅の坊さん、地蔵さんの開眼供養をしてもらえんかいな」
とたのむと、一休和尚は、
「ああ、よかろう」
と心やすく引き受けてくれた。そやけど、地蔵さんに向かって経(きょう)を読むでもなく、
「釈迦(しゃか)はすぎ、弥勒(みろく)はいまだ出(い)でぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」
と妙(みょう)な歌をよんでな。そのうえ、衣のすそをまくって立小便して去ってしもたんやに。

 あっという間のできごとやったんで、里の者らはポカンとしとったんやけど、われに返るとかんかんに怒(おこ)ってな。
「とんでもないインチキ坊主(ぼうず)にたのんでしもたわ」
「あんなうすぎたない坊主にたのんだのがまちがいやった」
「もういっぺん開眼供養をやり直そや」
ということで、ちがうお坊さんにあらためてたのんだんやて。
 今度のお坊さんは、身なりもりっぱでな。九条のけさを身にまとい、高座に上って鉦(かね)を打ちならしたり、水晶(すいしょう)の数珠(じゅず)をおしもんだりしながら、むずかしいお経を長いことよんでくれてな。そしておごそかに、
「ここにお集まりの善男善女(ぜんなんぜんにょ)は、功徳(くどく)により病苦(びょうく)をまぬがれ、田畑(でんばた)は穂(ほ)に穂が重なり、天災地変(てんさいちへん)も火難水難(かなんすいなん)も無縁(むえん)となろう。ましてこの関の地蔵のご本尊(ほんぞん)は将軍地蔵(しょうぐんじぞう)じゃから、たとえ大敵や強盗(ごうとう)が現(あら)われても、家のなかまで押(お)し入ることは金輪際(こんりんざい)ない」
と、回向(えこう)の鉦を鳴らしながら告げてな、ありがたさに涙(なみだ)をこぼさん者はおらんだん。感激(かんげき)した一同が心をこめてお坊さんをもてなしたんは、いうまでもないことや。
 ところがその晩(ばん)、在所の者に地蔵さんがとりついてな、高熱を出し、うわ言のように、「せっかく名僧(めいそう)の供養によって目を開いたのに、どうしてつまらぬ供養のやり直しなどして迷わすのか。元のようにして返せ」
と口走ってな。これを聞いた者はたまげたのなんの。さっそく主だった者が集まって相談し、一休和尚を追いかけて呼(よ)び戻(もど)そうということになったんさ。
 使いの者らが、やっと桑名の宿で追いつくことができ、かようかようしかじかと、地蔵がのりうつった様子を伝えると、一休和尚は、
「いまさら関まで引き返すことはできんゆえ、この下帯を持ち帰って地蔵さんの首にかけ、わたしが唱えた歌を三べん唱えるように」
と教えたんやて。使いの者は半信半疑(はんしんはんぎ)で和尚の下帯を持ち帰り、言われたとおりにすると、あっという間にのりうつった人の熱は引いて、もとの元気な姿(すがた)に戻ったんやて。関の地蔵さんが今も麻(あさ)の布きれを首にまいとるのは、こんな由来があったんやに。

*********** 関の地蔵と「しむか地蔵」豊中
地蔵堂の前の道を伊勢に向かった。
その長い道中で、あの名高い「関の地蔵」さんによく似ているとみえて、
「関のお地蔵と、しむかの地蔵は、いとこづくか、似てござる。」と唄われるようになった。

関の地蔵と一休和尚  

東海道53次 予定 2016/02/23

20年に一度の「お木曳き」 関宿 2015/06/01


今日は鈴鹿峠越え パート3 関宿・東追分  2015/05/07