俗に「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
と唄われた美男の地蔵菩薩である。
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地蔵菩薩は釈迦が亡くなられたのち五十六億七千万年
の後に弥勒菩薩が出現する間。地獄、飢餓、畜生、阿修羅、人、天の六道に輪廻してさまよう私たちを救うという菩薩である。
髪がない剃髪、袈裟を身にした僧形(男)の立像、または坐像
か半伽像が特徴である。
俗謡に
「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
関のお地蔵様に振袖を着せれば女よりも美しい。そして奈良
の大仏を婿にとってみたいものだ。
これが美男を賛美する唄の本来の意味である。
中には関の地蔵は男か女か?と真面目に議論する人もいるだ
ろうが、いちど関の地蔵のお顔とお姿をじっくり拝観してほしい。
まさしく男、それも日本一の美男のお地蔵様と納得されるであろう。
***** 一休和尚と関の地蔵の麻の布
と唄われた美男の地蔵菩薩である。
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地蔵菩薩は釈迦が亡くなられたのち五十六億七千万年
の後に弥勒菩薩が出現する間。地獄、飢餓、畜生、阿修羅、人、天の六道に輪廻してさまよう私たちを救うという菩薩である。
髪がない剃髪、袈裟を身にした僧形(男)の立像、または坐像
か半伽像が特徴である。
俗謡に
「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
関のお地蔵様に振袖を着せれば女よりも美しい。そして奈良
の大仏を婿にとってみたいものだ。
これが美男を賛美する唄の本来の意味である。
中には関の地蔵は男か女か?と真面目に議論する人もいるだ
ろうが、いちど関の地蔵のお顔とお姿をじっくり拝観してほしい。
まさしく男、それも日本一の美男のお地蔵様と納得されるであろう。
***** 一休和尚と関の地蔵の麻の布
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ところがその晩(ばん)、在所の者に地蔵さんがとりついてな、高熱を出し、うわ言のように、「せっかく名僧(めいそう)の供養によって目を開いたのに、どうしてつまらぬ供養のやり直しなどして迷わすのか。元のようにして返せ」 と口走ってな。これを聞いた者はたまげたのなんの。さっそく主だった者が集まって相談し、一休和尚を追いかけて呼(よ)び戻(もど)そうということになったんさ。 使いの者らが、やっと桑名の宿で追いつくことができ、かようかようしかじかと、地蔵がのりうつった様子を伝えると、一休和尚は、 「いまさら関まで引き返すことはできんゆえ、この下帯を持ち帰って地蔵さんの首にかけ、わたしが唱えた歌を三べん唱えるように」 と教えたんやて。使いの者は半信半疑(はんしんはんぎ)で和尚の下帯を持ち帰り、言われたとおりにすると、あっという間にのりうつった人の熱は引いて、もとの元気な姿(すがた)に戻ったんやて。関の地蔵さんが今も麻(あさ)の布きれを首にまいとるのは、こんな由来があったんやに。 *********** 関の地蔵と「しむか地蔵」豊中 地蔵堂の前の道を伊勢に向かった。 その長い道中で、あの名高い「関の地蔵」さんによく似ているとみえて、 「関のお地蔵と、しむかの地蔵は、いとこづくか、似てござる。」と唄われるようになった。 関の地蔵と一休和尚 東海道53次 予定 2016/02/23 20年に一度の「お木曳き」 関宿 2015/06/01 |
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