2013年10月14日月曜日

新連絡方法 携帯から送信しサイトで連絡

明後日  本日(16日)開催予定の「尼崎界隈を歩く」に
参加予定の皆様へ

吹田郷土史研究会
連絡先 6877-8193 会長宅

10/16 おはようございます。 どんよりしていますが、雨は大丈夫の模様曇りから晴れマークに
午後の降水確率は 20~10%に落ちました。雨具はご用意ください。
今日 実施の予定です。
今日はこのページまち歩き専用とし、ニューページアップは夕方までありません。
受付開始 12:30 ~
大物まで  南千里11:27発 → 11:52着梅田 阪神12:06発 → 12:23着大物
 (所要時間 約54分)  ¥220円               ¥180円
 
案内は「東洋の魔女」・ユニチカ記念館 「尼崎界隈を歩く」案内 
 
食 事 何処   
梅田の阪神百貨店地下1Fの食堂街
 阪神大物駅下に コンビニあり  食事場所:歴史の散歩道 旧大物川跡
 大物駅近くの県立尼崎病院の地下食堂あり
10/15 09:00
おはようございます。 明日の尼崎市地方の天気は
午後からは 曇り 夕方には晴れという予報です。
天候は回復に向かうようです。


開催予定です、が天候が危ういので、緊急連絡の体制を取りました。
中止・開催は 当日にならないとわかりませんが
携帯からブログへ送信します。ですが
確認できるサイトはこのサイトでなく別サイトになります。
http://wwwpc007.blogspot.jp/

私は10時30分には阪神大物駅に行きます。
その後の開催中止は次のサイトをご覧ください。
http://wwwpc007.blogspot.jp/をクリックしてください。
先ほど 携帯から送信されたものが表示されています。

吹田郷土史研究会

明後日(16日)このページは 夕方更新になります。

危惧していたことが起こるようです。
会員および会員以外の人たちに対する 連絡方法
 緊急連絡網の構築が必要ですね。

関宿場 お伊勢参り 関地蔵院 と 一休和尚


東海道 47番目の宿場  風情のある宿場町
東の追分
鳥居から伊勢街道 60キロ
横の道が東海道  右京  左 亀山

案内図

街道筋



高札場
  
関地蔵院  と  一休和尚 の話
豊中のしむか地蔵には次のような話が伝わっている。
「しむか地蔵は 関の地蔵によくにてござる」と
豊中でもこのルートを使っていたようだ。
旅籠「玉屋」亀山市指定有形文化財 

伊藤本陣

関の宿場でした。   下の写真

土山サービスエリア上り下り共通のサービスエリア
      

小さい島ですが ここに 道標が しまなみ海道②



思わず駆け寄りました。
 
 
中庄村
この島では 道標の案内板は長年の風雪により、文字が読めません。

立派な案内板 しまなみ海道② 因島でした。

因 島 案 内
 
因島水軍城     大浜埼灯台記念館(バスの中から見える)
つづいて 古い家並みを撮りました。
  
   
この山が見ています。 頂上には展望台があります。
360度 展望がいいと思いますね。向山183
 
除蟲菊の父村上勘兵衛之碑      本因坊 秀策 1829-1862 記念館あり

 
サイクリングは多いです。
今日も完走、終わったらみんなで拍手今日一日の達成感 いい気持ちです。
21050歩

次は「生口橋 いくちばし」をわたります。
 2013/10/13  

旧町名継承碑  田島町

2013年10月12日土曜日

講演会 「吉野ケ里から吹田が見える」

倭国大乱と垂水遺跡
講師 国立民族博物館名誉教授 
元吹田市立博物館館長  小山修三氏

 
10月27日(日) 13:20~ 15:30
メイシアター 小ホール
無料
吹田郷土史研究会 6877-8193 会長宅

関の地蔵にまつわる話


俗に「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
と唄われた美男の地蔵菩薩である。
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地蔵菩薩は釈迦が亡くなられたのち五十六億七千万年
の後に弥勒菩薩が出現する間。地獄、飢餓、畜生、阿修羅、人、天の六道に輪廻してさまよう私たちを救うという菩薩である。
髪がない剃髪、袈裟を身にした僧形(男)の立像、または坐像
か半伽像が特徴である。
俗謡に
 「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿にとろ」
 関のお地蔵様に振袖を着せれば女よりも美しい。そして奈良
の大仏を婿にとってみたいものだ。

 これが美男を賛美する唄の本来の意味である。
中には関の地蔵は男か女か?と真面目に議論する人もいるだ
ろうが、いちど関の地蔵のお顔とお姿をじっくり拝観してほしい。
まさしく男、それも日本一の美男のお地蔵様と納得されるであろう。




*****  一休和尚と関の地蔵の麻の布
むかし、京の都の名高い一休和尚(いっきゅうおしょう)が東海道を旅しとったんやそうや。
 そのころ、関(せき)の宿場(しゅくば)に地蔵(じぞう)さんが立っとったんやけど、往来のちりによごれて見苦しなってしもたもんで、里の者らが集まってきれいに洗(あら)い清(きよ)めたんやて。ついでに破れとったお堂も直して、お坊(ぼう)さんが通りかかったら、開眼供養(かいげんくよう)をしてもらおうと待ちかまえとったんやに。そこへたまたま通りかかったのが、一休和尚やったんさ。
 里の者はさっそく、
「旅の坊さん、地蔵さんの開眼供養をしてもらえんかいな」
とたのむと、一休和尚は、
「ああ、よかろう」
と心やすく引き受けてくれた。そやけど、地蔵さんに向かって経(きょう)を読むでもなく、
「釈迦(しゃか)はすぎ、弥勒(みろく)はいまだ出(い)でぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」
と妙(みょう)な歌をよんでな。そのうえ、衣のすそをまくって立小便して去ってしもたんやに。

 あっという間のできごとやったんで、里の者らはポカンとしとったんやけど、われに返るとかんかんに怒(おこ)ってな。
「とんでもないインチキ坊主(ぼうず)にたのんでしもたわ」
「あんなうすぎたない坊主にたのんだのがまちがいやった」
「もういっぺん開眼供養をやり直そや」
ということで、ちがうお坊さんにあらためてたのんだんやて。
 今度のお坊さんは、身なりもりっぱでな。九条のけさを身にまとい、高座に上って鉦(かね)を打ちならしたり、水晶(すいしょう)の数珠(じゅず)をおしもんだりしながら、むずかしいお経を長いことよんでくれてな。そしておごそかに、
「ここにお集まりの善男善女(ぜんなんぜんにょ)は、功徳(くどく)により病苦(びょうく)をまぬがれ、田畑(でんばた)は穂(ほ)に穂が重なり、天災地変(てんさいちへん)も火難水難(かなんすいなん)も無縁(むえん)となろう。ましてこの関の地蔵のご本尊(ほんぞん)は将軍地蔵(しょうぐんじぞう)じゃから、たとえ大敵や強盗(ごうとう)が現(あら)われても、家のなかまで押(お)し入ることは金輪際(こんりんざい)ない」
と、回向(えこう)の鉦を鳴らしながら告げてな、ありがたさに涙(なみだ)をこぼさん者はおらんだん。感激(かんげき)した一同が心をこめてお坊さんをもてなしたんは、いうまでもないことや。
 ところがその晩(ばん)、在所の者に地蔵さんがとりついてな、高熱を出し、うわ言のように、「せっかく名僧(めいそう)の供養によって目を開いたのに、どうしてつまらぬ供養のやり直しなどして迷わすのか。元のようにして返せ」
と口走ってな。これを聞いた者はたまげたのなんの。さっそく主だった者が集まって相談し、一休和尚を追いかけて呼(よ)び戻(もど)そうということになったんさ。
 使いの者らが、やっと桑名の宿で追いつくことができ、かようかようしかじかと、地蔵がのりうつった様子を伝えると、一休和尚は、
「いまさら関まで引き返すことはできんゆえ、この下帯を持ち帰って地蔵さんの首にかけ、わたしが唱えた歌を三べん唱えるように」
と教えたんやて。使いの者は半信半疑(はんしんはんぎ)で和尚の下帯を持ち帰り、言われたとおりにすると、あっという間にのりうつった人の熱は引いて、もとの元気な姿(すがた)に戻ったんやて。関の地蔵さんが今も麻(あさ)の布きれを首にまいとるのは、こんな由来があったんやに。

*********** 関の地蔵と「しむか地蔵」豊中
地蔵堂の前の道を伊勢に向かった。
その長い道中で、あの名高い「関の地蔵」さんによく似ているとみえて、
「関のお地蔵と、しむかの地蔵は、いとこづくか、似てござる。」と唄われるようになった。

関の地蔵と一休和尚  

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