2011年8月8日月曜日

ある塚  大阪府警西

探索  国土地理院の帰り



史跡 舎密局跡 
大坂で最初の公立教育機関で理化学の学校。
 跡地は大阪衛生試験所



 k.w.ハラタマ博士

大きな楠が

なぜか お宮さんと 五輪塔
その後 天六探索

こんな家も



これが 本庄街道?
 天六筋の一つ西側になる。

 

十三 神津神社の道標 地名に

十三 神津神社

 神津神社の地図上では

左から C, D, B, 道標といわれているが 
神津神社にある 三基の道標を このサイトでは次のように読み替える
命名  左から
道標Cは木川村西道標、または木川村道標
道標Dは小嶋村北道標、
道標Bは小嶋村西道標、 
道標Aは十三の渡し=池田文庫の道標

******************* 考慮中・提案・コメント 2013/09/13
道標 A,B,C,D 道標名称はその碑の特徴、地域名を入れた方が分かりやすい。
小嶋村の神津神社を中心に考える方法もある。 
道標A : 十三の渡し
道標B : 小嶋西道標 ・ 神津西道標  
道標C : 小嶋東道標 ・、木川の道標 
道標D : 小嶋北道標、・ 神津北道標
 


地図で確認します。 一番上の赤丸は「新高公園の道標」別項
地図上の4つの赤印  右から
木川村西道標、 小嶋村北口道標、 小嶋村西口道標
一番左は 十三の渡し道標


2013/09/13 作成
新高公園の道標は別項で説明
距離の測定と旧在所の推測Ⅰ  
距離の測定と旧在所の推測Ⅱ
またはこちら
************************************
道標 A ここにはないが「池田文庫の道標」又は
「十三の渡し道標」
道標 B 右端 最近移築された道標  小嶋村西口道標
     (東面)「往来安全」
     (南面) 嘉永 四年
     (西面) 是より ■ ■ 三国の渡し 池田 (はっとり天神宮三国渡池田)
     (北面) 「堤上 西十三渡  東本庄渡 大坂」 

道標 D 左端 三国から小島村に入る三つ辻にあった。  小嶋村北口道標   
    「    右ハ 小島村宮稲荷社、
     すぐハ 十三、
        左りハ 本庄 道」
    「あんさん御守 おりこうよけ御ふた/ほうそう 御守か持 御信心ニ神主宅より披露之」
    「寛政二年」

道標 C 中央 ここに最初におかれた道標、 木川村西口道標 
     本庄から木川村の西出口で  三国と尼崎への分岐 
     「 小島村宮稲荷社是より左へ、
      すぐハみのを 多田 のせ」

2011年8月7日日曜日

面白いボランティア  昭和の建物

テレビの番組から
 閉店した ユニバースの「味園」 の紹介ツアー そして 
  河内家菊水丸さんと盆踊りなど  昔はキャバレー

 その他 
 「昭和の建物」を案内するボランティアグループ
 組織名 
 スタッフ人数 5名

 ユニークですね!  
  江戸時代、明治時代、昭和時代 その時代時代のよさを残す建物
 伝統を守り・伝承するにも 「力」=「庶民の心」が必要です。
  それも、そんなものがあるのか!  一般の人に宣伝、知らせることも必要です。
  

2011年8月6日土曜日

おもしろいサイト

面白いサイトを見つけました。

追加 2011・8・31
 

これも面白い。


 大阪市は橋が多いので何処にあるか
  写真で紹介しています。
  大阪市内の橋(橋名一覧)
  何橋あるか 数えてみたら!  本当に八百八橋か!


 すごい人がいました、  
 大阪の橋  583 あり、踏破された方。


築留二番樋(柏原市)、


玉手橋:石川に架かっている、めずらしい5径間連続吊橋である



 


 豊中市を流れる 猪名川、神崎川、
       千里川、天竺川、高川 の橋を紹介
     ただし名前だけ         豊中市内の橋

これはチョッとないとと思います。
  マンホールの写真  
  そのページではマンホールを「 顔 」として紹介しています

 古い写真を扱ったサイトがありました。
     戦前の(豊中市)勝部

2011年8月1日月曜日

気になる石物 水準点 最終編

垂水の6月20日「気になる石物」から1カ月半に
水準点 最終稿となります。
吹田市に3基の一等水準点
 垂水の一等水準点
 高浜神社の一等交点
 岸部の一等水準点 今日掲載

今日は 岸部の一等水準点
「観石万歩」  さんから教えてもらった
  吹田市岸部中1丁目15番1号 標高 13.3628   一等水準点
      

「岸部中1」吹田高校への交差点

現在は ?????

この植え込み中、桜の木の左側にある。

周りは 4つの石で囲ってあります。

これが、吹田市にある一等水準点3か所の岸部の水準点

 「気になる石物」これにて、完結 「万歳」
 いろいろお世話をかけました。
 町歩きで見つけた「石物」
 垂水の気になる石物は「かいしょ」でなく「水準点」からの調査
  

2011年7月31日日曜日

古地図 池田道?・能勢街道? 追加もう一つの池田道

池田道の表示 その2
明治末 個人の作成「
考古地繪圖」


 
 北中島  箕面有馬電車
能勢街道と街道が書かれている。
十三からの能勢街道は神崎川に橋・渡しがあり、川を渡るとすぐ右に折れ、
「小曽根の渡し」、「高川」を目指す、三国街道を北上するようになっている。
能勢街道は一般的に言われている 天竺川を上るが、その街道名は池田道になっている。
またまた、おかしなことが・・・・・・

小曽根の渡し、榎木の渡しが十八条町から渡っている。
作 :第三国小学校五十年記念 高木秀■考絵図

池田道の表示 その1
摂津国豊嶋郡原田村絵図
文政7年4月(1824)
右端の能勢街道が「池田道」と表示
昔の能勢街道のルートが違うことがわかる。
原田村の地領分布

池田道 その3   大阪市中地區甼名改正繪圖   明治5年 1872


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2015/02/09 追加

 能勢街道と池 豊中-刀根山・麻田-石橋

  今日は がんこ亭「池田石橋苑」で食事・調査 

2012/05/02 追加 
もう一つの池田道 3 となる。
明治5年の地図より 「長柄渡」で中津川を渡り北摂に入った道が
「池田道」になっている。
追加 横堰渡 池田道3 

2011年7月30日土曜日

十三の新高公園道標の旧在所 確定


 この地図は旧中津川 から 小嶋村三国へ向かいます。
 赤丸 が 能勢街道が東西に走るところです、 ありました、
 ここが「新高公園道標」の在所です。 やりました! 確定します。
 今回の計測  前回の計測とそんなに離れていないと思います。
 ここが新高公園の道標があった場所です。
中津川の右手は明治になりかけられた橋「新橋」、そのまま東に進むと 本庄の渡しから横関の渡しへ
北に上がって 三国、池田へ  4つの赤い印は 道標をあらわしています。
 右から 木川村西口道標又は小嶋村東口道標、次は 小嶋村北口道標、小嶋村西口道標 十三の渡し  とします。
マル印 は橋のようだ、この川は 「中島大水道」である、この大水道は
 この後、西へそして南へ また 「西国橋」の西へ と続く
 
 よく調べてみると 神津神社の地図に 明らかに中島大水道をわたる、東西の橋がかけえられている。  


最初の地図にもどり この道標を過ぎてからの話は
 しばらく西に向かうが野中村の手前で北に向かう、
 野中村をすぎたところで左に折れると 
  野中村 → 堀上村 → 三津屋村の南側で、中国道に合流することができる。   
  新高公園の道標 「南☜ かんざき、中山、伊丹」 に合致する。

  これで、新高公園の道標の旧在所が確定しました。 この道標も自分の元立っていた場所が理解され、さぞかし喜んでいるのではないでしょうか! 次は 伝承と保存です。 大阪市の道標の資料はない状態で
特定できたのは  道標に記載されてことで、能勢街道が東西に走っている場所があることが大きな要点になった、それと、「渡し」までの距離が記載された居たので この2点 場所を特定できる、決め手になった。 これは 道標に記載されている情報かた得たものです。



 本庄の渡しは  「今津っ子」さんの地図をご覧ください。



  「大阪市内の道標」 を揚げてみます。
  それで、他の人から質問されると思いますが
 「何故、新高公園は遠いのになんでや!」 それは 分りません。だれか知っている人は居ませんか! 例えば 神津神社の小嶋村西口道標は 尼崎で見つかったらしいです。 
 現在所と旧在所は非常に離れています。1キロメートル もう一度道標の北面を見ると、年号と 「福泉山 ■ ■ ■ 」とあり、福泉山の関係者、「講」ではないでしょうか。 多分 道の拡張とかで廃棄されたものが、新高公園の北にある「福泉寺」に関係あるものとして 持ってこられたものと思います。 その点の伝承が残っているはずですが、十三の方に頼みたいです、
  豊中にもあります。
 「疑問の道標」 
  場所は、天竺川の左堤防・長嶋住吉神社横の堤防にあります。一説によるとある 「もう一つ東側にある川・高川から持ってこられたもの」とされます。 私は、疑問の道標が反対側の能勢街道が天竺川を降りるところに立っていたのではないかとかんがえていますが、いまだ、それを証明するような資料、道標は出ていません。
これにも、願主「長島村 ■ ■」
 になっていて、そのことが重要視されたのでしょう。 この点も、十三の新高公園の道標とおなじです。
 道標は元あった場所へ、また 神津神社のように由緒を残すべきだ。
 神崎川を渡った、豊中市三国から服部までは 分岐があるのですが、道標は出ていません。

 「新高公園道標」の在所 Ⅱ